2011/6/4/22:00
凪ぎだと思って下りて来た海は正体不明のうねりに覆われている。
今日は幽霊テトラ第3ポイントに入った。
足場は3mありここなら1~1.5mと見えるうねりもなんとかやり過ごせる。
雲は厚いが風も無く、これは何のうねりなんだろうと考えながらリグを作る。
気が付けばじっとりとした梅雨特有の空気ではなく、何かひんやりとしたものを感じ
ああそうか沖には前線があるのかと思い至る。
メバル凪ぎ、と、俗にいう。
メバルを釣るには凪の日が良いのだと今も根強く信じられている。
しかし僕はもう既にその「俗説」を信じていない。
それはメバルとは「20cmの魚」であった時代の話だ。
あるいはメバルとは電灯の明かりを釣るものだと信じられていた時代の話だ。
確かに凪ぎは釣りやすい。凪ぎの日にもでかいのは出る。
しかしそれは「凪ぎ」そのものがもたらしたものではなく「それ以外の要素」によるものに過ぎない。
ただ単に釣りやすさで勘違いしていただけだ。
タックルの進化とフリーク達の熱意によってメバルは尺を目指すべきものに変わった現在において
意識すべきは凪ぎかどうかではなく「それ以外の要素」だ。
「それ以外の要素」
それは単純な事だ。
水が動く事。
それだけだ。
...ん~と...それだけでもないけどw
遥か以前にも書いたようにうねり自体は海水の移動を意味しない。単なる液体の上下動の伝搬に過ぎない。いわば波紋だ。大掛かりな。
しかしそのうねりの頂点に洗われたテトラから(あるいは岩から)流れ落ちる海水はうねりの谷に向かって流れのベクトルを作り
そこにあった海水の圧力と釣り合う位置に潮目を作り、泡を浮かべ、水の中に「何か」があるのだとすればそれをその位置に集め、留める。
メバルはその「何か」に集まる魚なのである。
海水を動かすもの。それは潮と波だ。
凪ぎの日に釣果を生むのは言うまでもなく潮である。前回の日記のように。
そしてこの日、水を動かしているものは「うねり」と呼ばれる波だった。潮は流れていない、が、その必要はない。
幽霊テトラは北西に面し、真北から来るうねりは斜め40度程の入射角でぶつかり、正確にその反射角で沖に払い出していた。
地球の物理の美しさはこんなところでもその方針を曲げない。一貫している。
足下から斜め沖に向かって潮目の泡が浮かぶ。
それは右に発生し、左に発生し、正面に発生する。
僕はただその中を打てば良い。イージーだ。
この時期の、この場所の、この状況。
極めてイージーだ。ほくそ笑む。いひひ。いただき。
しかしここでひとつ悩む。今が冬であれば何の迷いも無くジグヘッドである。
しかし過去のこの場所での梅雨メバルはことごとくハードルアーだった。
直近の昼間の偵察でもこのテトラ一帯にはベイトフィッシュが溢れ、波紋を作っていた。
しかし今日のこの状況と過去の経験との相違点は波気がある事である。
波があるとすればジグヘッドだ。僕的には。
とはいえベイトは小魚だろう。この時期は。
だから、やっぱ、まぁ、それで、いいんだろうな...。
逡巡の中で多い日夜用slim X'masホロをスナップに掛け、右方向に斜めに浮かぶ泡の筋を横切るラインに投げ、リトリーブする。
スローに泡に迫り、スローに泡に入り、スローに泡を抜けた。
おっと...何も起こらない。
んん?
もう一度。
んんん?
何も起こらない。
決してこのルアーに対する信頼性の有無によってではなく(w)ただ単にサイズを変える目的でCALM80に替えてみる。
んんんん?
何も起こりゃしない。
起きない。起きないんだな。ほーほーほーほー。そう来たか。
海に背を向けテトラ上でしゃがみ込みバッグを開けて店開きをして考え込む。魚がいる事には確信がある。
これか、いやこれか、それともこれか。
あれこれ悩んだ末に、波の日の、潮目の釣りの秘密兵器を取り出してみる。密封タッパーを開けて、取り出してみる。
こいつはちと写真映えはしないが、やってみるか。
それをジグヘッドに刺し同じ方向にキャストした。
少し沈める。波の釣りはその高さ分沈めるのがセオリーだ。
数回転リールをまわしたところで、コッ、とあたる。
手が走りかけたが、いや掛かっていない、と思い直し寸前で手を止めリトリーブを続ける。
ココ、コッ!
行ったか、食い切ったか、半信半疑で中途半端なあわせを入れてみる。
スカッ。
空振った..。
もうドキドキである。何千匹釣っても、ドキドキである。
手早くピックアップし同じ事を繰り返してみる。
泡に入った瞬間。
コッ!
今度はここであわせを入れる、が、微妙な感触を残して抜けた。
なんで掛からない!魚はいるし活性は高いはずだ。その事は疑いようがない。
もう一度繰り返す。
ラインを張り、5秒沈め、リトリーブ。しかし今度はあたりも無くジグヘッドは戻ってきた。
手にしたワームを確認する。ひょっとしてフグなのか?疑いが心をかすめる。確かにフグ好みのワームなのである。
しかしそれには傷ひとつついていない。かわりに少しずらされている。
メバルだ。間違いない。
そして分かる。
合ってない。レンジが合ってない。
レンジの合っていないルアーを無理矢理食いにくるメバルは気の毒だ。
それは障害物競走を連想させる。
やる気は満々にある。みんな応援している。
その中で、地面に這いつくばって粉の中の飴玉をくわえようともがくメバル。
あるいは。
両手を縛られたまま頭上高く吊り下げられたあんぱんに飛びついて食らいつこうとするメバル。
それが目に浮かんだ。なんて不憫な、と思った。
レンジを合わせてあげなければ可哀想でしょうがない。
そのレンジが高いのか、低いのか、それはまだ判断がつかない。
判断がつかないままキャストし、着水と同時にロッドを高くしリトリーブしてみた。水面だ。
同じコース。そこには魚はいる。泡に近づき、入り、泡の抵抗を感じ、過ぎようとした、時。
コン!
入った。迷わない。何の躊躇も無くのけぞってロッドを跳ね上げる。
ドンッ!
そのあたりの質に小さいか...とあわせた83deepはベリーから絞り込まれる。
おっと。でかい!?
深く潜り込む。リフトアップすれば沖に走る。尾びれを全力で推進力に変えている。チリッチリッとドラグが鳴る。
いったか!?
それは「ある重要なサイズ」の境界線上にいる魚には間違いない。
いったのか!?
足下に来て、しゃがみ込み、ロッドを下げて巻けるところまで巻き、抜き上げようとした重量は確かに重い。
慎重に抜き上げる。過去、幾度も失敗したこの3mを抜き上げる。
ごめん。いってなかった。29cm。
くわえているのは袋タイプのgulpの枠だ。
ブログを更新しなかったこの冬の間、これに何度助けられた事か。
荒れた海の潮目の釣りに、これほどの爆発力を持ったワームを僕は知らない。
2010/12の海で、たけさんが「変わった釣り方」と呼んだ釣りも、これが肝になっていた。
一体これの何がアピールするのか。
それはおそらく計算を超えた偶然である。歴史的ルアーの出自がことごとく偶然であるように、これもおそらく偶然である。
その偶然に多く共通しているのはおそらく「波動」だ。多分、これもそうなのだろうと思う。この変な形がなんか知らんが凄いのだろうと思うw
泡の筋は刻々と位置を変える。まるで「メバルはここにいますよー」と教えるがごとく海に横たわる。
魚を探す事は既に必要なく、今やそれはいかに掛けていかに穫るかに変わっている。
幾分破壊されたgulpの枠を上下入れ替え刺し直す。
キャストする。泡の筋はそれに沿って流せる方向に出ていた。
魚が見えている余裕がまたレンジを下げさせる。
下では本当に掛けられないのか?
コココ。すぐにあたる。コッコッ!いつまでもあたる。しかしフックは口に入っていない。分かる。合わせない。
しかしあたりは続く。コッコッコツッ!
ええい!とじれったくなって強く掛けに行く。
ビシッ!と、抜ける。
ピックアップしたのはジグヘッドだけだった。ちぎられた。
枠の在庫はもうない。あらら。
海の状況は集中力を要求していた。
がん!と来てすぱん!とあわせる。そういう単純な状況ではない。
食っているものはおそらく小さい。
意識がくぅ~っと海中に入って行く。
いつものbaby sardineの白を刺し水面を流してみる。
すぐにあたり掛けたが小さい。続けるがそれもまた小さい。投げた数だけ連発はするがどうしても25を超えない。
納得がいかぬまま、ずれて止まらなくなったbaby sardineの白を取り替える。
密封タッパーを開け再び白を取り出そうとしたが、手がためらい、何となくピンクをつまみ出す。
僕はこのカラーをほとんど使わない。その意味が理解できない。
今日も在庫の少なくなったbabysardineの補充の意味で
ずいぶん以前に買って棚ざらしになっていたこのカラーを渋々入れて来ただけである。
魚はいる。レンジも合っている。しかしサイズが出ない。何かを変える必要があった。そしてそれは、カラーしかなかった。
キャストする。同じ潮目。同じライン。同じレンジ。
泡に沿ったリトリーブにかすかな違和感が出て、微妙にもたれかかるような重量がティップに乗った。
?ゴミ?いや...。
ロッドを少し引いて聞いてみる。
もぞ...。
!
しまった遅れたと反射的にあわせを入れる。ドンッッと乗る。
おおお、来た。そこそこでかい。25では全然ない。
手早く寄せ、抜き上げる。
28か。
このサイズアップに意味はあるのか?カラーをピンクに変えただけだ。信じていない色に。
続けてみる。ややその位置を変えた泡のラインをかすめる角度で引いて来てみる。
集中力はさらに高まる。普段は使い道が無く、鞘に納まったまま顔を出すことのない神経が、抜き身になり、光り始める。
ゾーンに入った。なかなか入らないが今日は入った。
それを「もわっ」と言えば良いのか「ほわっ」と言えば良いのか。
うまく表現のできない空気感のある軽くなるような感触が来た。
あたりだ。そう思った瞬間ティップがぬぅーと引き込まれる。
負けずにこちらもぬぅーとあわせ返す。
そののったりとした初動が次の瞬間爆発に変わった。これでもかこれでもかと走り回る。
きた。30。
僕の持つバッカンのふたの直径はちょうど30cmである。それを理由に選んでいる。
そこにあてがいサイズを確認しそのまま中に滑り込ませる。
あたりは弱い。しかし活性は高い。
視野がキュ~と狭くなる。水面のジグヘッドが通過する一点だけが、意味あるものとしてぼうっと輝いて見える。
3mのテトラに立っている事も、ロッドを握っている事もリールを巻いている事も、すべてが消えただ水中に繋がる感覚だけになる。
ジグヘッドまでの距離がきゅぅ~っと縮まり、この世に存在しているものが、意識と、海と、魚。それだけになる。
こうなると僕は強い。
また空気感のあたり。
さっきは感じなかった生命をそこにはっきりと感じる。後ろから来て、口を開け、吸い込み、口を閉じる。
見ているようにそれが解る。いや、見ているのだと思う。人間が「見る」為に使うものは眼球だけではない。
あわせた。体が。勝手に。意識しないまま。
ドカンと乗った感触はまたそのサイズを予感させる。走らないが重い。いったのか。
いや。いかなかった。29cm。
しっかし太い腹だな。プリスポメバルと同じサイズのその腹の中に、ぎっしり詰まっているのはすべて食料だ。
それにしても分からない。なぜピンクなのだ。何の意味があるのだ。
大多数の人間の男性にとってそのカラーはある抜き差しのならない重い意味を持つが、メバルにとって「ピンク」って一体なんなのだ。
僕はここが分からない。緑と黒とクリアの意味はある程度理解している。白と黄色は違いがない。
しかし、ピンクと白の違いが分からない。
それが僕がピンクを使わない理由だ。
極度の集中は一切途切れない。神経は抜き身のままだ。
おそらく、今、僕は怖い顔をしているのだと思う。むき出しの顔をしているのだと思う。
以前、釣りから帰った僕の顔を見て、宴会で飲んでいたともちゃんがふと「猟師みたいな顔をしている」と言った。
きっと今もそんな顔をしているのだ。
掛け続ける。体がオートマティックに動く。ゾーンに入ってから一本も外さない。
テールだけをくわえるあたりも分かる。
それを無視してそのままリトリーブを続け、その同じ魚の口にフックが入った瞬間も分かる。
26なんて小さい。
引きはしないがやたら重いのでまたいったのかと思えばアフロヘアーの23cm。
かと思えば
ずどんとまた29。
投げる数だけ続き、サイズは今やてんでバラバラである。
前回の日記の20と29は明確な棲み分けをしていた。
端から見れば同じ場所から抜いているように見えたかもしれないが、あれは違う生活をしている魚だ。
しかし。今日は見えない。どう考えても同じ場所から20も尺も飛び出してくる。
少なくとも「今の」僕にはその棲み分けは見えない。
まだまだだ。
風が吹き始め、ぱらぱらと雨が落ち、うねりのピッチが縮まり、強くなる。
ここに来る道中で通らなければならない低いテトラが波に洗われ始めた。
帰れなくなるな。
まだいくらでも釣れる海だったが引き上げる。
高い位置のテトラまで登り、振り返り、腰を下ろし、名残惜しくその海を見ていた。
泡のラインが次々と生まれ、消滅し、また生まれる。
抗いがたく、この文章が心に浮かんだ。
「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし。」
そのあとなんて続いたっけ。記憶が遠い...。
「世の中にある人と...住処と...また...かくの如し。」
だったか。
疲れてるんかな。身に染みる。
無常。
ということ。
おまえらだってついさっきまでこんな目に遭うなんて夢にも思ってなかったろ。
そして、日本人だって...。
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