イバラノツルヒコの華麗なる生活

ボンソワール、今夜も僕と素敵な話をしよう

消える言葉

2005-12-21 20:03:51 | Weblog


ある人の文章が好きで、幸いその人はちょっとしたエッセイみたいなものをネットにも発表しているから、ときどき読みにいくんだけど、読むたびに「ああ、この人の文章はいいなあ、うまいなあ」と思う。うまいといっても修辞的に、とか技術的に、というのとはちょっと違うんだけど。

実は、最初にこの人のエッセイを読んだときには大して心にひびかなかった。なんだか当たり前のことを大事そうに言われているような気がして、「ふうん」という感じで読んでいたと思う。それがあるとき、自分がいつもなんとなくモヤモヤと感じていたことを、すごくわかりやすく書いていて、しかも結構本人にとっては格好の悪いようなことまでが正直に書かれていて、その文章にものすごく共感した。

それで気がついたんだけど、この人の文章はいつだって「当たり前」のことなんか書いていなくて、あまりに文章がわかりやすくて、共感しやすくて、まるで読んでいるうちに「自分でもそう思っていた」っていう風に思い込んでしまうくらい自然なので、読み終わったときには「そうだよね、僕もそう思っていたんだ」とか「そんなの当たり前だよね」って感じてしまうんだ。

相手の気持ちや思いが、いつのまにか自分のことであるように感じてしまうような、そういう文章ってすごいよね。文章そのものは自己主張しなくて、地面にしみ込む水みたいにすっと消えてしまう。でもしみこんだ部分はまるで最初から僕の一部だったみたいに吸収されていて、しらないうちに僕をちょっとずつ変化させてしまうんだ。

どんなに良い言葉でも、正しい意見でも、相手を無理やりねじふせるようなやり方じゃあ、その場では従えることができても、内面から相手を変えることは難しいと思う。一見水や空気みたいに、誰もその大切さに気づかないでいられるような存在が、結局一番人に影響を与えているのかもしれないなあ。もちろん強烈なカリスマ性があって、その人の文章が多くの人々をひっぱっていくようなタイプも、すごい才能だと思うけどね。