鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ224] 日本人とか日本社会とか(4) / 人の遺せる最大遺物とは 

2023-03-09 13:16:02 | 生涯教育

薩長政府のいわば「金銭万能主義」に対する鑑三翁の言論による指弾は痛烈なものであった。しかし鑑三翁は「金銭の大切さ」を否定していたわけではない。むしろ「金銭」の重要性を鑑三翁は十分に認識していた。1891(明治24)年30歳の時に、病の床にありながらいわゆる「教育勅語奉読式の不敬事件」にて職を追われ、その直後に妻かずを喪った鑑三翁はその後困窮していった。その悲嘆と困窮の只中で執筆されたのが『基督信徒の慰め』、『求安録』(共に1893年刊行)である。これら著作は生活費捻出のために出版されたと考えられる。しかしキリスト教系の出版物には売り部数に限界があった。その当時は貸本屋から毎月借金をし、住居も貸本屋の離れを借りていた。『万朝報』で薩長政府に対する痛烈な批判を展開したのはその後のことである。鑑三翁はその後も『東京独立雑誌』、『聖書之研究』といった出版経営者でもあったので、「金銭の大切さ」は身に染みて知っていた。

鑑三翁が1894(明治27)年に箱根で行ったキリスト教青年会夏季学校での講演録『後世への最大遺物』(『聖書之研究』136号〈1911年11月〉初出の『デンマルク国の話』と共に岩波文庫〈1946〉に掲出されている)では、「後世へのわれわれの遺すもののなかにまず第一番に大切のものがある。何であるかというと〈金〉です。」(p.20)と断じているほど、鑑三翁は金銭の重要性を説いている。ただしその金は薩長政府が国庫の資金を勝手気ままにばら撒き、市民国民を懐柔するためにこれを支給し、軍備増強のために使い、妾を何人も抱えている放縦な資本家にこれを贈与し、その見返りを得る、といったような使途のためではない。鑑三翁は続けてこう記している。「われわれが死ぬときに遺産金を社会に遺して逝く、己れの子供に遺して逝くばかりでなく、社会に遺して逝くということです。」(p.20)と。金は金でも鑑三翁の金は正当な労働によって得られるもので、社会のために正当に用いられる金ということだ。鑑三翁は、そのような金を尊いものだと言っている。

因みに鑑三翁の言う「最大遺物」の二番目とは何か。「それで私が金よりもよい遺物は何であるかと考えてみますと、〈事業〉です。事業とは、すなわち金を使うということです。」と言っている。そして〈金〉も〈事業〉も遺せない者は何を遺すか。「それならば最大遺物とは何であるか。‥人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのてきるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは‥〈勇ましい高尚なる生涯〉であると思います。」(p.58)

人間は「お金」を遺しなさい、それができなければ「事業(仕事)」を遺しなさい、これらを遺せない者は「勇気ある気高い人生」を遺しなさい、というのが鑑三翁の「哲学」だ。薩長政府の内部の人間や、これと強く繋がり国家の公金を白昼堂々とお互いの懐に入れるシステムを作っている産業界の人間たちは、尊王だ愛国だ正義だ公論だと叫びながらも、それは口先だけであって、政権を握って三十年しか経たないのに、武士道の如き”真道”は日々衰退し、贅沢奢侈は日ごとに増し、政府の官吏は傲慢で狡猾、実体は卑陋(身分・性行が卑しく下品なこと)極まりない人間たちだと鑑三翁は断じている。

今こうして私が記している現今の日本人の哲学は、まさに拝金哲学であり生殺与奪も金次第、老者が生きるも死ぬも金次第といった哲学が強烈に蔓延してきた。拝金哲学が上から下まで日本中を支配している。貧しい老者は長く生きる価値もないので安楽死させたらいい‥と平然と言い放つ輩のTV発言がSNS上で多くの若者たちの支持を得て彼は毎日TVで引っ張りだこだ。このような現今の日本に鑑三翁が生きていたら何を語るだろう。第一は金、第二も金、第三も金‥仕事(事業)や人生の尊さが遠ざけられている現実に呆れるだろう。文明は少しも進歩しておらず、むしろ退行していることを目の当たりにして、預言者内村鑑三は大いに落胆し、預言が的中していることに得心することだろう。そしてサラバと言って消えることだろう。


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