※仏教観など:
「我等の心霊の友はウェスレーなるよりも寧ろ法然なり、ムーデーなるよりも寧ろ親鸞なり、宗教の同じきは信念の傾向の同じきに如かず、我等がイエスを仰ぎ奉る心は、法然親鸞が弥陀仏に依頼(よりたの)みし心に似て、英米の基督信徒がキリストを信ずるの心に類せず、我等は勿論イエスを去て釈迦に就かんと欲する者に非ず、然れども神が我等日本人に賜ひし特殊の宗教心を以て我等の主イエスキリストを崇め奉らんと欲す。」(全集14、p.366)
「(世人一般の評に仏教は世界の宗教中最も哲学的の者だと申しまするが貴下も爾(そ)うお考へなさいますか。) 左様さ、若し「哲学的」とは「形而上学的」を謂ふ者ならば爾うかも知れません。仏教程其教義の中に多くの逃道を供へたる宗教はありません。実に仏教は凡ての宗教を綜合した者の様に思はれます。其内に何んでもありまするのは何んにも無い事を証拠立てるかもしれません。 (然し貴下は其れが我国に為したる大なる善事を否むことは出来ますまい。) 左様、ソレは貧者と虫けらに対する憐憫を教へました。然し自由平等等の大問題に就ては全く沈黙を守りました。仏国は隠遁者を作ります、然し勇者と愛国者とを作りません。」(全集7、英和時事問答(10)、p.221)
「儒教に戦々兢々として薄氷を践むの感あらば基督教に躍々として天に昇るの感あり而して我は謹慎戦慄の教義に優りて欣喜雀躍の宗教を択ぶものなり。」(全集7、p.446)
※政治観など:
「貧しくして慧(かしこ)き青年は 老いて愚かにして諫言を納(いる)る事を学ばざる王に愈(まさ)る、彼れ牢獄(ひとや)より出て王となれば、王は其国に在りて乞食(こつじき)となる、我れ日の下に歩む所の群生(ぐんせい)が、王に代りて立し所の青年の下に群るを見る、際限(はてし)なき民衆其前に在り、然れども彼の後に来る時代は彼を悦(よろこば)ざる也、是も亦空にして風を捕ふる事なり」と(伝道之書、四章十三-十六節)、…政治の事たる多くは是れ空にして風を捕ふる事なるは誠実の士にして之を試みし者の等しく看破せし所である、政治は決して人生の最上善ではない、縦(よ)し之に成功して総理大臣となり、大勲位を授けられ、正一位を贈られて墓に下るとも、政治の事たる豊太閤の歎ぜしが如く「浪速のことは夢の世の中」である、…政治は婬婦の如き者である、「神の悦び給ふ者は之を避くるを得べし、然れども罪人は之に執(とら)へらるべし」である(伝道之書七章廿六節)。」(全集22、p.69)
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精神医学者のC.Gユング(1875-1961)はキリスト教信仰のカトリックとプロテスタントを次のように比較しています(C.G.ユング・林道義訳:ヨブへの答え、みすず書房、1988)。「カトリックは原型的なシンボルが世俗的に発達してゆくに任せ、それが理解しにくかろうが批判を受けようが、元の形のままで押し通している。この点にカトリック教会の母性的な性格が見られる、‥それに対して父性的な精神によって義務づけられているプロテスタンティズムは、初め世俗の時代精神との対決から形成されたばかりでなく、その時代の精神的潮流との論争も続けている。」(p.149-50)
このユングの記述は簡潔にして要点をついています。この記述に従えば、日本では内村鑑三こそ、プロテスタンティズムの代表的なキリスト者であると私は断言します。つまり鑑三翁こそ、”世俗の時代精神との対決から形成された”思想を醸成し、それを武器として”精神的潮流との論争”も続けてきた人だと確信しています。私にとっては、鑑三翁の言葉は今なお生きていて、今日日も活き活きと発言を続けているようにさえ思われます。共に2018年に出版された先述の新保祐司氏や若松英輔氏の著作も、明らかに”今なお生き続けている内村鑑三”の視点から執筆されているように思われます。