『祝すべき哉疾病(やまひ)』(私の前回までの連載では「病気は感謝すべきもの」)は、鑑三翁が創刊した『聖書之研究』139号に掲載されたもので、1912(明治45)年1月のルツの死の1か月後に発表されました。「全集19」(1982年発行)には、これに続けて『最後の一言』『生涯の決勝点』が掲載されています。またルツの死の翌年(1913年)には、鑑三翁の心情が吐露された『聴かれざる祈祷(一)(二)』が発表されています。さらにルツを墓に埋葬した際の心情を1915(大正4)年に公表(『愛女の墓に葬る』)していますので、これらをルツの死にまつわる一連の論稿として、前回までの連載(Ⅱ68~Ⅱ71)で現代語訳しました(1990年発行の「選集8」では『祝すべき哉疾病』のみが選定されています)。
鑑三翁の生涯を貫いた生き方の姿勢・態度は、常に彼の実存的な意識を潜り抜けて、キリスト教の真髄に迫っていった誠実に特質があります。したがって鑑三翁が随所で指摘し発言しているように、いわゆる神学的な論争や、神学体系そのものにはほとんど関心を示していません。ただし自分の実存が神学的問題と密接に関係する場合に限って神学的文献を渉猟しています。鑑三翁の死後に残された多くの書籍・雑誌文献資料は、鑑三翁のその誠実な姿勢を物語ります。同様にいわゆる「教会問題」にも強い関心を寄せてはいませんでした。ただし鑑三翁の主宰する集会における諸問題には全力で問題解決にあたっています。
ルツの死は鑑三翁に強い影響を与え続けました。そしてルツの死以後、鑑三翁はキリスト・イエスの再臨問題に取り組んでいきます。 それを象徴しているのが今回現代語訳した「死は恩寵である」(原題『祝すべき死』)です(Ⅱ72-76)。原文は全集19(選集8)に掲載されています。ここではルツの死によってもたらされたキリスト再臨への強い関心が表わされています。
鑑三翁は、ルツの死から6年が経過した1918(大正7)年1月に東京基督教青年館で聖書の預言的研究演説会を開催し、「聖書研究者の立場より見たる基督の再来」の主題で講演をしています。そして同年11月には『基督再臨問題講演集』(岩波書店)を出版しました。こうした一連の活動はルツの死が契機となって始まったと言っていいと思われます。
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(明治45年4月10日『聖書之研究』141号/署名内村鑑三)
現世に生きている人から見れば「死」(注:原文は「」は付されていないが私は強調の意味をこめて「 」を付した)はいまわしい単なる「凶事」にすぎません。まがまがしい不幸中の不幸、凶事中の最大の凶事でしかありません。現世に生きている人の立場から見て、「死」に良いことは一つもないのです。しかもこの「死」は万事の終わりだと言っています。
「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように」(へブル人への手紙9:27)、「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっている」(同2:15)のです。「死」を全てのものの終極として見ている現世の人たちには、棺を覆う真っ黒の布に覆われて全てが終わると考えるのも無理からぬことです。