鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅱ72] 『死の恩寵』(1) 

2021-08-30 22:12:54 | 生涯教育

      

『祝すべき哉疾病(やまひ)』(私の前回までの連載では「病気は感謝すべきもの」)は、鑑三翁が創刊した『聖書之研究』139号に掲載されたもので、1912(明治45)年1月のルツの死の1か月後に発表されました。「全集19」(1982年発行)には、これに続けて『最後の一言』『生涯の決勝点』が掲載されています。またルツの死の翌年(1913年)には、鑑三翁の心情が吐露された『聴かれざる祈祷(一)(二)』が発表されています。さらにルツを墓に埋葬した際の心情を1915(大正4)年に公表(『愛女の墓に葬る』)していますので、これらをルツの死にまつわる一連の論稿として、前回までの連載(Ⅱ68~Ⅱ71)で現代語訳しました(1990年発行の「選集8」では『祝すべき哉疾病』のみが選定されています)。 

鑑三翁の生涯を貫いた生き方の姿勢・態度は、常に彼の実存的な意識を潜り抜けて、キリスト教の真髄に迫っていった誠実に特質があります。したがって鑑三翁が随所で指摘し発言しているように、いわゆる神学的な論争や、神学体系そのものにはほとんど関心を示していません。ただし自分の実存が神学的問題と密接に関係する場合に限って神学的文献を渉猟しています。鑑三翁の死後に残された多くの書籍・雑誌文献資料は、鑑三翁のその誠実な姿勢を物語ります。同様にいわゆる「教会問題」にも強い関心を寄せてはいませんでした。ただし鑑三翁の主宰する集会における諸問題には全力で問題解決にあたっています。

ルツの死は鑑三翁に強い影響を与え続けました。そしてルツの死以後、鑑三翁はキリスト・イエスの再臨問題に取り組んでいきます。 それを象徴しているのが今回現代語訳した「死は恩寵である」(原題『祝すべき死』)です(Ⅱ72-76)。原文は全集19(選集8)に掲載されています。ここではルツの死によってもたらされたキリスト再臨への強い関心が表わされています。

鑑三翁は、ルツの死から6年が経過した1918(大正7)年1月に東京基督教青年館で聖書の預言的研究演説会を開催し、「聖書研究者の立場より見たる基督の再来」の主題で講演をしています。そして同年11月には『基督再臨問題講演集』(岩波書店)を出版しました。こうした一連の活動はルツの死が契機となって始まったと言っていいと思われます。

◇◇◇◇◇◇◇

(明治45年4月10日『聖書之研究』141号/署名内村鑑三) 

現世に生きている人から見れば「死」(注:原文は「」は付されていないが私は強調の意味をこめて「 」を付した)はいまわしい単なる「凶事」にすぎません。まがまがしい不幸中の不幸、凶事中の最大の凶事でしかありません。現世に生きている人の立場から見て、「死」に良いことは一つもないのです。しかもこの「死」は万事の終わりだと言っています。

「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように」(へブル人への手紙9:27)、「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっている」(同2:15)のです。「死」を全てのものの終極として見ている現世の人たちには、棺を覆う真っ黒の布に覆われて全てが終わると考えるのも無理からぬことです。

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[Ⅱ71] 『病気は感謝すべきもの』(5)  《付》  

2021-08-28 18:29:51 | 生涯教育

     

《聴かれざる祈祷(一)》 

(全集20/p.98-99) 

イエスは「わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さる」(注:ヨハネの第一の手紙5:14)と神が述べられたのに対して、ここに聴かれなかった祈祷の顕著な例が三つあります。一つはモーセの祈祷が聴かれず(注:申命記3:24-27)、パウロも聴かれず(注:コリント人への第二の手紙12:8)、そしてイエスご自身もまた聴かれなかったのです(注:マルコによる福音書14:35、36)。  これらのことから私は祈祷が聴かれなかったことが、必ずしも悪いことではないことを知りました。憐憫(あわれみ)があり恩恵(めぐみ)がある神は、時にはその忠実な愛する子の祈祷を退けられることがあるので、即ち祈祷が聴かれることが必ずしも神の恩恵とは限らないこと、祈求(ねがい)が退けられることが必ずしも呪われたとは限らないことを知りました。(注:中略しました) 

イエスご自身も、聴かれた祈祷によってではなく、聴かれなかった祈祷によって神に近づき、神の深奥の事柄を知ることができたのです。神に捧げた祈祷が聴かれたからと言って喜ぶ信者は浅い。深い信者はかえって祈祷が聴かれないことを喜ぶのです。神は一旦その御顔を隠されますが再びより美しい御顔を私たちに向けられるのです。愛なる神は時々その愛する子を欺かれますが、そのようにして彼らが欺かれないのをご覧になって、さらに大きな愛を彼らの上に注がれます。(注:以下略しました) 

 

《聴かれざる祈祷(二)》 

(全集20/p.101-02) 

「夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る」(詩篇30:5) でした。私の懐疑の夜もまた短かったのでした。朝はすぐに来て、私は涙と共に喜びました。神は私の願いを退けられて、私と私の愛する者に恵みを賜わったことを知りました。

死んだ私の娘は復活したのです。彼女の生存は生前よりもさらに確実なものとなりました。天国の門は私のために開かれました。彼女の姿形が見えなくなってから、私は彼女の霊を私の霊に懐くようになりました。今や彼女は永久に私の娘です。何人も私から彼女を取り去ることはできません。私は彼女を喪うことを恐れていました。しかしながら彼女を喪って初めて彼女を永久に、しかも確実に彼女を私の娘となすことができました。神は私の祈祷を退けて、さらに深い意味における私の願いを取り上げて下さったのです。私は今は神がこのことに関して、私の祈祷を聴き届けられなかったことを感謝します。 

このほかに私がなお聴かれなかった祈祷が残っています。しかし私は今や聴かれなかったことをもって神を追及しません。私はその神が私をご自身に引き付けようとされて仕組んだ恩恵(めぐみ)の手段であることを知りました。故に父なる神の「愛の詐術(さじゅつ)」に欺かれず、これによってより大きな恩恵にあずかることができます。私にとって聴かれなかった祈祷があったことは、神が特段に私を愛していただいたことの証拠です。 

幸いな者とは神に全てを聴き入れられた者ではありません。彼がその最も願うところのものを聴き入れられなかった者です。モーセはこのような人でした。エレミヤもこのような人でした。パウロもまたそのような人でした。そしてイエスご自身がそのような人であられました。(注:以下略しました) 

(『病気は感謝すべきもの』/終わり) 

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[Ⅱ70] 『病気は感謝すべきもの』(4)   《付》

2021-08-24 22:03:12 | 生涯教育

《愛女を墓に送る》 

大正4年1月10日/『聖書之研究』174号/署名 彼女の父 記す 

今からちょうど三年前、ルツ子の埋葬当時に書いたものです。これを読んである人は笑うでしょう。しかしある人は何か学ぶところがあると思います。私は嘲笑する人のことは考えず、私に心を寄せてくれる人のためにこれを掲出することにしました。 

◇◇◇ 

私は私に残された全ての野心をルツ子の亡骸(なきがら)とともに、彼女の墓に葬りました。私はそれ以前に、既に大抵の野心を葬ったつもりでした。政治的野心、文学的野心、科学的野心、社交的野心は既にこれを葬ったつもりでした。しかし私にはまだ野心が残っていました。宗教的野心、聖書的野心、伝道的野心、善行的野心とでも言うべき野心が残っておりました。

日本に使徒時代(注:新約聖書のキリストの使徒たちが生きた時代の純朴で熱情的な信仰のことを指すと思われる。) の純潔無垢のキリスト教を教えてほしいとか、最も完全な日本語訳聖書を後世に残そうとか、さらに大きな善行によって多くの人たちを救済しようとか、このような野心は私には確かに残っていました。私はこのような野心によって心を悩ますことが少なくありませんでした。私には現世的な野心は無かったつもりでしたが、私は決して全き幸福者とは言えませんでした。 

しかしルツ子の永眠によって、私の心に残っていたこれらの野心は全く取り去られました。私の野心の腰の骨は折られてしまいました。私は野心家の立場から見ると、「無我無心」の人間となったのです。何の野心もない人間となったのです。そして自己自身を神の御前に投げ出しました。私は神に言いました。 

「主よ、私をいかようにもあなた(貴神)の御心のままになさってください。私には今は何かを為したいという欲心はありません。私は何を為すべきかがわかりません。したがって私は今、自分をあなたの御前に差し出します。いかようなりとご随意に私を使ってください」と。 

私は今はクラゲのような者となりました(注:優柔不断で意思のはっきりしない者をこのように称したのか。)  私は神に使われようとするほかに意志もなければ野心もありません。計画もなければ大きな意図もありません。私の友人のある者は私の今後の仕事の大きな発展を話していますが、私にはそのような希望もなければ欲望もないのです。私は愛する娘と共に墓に葬られたように感じました。そしてこの感情は決して悪い感情ではないと信じます。この感情は、確かに神が彼女の永眠を機に私に賜わった感情であると信じます。私は今に至って初めて、パウロの次の言葉の深い意味を理解することができたのだと感じます。 

「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ人への手紙2:20) 

今から後に、私の身から何か少しでも神の御心に叶う仕事ができるのであると思う。 

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[Ⅱ69] 『病気は感謝すべきもの』(3)  

2021-08-19 17:39:35 | 生涯教育

《最後の一言》 

「モー往きます」とはルツ子の最後の一言でした。彼女はこの言葉を発して後十二分で息を引き取りました。 

「モー往きます」この言葉は簡単なようですが意味深い言葉です。 

「往きます」なのです。「死にます」ではありません。または「滅(き)えます」でもありません、彼女の生命は終止したのではありません、延長したのです。彼女の場合においては、霊魂の不滅は事実として証明されたのです。 

「モー往きます」と、何処へ? 悪い所に往くのではないのは勿論です。彼女の死に顔が、その口元に微笑を留めているのを見て、善い所へ行ったことを知りました。そのとき彼女に先だったフサ子やイチ子(注:共に鑑三宅に住み込みで働いていた家事手伝いの女性。高橋ツサ子は岩手県花巻出身、鑑三翁の弟子斎藤宗次郎を介して突然上京したものの鑑三翁は一旦は送り返した。その後もツサ子の懇願に負けて一時期鑑三翁の自宅で短い期間家事手伝いをした。ルツの病臥中に花巻にて早逝したが、その死はルツには知らせなかった。) らはルツ子を迎え、天使は既に彼女を抱いて光輝の国へと彼女を携えて行ったのであろうか。私たちはこのように信じたいと思う。 

「モー往きます」とルツ子は言ったが、何ゆえの「モー」なのだろうか。もはや既にこの世で為すべきことを為し終えたが故に「往く」との意味なのだろうか。 あるいは受けるべき苦痛を全て受け尽し、飲むべき苦い杯(さかずき)を飲み干したので「往く」との意味なのだろうか。さらに、あるいは光輝の国は既に彼女の目に映っているので、もはやこの汚濁に満ちたこの世に居ることが耐えられないので「往く」との意味なのだろうか。言葉は簡単でありながらもその意味を理解し難いものでした。しかしながら理解し難いとは言え、推察することは難しくありません。

ルツ子のこの言葉の一言に、主の 

  「すべてが終った(事竟りぬ) 」(ヨハネによる福音書19:30) 

の音色を聴き取ろうとしましたが、それは叶いませんでした。 

いずれにしてもルツ子のこの最後の言葉は、死の河のこちら側から発せられたのではないことは明らかでした。これは彼女が既に 

   河の彼方の岸辺に立ちて  (注:讃美歌か? 不詳) 

彼女の枕辺で彼女を送りつつある彼女の父と母に向けて発せられた言葉に間違いありません。我らはここに墓の彼方からの明らかな音信に接したのでした。 

「モー往きます」、脈拍が止まってからほとんど四十五分、一時間以上の死との苦闘を続けた後に、ルツ子の唇から発せられたこの尊い一言、しかも苦痛の様子も見られず、少女らしい自然の声、ああ年は来たり、年は去る、世は移り、物は変わるとも、我らはこの一言を忘れることはできません。

お願いします、我らもまたこの世の仕事を終えて聖父(ちち)の国に往こうとするとき、 

  モー往きます 

の言葉を発して、彼女の往ったところへ往けますように。 

 

《生涯の決勝点》 

生は美しいものです。しかし死は生よりも美しいものです。生のための死ではない。死のための生です。美しく死んだ者が生を全うしたのです。あたかも競技場における競技のように、生涯の勝敗もまた最後の一分間において決せられるのです。この一分間に遅れをとって生涯は失敗に終わるのです。生涯のこの決勝点に於いて神から特別の力を賜わり、走るべき道程を走り終えた者は幸いです。

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[Ⅱ68] 『病気は感謝すべきもの』(2) 

2021-08-16 12:37:49 | 生涯教育

◇◇◇◇◇◇◇ 

(明治45年2月10日『聖書之研究』139号/署名なし) 

ルツ子の病気の原因などは不明でした。医者は局所不明の結核と診断され、または細菌性の混合感染症の発熱と診断され、または慢性脚気に併発したものとされ、医者の診断は様々で確定診断はなされませんでした。ただ執拗な高熱が続いたため衰弱した結果亡くなったことは確かなことでした。 

病気が何であったのかは医学上の問題として残るでしょう。しかし彼女を死に至らしめた病気が、彼女の霊魂を完成するに際して偉大な効力を発揮したことは疑うことはできません。彼女の肉体を焼き尽くしつつあった病気は、同時に彼女の霊魂を完成させつつありました。無邪気だった彼女は六か月間の病気の苦しみを経てからというもの成熟した信仰をもつ女性へと変貌したのです。病気は彼女の肉体を滅ぼして彼女の霊を救ったのです。だから私は言うのです、「病気は感謝すべきもの」だと。 

特に医者から死の宣告を下された後のルツ子は信仰面で立派でした。神とキリストの名を聴いて彼女の目は涙に浸されました。彼女は自分の罪を悔い改めて、そのことを神の前に言い表して赦しをいただいたのです。彼女はまた彼女の全ての敵を赦しました。彼女は言いました、「私の心の中には一つの怨恨もありません」と。病床にあるときは彼女は瞑目して感謝の言葉を言わなければ、食事もとらず薬も服用しませんでした。彼女は普段は信仰に関してはとても無頓着のように見えたのですが、命の終焉に近づくにつれて篤信の女性となっていったのです。 

特に臨終の三時間前、彼女が私たち両親と共に聖餐式に臨んだとき、これは彼女にとって生まれて初めての聖餐式であったにもかかわらず、彼女はその深い意義をよく理解した様子で、自らその細くなった手で杯をとり主の血を飲み終わると、死に瀕した彼女の顔に歓喜の光が顕れて、彼女ははっきりした声で 

  感謝、感謝 

と繰り返したのでした。誠に死を宣告されてから死に至るまでの五週間は、彼女にとっては全き信仰の生涯でした。普段の彼女を知っている私たちは、これを見て異様な感に打たれたのでした。 

人の命の尊さは、健康にあるのではありません。聖霊のゆえに尊いのです。人間の身体は聖霊の宿る宮殿です。聖霊は人間の身体に存在してその霊魂を完成させていただいているのです。生命は必ずしもこれを保留し続ける必要はありません。しかしながら聖霊はその業を完成させないことはありません。したがって聖霊の御業(みわざ)が完成してからは人間は何時死んでもいいのです。それは人間はこのために生まれてきたからなのです。 

「クリスチャン医師とは誰のことを言うのですか?」(注:この「 」の部分は大文字を使っている)   聖書の言葉に叶って、身体を聖霊の宮殿として神聖に扱う者のことです。生命を永らえさせ健康回復の道が途絶えても、決して医業を放棄しない者のことです。医師もまた伝道師と同じく、神と共に働く者でなければなりません。身体という聖殿において、精霊にその聖業を成就していただく者でなければなりません。

私はルツ子において、病気を利用して霊魂を完成し給う聖霊の奇跡的な御業を拝見しました。誠に神を愛する者にとっては、恐るべき病気もまた働いて益を為すことを目の当たりにしました。驚くと共に感謝すべきことだと思いませんか。

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