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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅵ292] 安楽死/考 (15) / あなたは安楽死を望んだか‥

2024-04-23 15:43:00 | 生涯教育
 
私自身の体験である。ある日突然妻の若菜がスキルスの診断を受けた。若菜はおよそ4か月の闘病の末に5歳と1歳になったばかりの二人の子どもと私を残して天国に帰った。この間私は若菜には病名を告げなかった。彼女との闘病の日々のことは既に書いた《連載 [Ⅲ134-184]我がメメントモリ(1)-(51) 》。
私は若菜の苦悶を見ているのが耐えがたかった。しかし彼女には苦悶の時間が過ぎると平安の時間が訪れることがあった。この平安の時間の中で私は若菜とあらゆることを話した。病室のソファーで寝ている私の指と若菜の指とを緑の毛糸で結んでおいて、目覚めて尿意を感じたときなどは若菜がこれを引っ張って私を起こした。私は彼女の排泄のケアをして後便器を病棟の廊下の端にある洗浄機で洗浄して病室に戻る。すると束の間静かな時間が流れ二人で話し込んだ。結婚する前の手紙のやり取りをした日々の事、新婚旅行の時の約束、子どもの将来の事、若菜のいない家での子どもたちの生活ぶり、全治したら行きたい旅行先のこと、医師や看護師さんたちの評価‥だが私も若菜も病名に関して話をしたことは一度もなかった。その話題も出なかった。私と若菜は一日一日を刻々と生きた、若菜は死を抱き悟り覚悟を決めていた、だから話をする必要もなかった。若菜は十全に悟っていた、若菜は私に病気や病名の事実を語って欲しくはなかった、そのことを私は知っていた。それは”ごまかし”や”曖昧さ”とはほど遠いものだった。誠実な時間だけがそこにはあった。
《数日前の夜喉に何かが詰まり私は気絶してしまった、看護師と医師が適切な処置と注射をしてくれた、意識が戻っても呼吸困難は続いた、その時に私は苦しさのあまり”死にたい!”と言葉を吐いたと思う、ユウキは何も言わずに私の手を握りもう片方の手で背中をさすってくれていた、私は”死にたい!”と何度か言葉を吐いたと思う、が覚えてはいない、いつのまにか私は寝入ってしまった、翌朝目が覚めると私の目の前にユウキの顔があった、ユウキに私は”おはよう‥きのうごめんね”と言った、苦しさのあまり医師と看護師をユウキが呼んでくれたことは覚えている、ユウキは”おはよう”と言い病室のカーテンを開けた、また朝が来たのだ、こんな病室の窓辺の植栽にも鳥がとまって啼いて朝を告げている、敬一と静雄は今朝も元気に朝を迎えたかしら、静雄はおばあちゃんの作った離乳食を食べられるかな、敬一は今朝も一人で家の周りを走ったのかな、二人とも私がいなくてとても寂しいんだろうな、でも、でも、私にはもう静雄におっぱいをあげるだけの力が残ってはいない、敬一が寝る前に楽しみにしていた本読みもしてあげることはできない、生きる力がもう残っていない気がする、またあの苦しみが私を襲うのだろうか‥しばらくしてユウキが言った”今日もできたてのパンを買ってこようか?コルネとかクリームパンとか!” 私は少し何か食べたいような気になった、”ユウキにまかせるよ!”と私は返事した、少し今朝は声も出ているような気がする‥》
《今日は山形の父とお姉ちゃんが来てくれるらしい、私の小さなときから面倒をみてくれて、心の底から理解してくれていたお姉ちゃん、ほんとうにありがとう、でも私はもうすっかり生きる力がなくなってしまった、もっともっと生きていたかった、もっともっと敬一と静雄を抱いていたかった、ユウキと一緒にもっともっと遠くまで歩いて行きたかった、母も父も叔母も、どんなにか悲しんでいることか、でも私にはもうその力が残っていないことがわかるの、お姉ちゃん、私が愛してやまなかったこの人たちを、どうか慰めてあげてください、愛してあげてください。私に倍する力で抱きしめてあげてください。お願いね。そして、お姉ちゃん、私を愛してくれてありがとう。》
死に臨んでいる時期は死との往還の日々のようだ。そして遂にやってくる死は生命の終焉である。紛れもない事実だ。しかし人間の全ての事柄がこれで何もかも終わることを意味してはいない。「主にあっては、一日は千年であり、千年は一日のようである。」(聖書ペテロの第二の手紙)とある。若菜との一日一日がそのようだった。若菜と死に臨んだ最後の日々は「完璧な」一日一日だった。稀有な日々でそれは永遠に通じていたと信じている。
若菜は「安楽死」を望んでいたのだろうか‥少なくとも「尊厳死」は望んでいたのではないか‥。喉を詰まらせて失神して気づいた時に続いてくる苦悶の中で若菜は”死にたい”と何度も言葉にしたことは事実だ。その時に私は判断停止のような感覚になると同時にどこかで”安らかに穏やかに死を迎えさせてあげたい”と心の底から思ったことも事実である。彼女は穏やかな死を望んでいた、私も穏やかに死を迎えさせてあげたいと思っていた。彼女はだがその苦悶が終わった後のひと時には、目の前に二人の子の笑顔があり愛する家族きょうだいの顔があった。衰弱した身体の全身が温かい喜びで満たされた。この瞬間に「穏やかな死」を望んだ自分はいなかった。
人間とはそういうものだ。
(「安楽死/考」おわり)

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