鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ225] 日本人とか日本社会とか(5) / 悪銭潔しとせず

2023-03-13 18:42:36 | 生涯教育

 

金銭は尊いものである。これが無ければ生活が成り立たない。それは人間・社会に恩恵を与えるものである。しかし金銭の使い方を間違えると、それは”魔物”となってしまう。鑑三翁の忠告である。「錢魔(ぜんま)を斥くるの辞(ことば)」として次のように記す。(ここでは現代語訳しない。)

【錢魔よ、錢魔よ、汝に金銀あり、土地あり、家屋あり、銀行あり、政党あり、教会あり、宣教師あり、伝道会社あり、而してまた幸福なる家庭も、子女の教育も汝の手に存すると称す、‥然れども錢魔よ、爾は確かに悪魔の族なり、時には慈善の名を籍りて天使の形を装ふと雖も爾は爾の真性に於て純然たる地獄の子たるなり、‥願くは我が主イエスよ、爾の能(ちから)に由り我をして此『二十世紀の悪魔』に勝つを得しめ給へ、‥】(全集13、p.162)

労せずして不当に得た金を「悪銭 (あくせん)」とか「泡銭(あぶくぜに)」と言う。鑑三翁はこれを嫌悪していた。薩長政府の取巻きの企業や事業家からの寄付や収益をも嫌っていた。いささか鑑三翁の頑なさも伺えるが、それが信仰に裏付けられた言論人鑑三翁の自負でもあり潔癖さでもあった。同じキリスト教世界の仲間たちの宣教活動資金に対しても容赦はない。「日米両国の組合協会」として鑑三翁は記す。

【日本のキリスト教組合教会(注:同志社出身の熊本バンド中心に1886年に設立。海老名弾正らを中心としたプロテスタントの一大教派の一つ。1941年に日本基督教団合流)においては、その会員の中に鉱毒王故古河市兵衛氏より寄附金を受けた者がいたのだが、これを非難する者は一人もいなかった。ところがアメリカの組合協会では、傘下の伝道会社が石油王ロックフェラー氏から十万ドルの寄附を受けたとして非難攻撃の声がやまなかったのである。アメリカの組合協会もひどく腐敗していると言われているが、日本の組合協会のようには腐敗してはいないことがわかる。私はアメリカのためにこれを喜び、日本のために深くこのようなことが無いようにと悲しんでいる。】(全集13、p.164)

ここに出て来る日本の組合協会とはメジャーな教会組織である。ここの組織の者が足尾鉱毒事件を引き起こした鉱山王と言われた古河市兵衛からの寄付を受けていた。ところがそれが発覚しても誰もこの行為を非難もしない。寄付そのものが”悪銭”であるのに、これを非難しない教会組織の関係者も鑑三翁の気に障る。アメリカでロックフェラー財閥の寄付を受けていた聖書の販売会社を非難した教会関係者の潔さを見よ‥と鑑三翁は言っている。

以上の鑑三翁の考え方・思想は、M.ヴェーバー(注:Max Weber、ドイツの社会学者、政治学者、経済史・経済学者、1864-1920)の名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳、岩波文庫、1989) を彷彿とさせる。プロテスタントの禁欲主義と資本主義の「精神」との適合性の視点から近代資本主義の成立を論じた名著である。鑑三翁の思想との比較に深入りしたいところだ。でもきっと多くの者がこの主題で論文を書いていることだろう。私に時間があれば挑戦したい主題だ。

また21世紀に入って、世界規模での国家における富の偏在と格差拡大、コロナ禍と国内外経済の脆弱性、デフレの長期停滞、グローバリズムの脆弱性、ロシアのウクライナ侵略戦争による世界経済の再編の動き、中国・インド・EU等の新たな経済圏の台頭と主導権争い‥等によって資本主義経済やグローバリズム経済の限界が明らかとなってきた。様々な意味で混迷の時代に入っている。鑑三翁の言うキリスト教的価値観は無意味になるようにも見えるが、私はそうは考えていない。希望は見いだしていかなければならない。


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