2023年10月28日、パレスチナ自治区ガザを2007年以来実効支配してきたイスラム過激テロ組織「ハマス」がイスラエル領に侵入し、奇襲テロを実行した直後、イスラエルのネタニヤフ首相は「アマレクが私たちに何をしたかを覚えなさい」と述べたという。アマレク人とは古代パレスチナの民を指す。BC15世紀モーセとイスラエルの民がエジプトから出てきた時、アマレク人はイスラエルの民を攻め撃った。これを理由に聖書記録では「あなたはアマレクの名を天の下から消し去らなければならない。」(申命記25:19)と記されている。ネタニヤフ首相はこの記録をガザ地区侵攻の根拠にあげる。しかしアマレク人は古代パレスチナの民だがとっくの昔に血族としては絶えている。こんなことが21世紀の今日日あっていいのだろうか。
ネタニヤフ首相の背後には岩盤のユダヤ教信者とラビたちがいる。彼らはエルサレムのモスクを爆破してユダヤ神殿を再建しパレスチナ人を追放するか皆殺しにし、来るべきハルマゲドン(※黙示録16:16)で勝利することを望んでいる。これは私には狂信と思える。(240821)
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ここまで記して鑑三翁が明治35年1月に『万朝報』に掲載した「困った国」の記事を思い出した。鑑三翁はこの記事の主題をつけるのに困惑しているような表情が浮かぶ。鑑三翁41歳の時の記事だ。全文を現代語訳した(全集10、p.9)。
【〇正義を唱える者は居る。しかし正義を行う者はいない。今やこの日本で正義を行う者がいたら、彼は逆臣とか国賊とか言われて終いには殺されてしまう。かつての東洋の君子国は、今や正義も行われないような国になった。 〇不義で成り立ち、不義が持続しているこの政府と社会は正義の大敵だ。もし正義を実行しようと望むのであれば、この政府と社会は斃さざるを得ない。しかしこれは「忠君愛国」の主義に反することであって、今の日本人はあえて行おうとはしない。正義を圧殺しても「忠臣」たろうとし「義士」たろうとするのが今の日本人だ。故に日本国家の改善は今の日本人には望むべくもない。
〇社会問題の解決はたやすい。即ちその法律的/倫理学的解釈は至ってたやすい。しかしながらその実行ということになると極めて困難だ(※原文は「難中の難」)。法も道も人によって行われるものである(注:ここで言う「法」は掟とか定めと考え、「道」はモラルや信仰上の教え、と考えたらいいと思う)。これを実行する人間がいなければ、法を正し明らかにすること(※原文は「明法」)、人として守るべきこと(※原文は「明倫」)は無いも同然だ。日本の法律は立派である、その道徳も立派である。しかしながら日本の裁判官は、学者は、教育家は、宗教家はどうだろうか、立派と言えるだろうか。
〇人をつくろうではないか(※原文は「人を作らんかな」)、人をつくろうではないか。人をつくって、その後に社会を改良しようではないか。これが私の唯一の社会改良の方法である。この事をさしおいて社会問題をあれこれ言う者(※原文は「喋々する者」これらは)たちは、兵隊を鍛錬せずに軍隊を語るような者たちだ。炭を燃やさないで汽車を走らせようと願う者たちだ。これらは不可能というものだ。それ故に他の者たちが社会問題に熱中している間に、私はキリスト教坊主(※原文は「耶蘇坊主」)となり、理想団団員(注:鑑三翁は1901〈明治34〉年「万朝報」社員であった黒岩涙香や幸徳秋水らとともに「理想団」を結成した。この団体は社会改良を通して正義の実現をめざし特に労働問題や女性問題に取り組んだ)として新人をつくりたいと願っている。】
鑑三翁がこのように記してから120年余も経過した令和の今でも、日本は「困った国」である。世界に冠たる優れた日本国憲法は立派で、宗教聖典でもなく完全無欠ではないが、制定以来75年間平和主義/国民主権/基本的人権の理念に立ち風雪に耐え立派に機能してきた百戦錬磨の尊い憲法だ。日本古来の仏教を下地とした伝統的な道徳も立派だ。日本の国民皆保険制度も世界に誇るべき優れた制度として、戦後の荒廃から立ち直りつつあった日本の市民国民の健康を守る砦として機能してきた。日本人の健康と長寿がこの制度によって維持されてきたことは誰もが認めるところだ。しかし高齢社会を迎えてこの制度も徐々に改変を加えていく必要性もある。
ところがこの国民皆保険制度を根幹から変更して、事もあろうに国民皆保険さえ達成できていないアメリカの利益最優先の民間保険事業者を制度に参入させようとしている政治家がいる。そしてマイナカードと健康保険証を統合して健康情報の一元化を図り、便宜さと低コストを優先させた無思想なドラスティックな医療制度の改変をリードさせようとしている。このような”アメリカ教信者”が政権政党国会議員の中に数多居る。汚い言葉だがまさに無思想な「売国の輩」だが、恐ろしいことに彼らに金魚糞のように連なる党派もある。彼らは安直で無思想な経済的生産性の視点からの「安楽死」「優生政策」の法制化を急ごうとしている。そして高額医療の制限を声高に叫び、国民を富める者と持たざる者とに分断した医療政策を掲げて、日本の市民国民を欺こうとしている。同時に彼らは闇雲で身勝手な論理と圧政的強権的な動機で崇高な「日本国憲法」を破壊しようとしている。その魂胆はアメリカ合衆国を構造的に動かしている宿痾「軍産国家」の如く、日本社会に構造的に巣食い始めた邪悪に満ちたものだ。
日本の政治経済社会は今日日歴史的変換点に置かれている事は衆目の一致する所である。だがこのような重要な局面にあって、亡国日本の政治家は、行政官は、裁判官は、学者は、大企業経済人・経済団体の長は、大企業正規社員のために存在する労働団体の長は、教育家は、メディアマスコミ人、宗教家はどこを向きながら変革を成し遂げようとしているのだろうか。彼らは自らの目先の"我欲"しか考えていない。全てをゼニカネ最優先の価値観で動かそうとしている。
「人をつくろうではないか、人をつくろうではないか。人をつくって、その後に社会を改良しようではないか。これが私の唯一の社会改良の方法である。」この鑑三翁のメッセージは、今でこそ耳を傾ける必要があるのではないかと私は思う。
(「世の変革者」終わり)