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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅲ154]  我がメメントモリ(21) / それから‥  

2022-06-27 08:38:54 | 生涯教育

若菜はボクたちの前からいってしまった。

涙はとうに涸れていた。ボクと父は、若菜のなきがらを前にして病院の霊安室にいた。ボクの身体がどこにあるのかわからなかった。そのボクをさがそうともしなかった。夜半から雨がしきりだった。

夜が明けると父には先に家に帰ってもらった。ボクは若菜のなきがらと一緒に、見覚えのある医師や看護師に見送られて、車で病院を出た。激しい雨になっていた。白布にくるまれた若菜は、何も応えてくれない。氷のように冷たい身体だった。昨日の最後のあの淋しそうな大きな目だけが、ボクの中でボクをみつめていた。

懐かしい家に若菜と一緒に入った。若菜を布団に横たえた。慟哭が来た。

そのときである。敬一が突然ボクの体にむしゃぶりつくなり、ボクを何度も何度も両のこぶしで激しく打ちながら声をあげた。

「泣いちゃだめだ! 泣いちゃだめだ! 」

《今帰ってきたというのに、お母さんは何も話しかけてくれない。動かない。そんなはずがあるものか。でもずーっと何も話してくれない。あのきれいなお母さんはどこに行ったのだ。今ここにいるお母さんは、ではいったい何なのか。なぜお父さんはこんなに激しく泣いているのか? お母さんは男の子は人の前であんまり泣くものじゃない、って言ってたじゃないか。おかしいじゃないか。お父さんは、お母さんの病気をきっと治してやると言っていたのに。やっぱりだめだったのか? だからこんなおかしいことが起こっているのか? 》

「そうだな、泣いちゃだめだな。」

ボクはそう言うと、敬一を若菜の枕辺に導いた。彼は不思議そうに、冷たくなった母親の高い鼻梁を撫で、頬を触っている。痛ましい死なぞ、敬一のなかにはあるはずもないのだ。静雄はおばあちゃんに抱かれて、あの神の幼子のような表情できょとんとしていた。昨日からの口内炎のために、杉並の医者からもらった薬で唇の周りを紫色にしていた。

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[Ⅲ153]  我がメメントモリ(20) / 最後の別れ

2022-06-22 20:44:17 | 生涯教育

 

若菜の不穏な状態は数日続いた。しかしその後ふたたび生気を取り戻し、ボクや叔母のことを心配したり、食べたいものを話題にするようにもなった。敬一と静雄に会いたいとしきりに訴えた。ボクたちも希望を取り戻していた。

ボクの日録では5月28日の日曜日に敬一と静雄を連れて、母と父、桜子、叔母とともにみんなで若菜のところに行っている。しかし、敬一と静雄にとって、これが母親との最後の抱擁になるとは、誰もが思っていなかった。

何十年経っても、昨日のことのようにこの日々が思い起こされ、胸が痛むのだが、若菜の最後の数日も記しておくのが、敬一と静雄に対するボクの責務でもあると考えたので、日録を記すことにする。

《5月28日》朝8時半起きる。広とマラソン。菓子パンで朝食。9時半出かける。11時20分病院。桜子と叔母、朝おかゆを食べたのよ、と喜ぶ。昼もおかゆを食べる。東京の叔父来る。昼食がてら広と優と叔父とで神宮の森へ。ニギリメシとジュースを買って食べる。六大学野球をやっていた。広と綱切りあそびなど。暑い一日。みんなは3時頃に帰宅。桜子と残る。桜子七時二十分の夜行で帰る。この日尿と便多い。いいことだ。夜苦悶する。夜中当直医師を二度起こす。心電図、血液検査など。血圧低下著しい。点滴に強心薬など。若菜一睡もせず。

《5月29日》小康状態か。点滴一日中になった。蒸し暑い一日。ほとんど何も食べない。昼間も眠れないらしい。そばにつきっきり。会社休む。叔母泊る。

《5月30日》8時半病院に。叔母と交代。点滴を嫌がる。むくみが目立つ。A医師海外学会のためK医師紹介。蛋白質入りの点滴するも効果なし。むくみは両の手と脚に激しい。顔もやや太ったように見える。褥瘡は少し乾燥する。会社休む。広歯医者に行かないらしい。泊る。

《5月31日》朝、気分はまあまあよ、と自分で言う。うれしい。褥瘡用のエア・ベッドを使わせてくれることになった。自分が若菜を抱き上げている間に看護師が何人かで素早く交換する。若菜は、さっぱりとすると気に入った様子。むくみ激しく冷感を訴える。午後から嘔吐激しくなる。叔母泊る。夜帰って広に歯医者に行くよう言い含める。

《6月1日》八時半病院。叔母と交代。手のむくみやや引いている。ここ数日杉並の姉と妹が毎日来てくれる。午後K医師たちが、話があります、とのことで呼ばれる。危険とのこと。母と叔母に電話。山形の父と桜子に来てもらうことにする。杉並の父に電話。今日はわりと落ち着いている様子。血圧80。

《6月2日》わりと落ち着いている。抱き起こしてお化粧をしてあげる。夜9時半山形の父来る。初物のサクランボを持ってきてくれる。とってもきれいね、と言ってうれしそう。父と二人で泊る。

《6月3日》朝早く桜子夜行で来る。とても喜ぶ。今までが嘘のような輝くような表情を見せる。父練馬に帰る。具合は良好。桜子のマジックか。杉並の父来る。昼ゼリーを1個食べてしまう。おいしい、と言って。看護師に言われ面会謝絶の貼紙頼む。前の病棟のK医師訪ねてくれる。

6時半、好子叔母と桜子に頼んで帰る。病室のドアを閉めるとき、桜子に腕をとってもらって、バイバイと手を振る。

このとき、いつものようにボクと若菜はしっかりと目を合わせた。大きな若菜の目が淋しそうに見送った。意識のある若菜との最後の瞬間だった。ボクが練馬に帰宅の途中で、若菜は気管に嘔吐物が詰まって呼吸が止まったのだった。ボクが自宅の玄関を入った途端に桜子と叔母から、このことを知らせる二度目の電話があった。

不思議なことにその時刻に、静雄が突然発熱し、口内炎のような症状が出たのだ。タクシーを呼び、父と母、敬一、静雄とで病院に向かう途中、杉並のボクの実家に寄って静雄の手当てを頼み、敬一も預けた。9時15分病院到着。そのとき若菜の自発呼吸は既になかった。

実はこの日、静雄は初めて一人で立って歩いたのだった。このことをボクは、既にボクに返事もしなくなっていた若菜の耳元で、何度も大きな声で伝えた。きっと若菜は、薄れつつある意識のなかで、このことを聞いて旅立ったと信じている。若菜の死の顔は静かで美しく和んでいたから。

《6月4日》零時二十五分、若菜逝く。

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[Ⅲ152]  我がメメントモリ(19) / 衰弱が激しくなってきた

2022-06-19 13:36:25 | 生涯教育

 お見舞いの人たちが若菜のもとには沢山来てくれた。何度も見舞ってくれた人たちも多い。女子大の国文科クラスや速記クラブ、山形の高校の友人や先輩・後輩、以前住んでいたさいたま市の人たちや練馬の近所の人たち、敬一の幼稚園の先生やお母さんたち、退院した前の病室の患者さんたち、ボクの友人や会社の人たち・・ありがたいことだった。しかし、5月も中頃になると、お見舞いの人たちが帰ると、若菜はぐったりしてしまうことが多くなった。ボクはその頃からお見舞いの人たちには事情を話して、ロビーでボクだけが会うことにしていた。

 5月下旬になって、若菜の衰弱がますます激しくなってきた。嘔吐も頻繁となり、拒否し続けていた点滴も受け入れざるを得なくなった。

 

この頃の日々については、若菜が入院して以来手帳に書き続けていたボクの日録をそのまま記す。

《5月20日》久しぶりに晴れ。敬一多磨動物園に遠足。朝行きたくないと言っていたらしいが、幼稚園まで連れて行ったら覚悟したらしい。4時に家に電話入れる。敬一は楽しかったと言っていた。若菜、よかったと喜ぶ。今日は気分良かった。夕方山形父来る。6時叔母と交代し父と一緒に帰る。駅前レコード店で広と約束したピンクレディUFO買う。父と歩いて帰る。夜9時桜子から病院に着いたと電話。敬一・優を風呂に入れる。

《5月21日》7時頃敬一・静雄に起こされる。二人の輝くような顔、若菜に見せたい。朝父と4人で公園に散歩。帰って母と朝食。広と自転車の補助無しの練習。ほとんどできるも少しのミスで腹を立てている。10時半全員で病院。若菜、敬一の自転車練習の様子をうれしそうに聞いている。夕方父と桜子山形に帰る。若菜夜はほとんど食べず。脱力激しい様子。泊まる。

《5月22日》朝、パン。文化堂の店のおばあちゃんは、いつも大変ですね、と。覚えてくれたらしい。若菜二つ食べる、おいしい、と。便全く出ず。午後洗浄手伝う。夜もほとんど食べられない。泊まる。

《5月23日》朝、文化堂のパンと紅茶。少し食べる。今日は気分不良のようだ。会社休み。昼叔母と交代し帰宅。広を歯医者に連れて行く。夜寝入りばな11時15分、叔母から電話。夜になって数回吐き、気管に入って吸引した、と。来るものが来たのか。すぐに病院に駆けつける。若菜は静かに寝入っていた。ほっとする。叔母も来るものが来たと考えている。ロビーで深夜二人で泣く。この夜半その後も嘔吐が繰り返され、呼吸困難を訴える。医師待機。朝4時頃にようやく落ち着いた。

《5月24日》状態不穏続く。点滴の中に強心薬。肌が冷たい。血圧60。

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[Ⅲ151]  我がメメントモリ(18) / 生きたい!

2022-06-16 17:26:11 | 生涯教育

 

 病院の夜はのろのろ明ける。病院で生活している患者の家族の足音や湯を沸かす音、看護師たちの足音や朝の挨拶を交わす声などが次第に大きくなっていって、朝を告げるのだった。

 今日も若菜は生きているのだ! 癌の末期に彼女があることをボクは十分に認識しているし、若菜も知っている。だが若菜は今日も十分に生きているし、これからでも1日でも2日でも長く生きたいと願っている。二人の子どもも若菜の生きがいだ。若菜を愛する者たち全てが涙の海に溺れそうになりながら、今日の若菜の生を慈しんでいる。いったいこれほど輝かしく確かな生があるだろうか。

 死への過程にある人間も、治る見込みのなくなった病気を抱える人間も、特別の人間ではない。ただ深慮できない医療者が医学の無力を感じるといったことだけで、死にゆく人間を生の向こうに押しやっているだけなのだ。今朝のボクにとっては、若菜と生きていることだけが全てだった。

 この朝も病院の朝食が配られた。若菜はさっと見てから、やっぱりだめね、と言い、プリンのようなものとヨーグルトだけを取って床頭台に置いた。そして、30分くらいしてから返してきてね、と言ってご飯の乗った盆をボクに返した。すぐに返すと給食のおばさんに悪いから、というのが理由だった。

 今日は何か食べたいものがある? と聞くと、若菜はしばらく考えていたが、パンを食べてみたい、と返事した。

「よーし、今日はとってもおいしいパンを買ってきてあげよう! 」とボクは言った。この病院の地下の売店のパンは、ボクとて食欲を失うものだったから、実は聞き回ったあげく病院の近くのパン屋をすでに探しあてていたのだった。「文化堂」というそのパン屋は、朝8時に行けば焼きたてのパンを買えること、30分もすれば売切れてしまうことも聞いていた。ボクは8時めがけて「文化堂」に走った。すでに何人もの客がいたが、ボクの順番が来ても、山ほどの焼きたてのパンが香ばしい香りを立てて並んでいた。ボクの分も含めてクリームパン、パインパン、コルネット・・と10個ほども買った。白くて薄い紙袋に入ったパンは、ボクの手の中で燃えるような熱さだった。

 ボクは意気揚々と若菜のところに戻った。部屋は焼きたてのパンの香りに満ちた。若菜は皿に並べたパンをひとつひとつ眺め、おいしそうね、と言って、その一つをとって食べ始めた。

「こんなおいしいパン久しぶり、焼きたてだもの、おいしい! でもどこで買ってきたの? 」

 ボクは「文化堂」のことを得意げに話した。こんなにもおいしそうに食べる若菜の姿も久しぶりで、ボクの心も和んだ。しかし若菜が食べることができたパンは二つがやっとだった。その二つを食べ終えると、ベッドを直してと言い、疲れた様子ですぐに寝入ってしまった。たしかに香ばしいパンは食欲を誘ったのだろう。だが若菜の身体は、すでにその食欲を十分に満たすことのできる力を失っていたのだ。

 にもかかわらずボクの目の前で懸命に食べようとする姿に、もっともっと生きたい、生きなければ、という意志をボクは見ていた。

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[Ⅲ150]  我がメメントモリ(17) / 二人の子への想い

2022-06-12 13:15:40 | 生涯教育

 

 夜はいつ明けてくれるのだろう。ベッドの側のソファで浅い眠りから覚めて、ボクはベッドの若菜の様子をまずうかがった。寝息が聞こえてこない! はっとして起き上がりベッドに寄った。夜通しつけたままにしておくことにしていた床頭台の電気スタンドの傘をぐっと若菜の方に向けると、仰向けに寝ていた彼女の顔に、ボクの顔を近づけた。体温が伝わってくる。かすかな寝息が伝わってくる。ああ、よかった! 生きている!

 若菜とボクの間には、一本の緑色の毛糸がお互いの手と手につながれていて、用があったらそれを引っ張って、寝ているボクを起こすことになっていたのだが、その糸をボクは確認するとソファに戻ろうとした。

 おとうさん、と細い声がした。ぼんやりとした光の向こうに、こちらに顔を向けて毛糸をたぐっている若菜の白い顔があった。ボクと同じような浅い眠りから覚めてしまったのだろう。

「ひもはいいよ、こうして起きているから。どうしたの? 」

 若菜は黙ったまま自分の体の下方を指差した。ボクは大きくうなずいて、部屋のトイレから白くて丸い便器をとってきた。個室に移ってからしばらくは自分でトイレに歩いて行けたのだが、5月下旬頃になると、それも困難になってきていた。

 ボクはいつものように毛布を上げて準備をした。この頃の若菜は、ボクか叔母、姉の桜子に便器や尿器をあてがってもらって、自分で排泄することを望んでいた。看護師にやってもらうことは嫌がっていた。ボクはチリ紙を上にかけ、骨の出た腰にタオルを当てて便器を差し込み、反応を待った。

「ユウキ」と上のほうで若菜の声がした。

「うん? 」

「敬一は大きくなったら何になりたいのかしらね? まだ小さいから何も考えてはいないと思うけれど、どんな仕事をしたいと言うかしら。」

「そうだな、ボクは医者にしたいと思っているけれど、大きくなったら彼が何と考えるか、だな。」

「えっ、お医者さん? ふふっ、敬一がお医者さんかー。ちょっと私のイメージじゃないなー。」

「ちょっと待てよ、結局は彼が決めていくことだ。ただボクは、彼が医者になったとしたら、親の欲目かもしれないけれど良質のものを持っているから、患者のことを考えられるいい医者になれると思うよ。」

「そうね。でも医者はあまりいい仕事じゃないかもしれない。敬一らしい仕事ってあると思う。それができればいいわね。」

「うん。じゃあ静雄はどう思う? 」

「静ちゃんは、まだ赤ちゃんだからねー。わからない。でも敬一と同じよ。」

 敬一と同じということは、きっと静雄にも彼らしい仕事があるという意味だろうな、とボクは考えていた。

 空気の流れが止まり静かな時間が流れた。やがて暖かい空気がそこに漂い、ちろちろと少しの尿が流れ、僅かな水様便が便器に落ちた。もういい、と若菜は言い、ボクはそこをきれいに拭った。

 ボクはいつものように、この七病棟の長い廊下の果てにあるトイレに行き、洗浄器で便器を洗って部屋に戻った。そのとき、なぜかこの部屋が妙に明るく感じた。若菜が笑顔でボクを迎えたからである。

「どうしたの? 何がおかしいの? 」

「だって思い出していたんだもの。ユウキ! 」

「なんだ、いきなり。何を思い出していたの? 」

「いつか、ずーっと前、まだ二人だけだったとき、ユウキがこんなこといつも言っていたでしょ・・オレはワカナよりきっと病気にでもなって先に行く。先に行きたい。そのとき入院したら、シモの世話はずーっとワカナにやって欲しい、って・・そのことを思い出していたの。でも逆になっちゃったからおかしかったの。」

「そうだぞ、約束が違うぞ!」

 そう言って、ボクは若菜の額をチョンとこづいた。その途端、若菜の大きな目から、つぶになった涙があふれ落ちてきた。どう止めていいかと思われるほどのたくさんの涙だった。

「ごめんね! 」

と一言若菜は言った。ボクは若菜をしっかり抱きしめたまま、子どものように泣いた。ボクは若菜の涙におぼれていくのがわかった。

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