鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅵ287] 安楽死/考 (10) / 法の論点整理  

2024-03-03 22:01:48 | 生涯教育

以上鑑三翁の論稿等を引き合いにして「安楽死」論を述べてきた。ここで私は法的な側面からの論点を整理する必要を痛感している。欧米諸国では近年急速に「安楽死」関連の法制化が行われるようになってきた。法律の名称や内容は、その国の宗教的/文化的な背景を踏まえていて様々のようだ。だが法制化した国々では、法律制定に至るまでには、専門家のみならず一般市民が参画して公開された議論が尽され、法制化後も慎重な運用が行われているのが一般的である。法制化へのプロセスでは浅薄な感情論や愚劣な政治的企図は排除されてきた印象も強い。

ここで先述の『いのちの法と倫理[新版]』(葛生ら、法律文化社、2023)から論点を整理してみた。

1.「任意的安楽死」とは

法的に患者らを保護するためには患者らの同意がまず必要になる。本人の意思表示を前提として「安楽死」を考えることを「任意的安楽死」(もしくは「同意的安楽死」)と呼んでいる。(本人以外の者の行為に基づく生命の意図的短縮であって社会から無用とみなされた者を強制的に社会から排除する場合を「強制的安楽死」と言い、典型的にはナチスによって行われた障がい者や優性思想に基づくユダヤ人に対して行われた「強制的安楽死」があげられるが、論外としてここでは取り上げない。)

2.「任意的安楽死」における「直接的安楽死」と「間接的安楽死」

「任意的安楽死」は「直接的安楽死」と「間接的安楽死」とに分けられる。「直接的安楽死」とは生命の短縮・断絶を直接の目的とする。人工呼吸器の離脱などがあげられる。一方「間接的安楽死」とは肉体的苦痛の緩和・除去を目的とした行為が結果として生命の短縮をもたらす場合を言う。鎮痛剤の繰り返し使用などがあげられる。

3.「直接的安楽死」における「積極的安楽死」と「消極的安楽死」

「積極的安楽死」は、患者本人の嘱託又は承諾に基づいて、死をもたらす意図をもって、例えば致死量の薬物を投与して死に至らしめること。「安楽死」の是非が最も激しく争われているのがこの事例である。森鴎外『高瀬舟』が該当するが、心情的には兄の行為には同情できるし医師としての鴎外は心の底では兄の行為を是認している。だが今日では法的には患者の嘱託(任意の依頼)に基づいて死に至らしめることは刑法の「嘱託殺」に相当する行為とされる。

「消極的安楽死」は、本人の意思表示の有無にかかわらず、生命維持に必須の基本的な措置を、死期が早まることを認識しながら、あえて行わない場合を言う。この消極的安楽死を「尊厳死」(Death with Dignity)と呼ぶことも多い。

4.「尊厳死」とは何か

「尊厳死」は「安楽死」とはどのように違うのか。「尊厳死」とは医療技術の進展によってもたらされる延命医療からの解放という意味合いが強い。「尊厳死」は死期の不当な引き延ばしをやめて「自然な死」(Natural Death)をもたらすことを第一義とする。この場合、治癒目的のための治療、生命維持のための治療、他の派生的な病気の治療、心配蘇生のための治療等は行われないことになる。しかしその他の日常的な生命維持のための水分補給や栄養補給、疼痛緩和のための治療やケア、看護ケアは行われる場合が多い。そして「尊厳死」の場合には、それが不当な生命の短縮(消極的安楽死)なのか、過剰な延命の中止(尊厳死)なのかの判定は、担当医師だけの独断によるものではなく複数の専門家によるチームによって行われることが前提である。

「尊厳死」は法的にも認められる可能性が高い。尊厳死における延命の中止は「死期の引き延ばしをやめること」であって、「死期を早めること」ではなく、法的には殺人行為とは言いがたいからだ。そして医師は臨終状態にあってもなお過剰延命を行うような義務を法的にも倫理的にも負っていない。また安楽死を否認するカトリック教会も尊厳死を肯定している。

以上「安楽死」を法の倫理的側面から整理してみた。では今までの考え方を前提として「安楽死」の是非論を簡単に整理してみる。

5.「安楽死」肯定論について

・自己決定論:自由社会で認められる自己決定論には「死ぬ権利」が含まれると考える立場。生命の短縮や死苦からの解放も患者の選択し得る医療行為であると考え、「安楽死」を認めるべきであるとする。

・人間的同情論:「安楽死」は、患者が直面している死苦から楽にしてあげたいという人間的同情から出てきたものであり是認すべきであると言う立場。

「安楽死」肯定論には、先述のように一人のタレントが「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」とTV番組で放言したように、医療経済的側面から国の財政的負荷を軽くするために、高齢者や高額医療の対象となる患者には「安楽死」を認めろという主張もある。映画『plan75』(早川千絵監督脚本、2022)の筋書き通りの「安楽死」是認論であるが、これは先述の「強制的安楽死」と通底する。またいかにも国家的な視点からの「愛国」を偽装した論拠ともなり、これからの社会の世論の底流となることを私は危惧している。

6.安楽死否定論について

・自己決定権は死ぬ権利を含まないと考える立場。自殺や安楽死などの死ぬ権利は、生命の尊重という原則によって制約されていると考える立場である。あくまで法的な考え方である。

・苦しむのは気の毒だという同情論は「安楽死」の勧めとして機能するおそれがある。傍から見ていて気の毒だという同情論は極めて脆弱な論拠ではあるが、多くの者の感情的な賛同を得やすく、安易に「安楽死法制化」への途を開く可能性がある。この場合、社会的な強者(経済的な資産を多く持つ者、健常な者)にとっては「安楽死の選択権」ではあっても、社会的に弱い者(貧困な者、病や障がいを持つ者、老者など)にとっては「安楽死の勧め」として機能する場合がある、という考え方。

葛生らの前掲書では、以上のように論点整理した後に、「日本の安楽死裁判」について具体的に問題点の整理をしている。そして諸外国の「安楽死に関する立法」に至る経緯を様々な角度から紹介している。

そして次には「尊厳死の倫理と法」の項を立て「尊厳死の論点」を整理した上で、「尊厳死をめぐる裁判」では日本と海外における裁判を分析している。そして「尊厳死に関する立法」の詳細に触れている。

この葛生氏らの著書は、社会生活と「安楽死」、法律と「安楽死」の問題を整理するのに役立った。その倫理的な観点に”拘って”問題点を整理しているところに著者の誠実と見識を見た。貴重な一冊である。感謝する。


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