鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅶ293] 老いの意味論(1) / 伸びたゴムが元に戻らない‥

2024-04-26 08:33:20 | 生涯教育

鑑三翁は1930(昭和5)年3月にこの世での仕事を終え帰天している。69歳。当時としては長寿である。私はその年齢をとっくに越したが、最近心身に「老化」の兆候が迫ってきてかなわない。目にも歯にもあそこにもどこにも不具合が来ている。ふと私を襲っている老化の兆候は鑑三翁も経験したのだろうかと思う時がある。鑑三翁は心臓の病を持っていたから、その不快な身体症状は耐え難かったのではないかとも推測できる。それらの日々については鑑三翁の日記に記されているが、それは病気の症状に関してのものであり「老い」の実感を殊更記しているのではない。しかし神から遣わされた天才預言者にも老いは確実に到来していたはずである。鑑三翁の「老い」に関する論稿は少ないが、これに関しては後日触れることにする。

妻と朝の軽食をとり寝室兼書斎でラジオ体操もどきの軽体操をして机に向かう。この体操は私が勝手に””秘鍵体操”と称している。子どもの頃に習得したラジオ体操を基本にヨガの映像や何やら拳法を見て”創作”したものである。手足に力を入れて急に伸ばしたり無理に曲げたりすると関節や筋肉に痛みが来てしばらく治癒しないことがわかっているので、我が体操はナマケモノの如くカメのごとくのろい。およそ15分。この体操は瞑想とともに行う。この運動は「祈りにおいて無となること」(キルケゴール)を目ざして始めたと記憶している。そして「わたしはここにいる、わたしはここにいる」(イザヤ書65)、「禅那正思惟/能所観法」(空海秘鍵)、「神秘主義的実存」(井筒俊彦)、瞑想により自己消滅を企図する禅とキリスト精神の合一を図ること」(佐藤研)‥こうした世界観を覗き体感しようとして続けてきた体操だ。だがとてもとても、その高踏的目的達成はいつになることやらわからない。恐らく生涯無理だろう。体操しながら瞑想するつもりなのに耳に入るTV報道の猥雑に心乱され、心身一如(道元)、陀羅尼の世界に没入することなど夢のまた夢の如し。ふと体操をしながら鑑三翁の言われる砂漠の荒野での「イエスやパウロの試練」を思い起こして、私のこの体操は屁のようなものだな‥と考えるにつけ身体中から風船のガスが抜けていくような日々体操。でもこの体操をやめる気はない。

体操の後に血圧も測る。このところいい具合の血圧だ。B6の血圧記録帖に記録する。月一回の受診日に主治医から提出を求められているので、小学校の宿題のように私はその日に主治医に提出する。主治医は毎度「まあまあですね」と言う。これが何年も続いている。血圧測定の後机に向かう。と言っても最近は興味を引く書籍はほぼないので、図書館通いも減り、自分のかつて読んだ本を再度読み直すことが多い。意外なことにかつて読みふけった書籍から再発見することも多い。

今日は右肩が痛い。昨日は左の肩だった。膝は右も左も常に軽い痛みがある。腰の痛みは慢性的で痛みの強い時には妻が買ってきてくれた腰痛サポーターを装着する。医者には複数の医師にかかったが、「これは老人性ですね」「痛みの強い時には鎮痛薬を」「脊椎管狭窄なので完全治癒は無理でしょうね」とまぁこんな具合の返事しかない。仕事柄知己の医師も多いので彼らに腰痛の治療法を聞くと、何と彼らの大半が腰痛の持病を持っていて驚くのだが、彼らが推薦する治療の方法は一定しない。何軒かの針灸院にも通ったが屁の如く効果がないのでやめた。鍼灸師のウデの問題もある。いたずら好きの妖精が針を持って私の身体の中を飛び跳ねて遊んでいるのだろうか。

皮膚が時々かゆくなるので皮膚科の医師に相談すると、ものの一分で診察は終わり「あぁ老人性の皮膚掻痒症です、軟膏を処方しますね」でステロイド軟膏を受け取ってチョン。メガネは何万円も出して遠近両用のものを使っていたがこれが最近全く会わなくなり、ホームセンターで見かけた老視専用コーナーで「+1」~「+5」の物を見つけ「+2.5」の具合がいいので買ってきた。二千円也。「聖書」などの細かい文字を読むのには最適だ。そして普段は遠近両用メガネも不要になった。主治医によれば眼筋が古くなったゴム輪のように伸びきって元にもどらないのだそうだ。ゴムがゴムではなくなるわけだな。これをなぞれば人が人でなくなる‥とか。

歩いて10分ほどの駅の4階にできた区立図書館に頻繁に通っていたが、午後一番で行くと大方の利用者は老者ばかりである。冷暖房完備なのでここに休憩をとりにくるらしい老者も多く、小さな水筒持参の者も多い。午後3時過ぎ頃になると学校帰りの高校生が目立つようになるが、一日ここで粘っている老者に座席は占拠されているので生徒たちは戸惑っているのが日々の風景。声には出さないが生徒の彼彼女たちは「老人は家に帰れ!」と叫びたいのではないか。

幸い耳の聞こえはいいが最近少しずつ耳にも老化が迫っているように思う。歯医者通いも年に数回。虫歯ではなく歯槽が薄くなってきたので歯根がぐらついてきているのだそうだ。一か月ほど前には奥の親知らずを一本抜歯した。生まれて初めての抜歯だ。麻酔で痛みはないが「キュッキュッ」と頭蓋骨の内部の深い所に伝わる抜歯の音が地獄の閻魔様の宣告のように聞こえた。

ヘルマン・ヘッセの言葉である。ノーベル賞作家ヘッセが76歳の時の一文だ(1953年)。

【老齢と老衰は進行する。時として血液はもうそれほど正常に脳を通って流れようとしなくなる。しかしこの弊害は、よく考えてみるとよい面ももつ。人は、もうかならずしもすべてのことをそれほどはっきりと、強烈に感じなくなる。人は多くのことを聞き逃すようになり、多くの打撃や、針の刺し傷などもまったく感じなくなる。かつて自我と呼ばれた存在の一部は、まもなく全体とひとつになってしまうところに行ってしまうのだ。】(ヘルマン・ヘッセ、V.ミヒェルス編、岡田朝雄訳:人は成熟するにつれて若くなる. p.190、草思社、1995)

統合失調症の患者は「焦り」感情が強い人が多い‥と精神医学書にあった。著者は誰だったのか忘れてしまったが、私は最近「焦り」の感情が極小になってきていることに気づいた。

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[Ⅵ292] 安楽死/考 (15) / あなたは安楽死を望んだか‥

2024-04-23 15:43:00 | 生涯教育
 
私自身の体験である。ある日突然妻の若菜がスキルスの診断を受けた。若菜はおよそ4か月の闘病の末に5歳と1歳になったばかりの二人の子どもと私を残して天国に帰った。この間私は若菜には病名を告げなかった。彼女との闘病の日々のことは既に書いた《連載 [Ⅲ134-184]我がメメントモリ(1)-(51) 》。
私は若菜の苦悶を見ているのが耐えがたかった。しかし彼女には苦悶の時間が過ぎると平安の時間が訪れることがあった。この平安の時間の中で私は若菜とあらゆることを話した。病室のソファーで寝ている私の指と若菜の指とを緑の毛糸で結んでおいて、目覚めて尿意を感じたときなどは若菜がこれを引っ張って私を起こした。私は彼女の排泄のケアをして後便器を病棟の廊下の端にある洗浄機で洗浄して病室に戻る。すると束の間静かな時間が流れ二人で話し込んだ。結婚する前の手紙のやり取りをした日々の事、新婚旅行の時の約束、子どもの将来の事、若菜のいない家での子どもたちの生活ぶり、全治したら行きたい旅行先のこと、医師や看護師さんたちの評価‥だが私も若菜も病名に関して話をしたことは一度もなかった。その話題も出なかった。私と若菜は一日一日を刻々と生きた、若菜は死を抱き悟り覚悟を決めていた、だから話をする必要もなかった。若菜は十全に悟っていた、若菜は私に病気や病名の事実を語って欲しくはなかった、そのことを私は知っていた。それは”ごまかし”や”曖昧さ”とはほど遠いものだった。誠実な時間だけがそこにはあった。
《数日前の夜喉に何かが詰まり私は気絶してしまった、看護師と医師が適切な処置と注射をしてくれた、意識が戻っても呼吸困難は続いた、その時に私は苦しさのあまり”死にたい!”と言葉を吐いたと思う、ユウキは何も言わずに私の手を握りもう片方の手で背中をさすってくれていた、私は”死にたい!”と何度か言葉を吐いたと思う、が覚えてはいない、いつのまにか私は寝入ってしまった、翌朝目が覚めると私の目の前にユウキの顔があった、ユウキに私は”おはよう‥きのうごめんね”と言った、苦しさのあまり医師と看護師をユウキが呼んでくれたことは覚えている、ユウキは”おはよう”と言い病室のカーテンを開けた、また朝が来たのだ、こんな病室の窓辺の植栽にも鳥がとまって啼いて朝を告げている、敬一と静雄は今朝も元気に朝を迎えたかしら、静雄はおばあちゃんの作った離乳食を食べられるかな、敬一は今朝も一人で家の周りを走ったのかな、二人とも私がいなくてとても寂しいんだろうな、でも、でも、私にはもう静雄におっぱいをあげるだけの力が残ってはいない、敬一が寝る前に楽しみにしていた本読みもしてあげることはできない、生きる力がもう残っていない気がする、またあの苦しみが私を襲うのだろうか‥しばらくしてユウキが言った”今日もできたてのパンを買ってこようか?コルネとかクリームパンとか!” 私は少し何か食べたいような気になった、”ユウキにまかせるよ!”と私は返事した、少し今朝は声も出ているような気がする‥》
《今日は山形の父とお姉ちゃんが来てくれるらしい、私の小さなときから面倒をみてくれて、心の底から理解してくれていたお姉ちゃん、ほんとうにありがとう、でも私はもうすっかり生きる力がなくなってしまった、もっともっと生きていたかった、もっともっと敬一と静雄を抱いていたかった、ユウキと一緒にもっともっと遠くまで歩いて行きたかった、母も父も叔母も、どんなにか悲しんでいることか、でも私にはもうその力が残っていないことがわかるの、お姉ちゃん、私が愛してやまなかったこの人たちを、どうか慰めてあげてください、愛してあげてください。私に倍する力で抱きしめてあげてください。お願いね。そして、お姉ちゃん、私を愛してくれてありがとう。》
死に臨んでいる時期は死との往還の日々のようだ。そして遂にやってくる死は生命の終焉である。紛れもない事実だ。しかし人間の全ての事柄がこれで何もかも終わることを意味してはいない。「主にあっては、一日は千年であり、千年は一日のようである。」(聖書ペテロの第二の手紙)とある。若菜との一日一日がそのようだった。若菜と死に臨んだ最後の日々は「完璧な」一日一日だった。稀有な日々でそれは永遠に通じていたと信じている。
若菜は「安楽死」を望んでいたのだろうか‥少なくとも「尊厳死」は望んでいたのではないか‥。喉を詰まらせて失神して気づいた時に続いてくる苦悶の中で若菜は”死にたい”と何度も言葉にしたことは事実だ。その時に私は判断停止のような感覚になると同時にどこかで”安らかに穏やかに死を迎えさせてあげたい”と心の底から思ったことも事実である。彼女は穏やかな死を望んでいた、私も穏やかに死を迎えさせてあげたいと思っていた。彼女はだがその苦悶が終わった後のひと時には、目の前に二人の子の笑顔があり愛する家族きょうだいの顔があった。衰弱した身体の全身が温かい喜びで満たされた。この瞬間に「穏やかな死」を望んだ自分はいなかった。
人間とはそういうものだ。
(「安楽死/考」おわり)
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[Ⅵ291] 安楽死/考 (14) / 「安楽死」を弄ぶ者たち

2024-04-08 08:45:05 | 生涯教育

一人のALSの患者さんが主治医でもない二人の医師に”安楽死”を依頼して実行し亡くなった。2019年11月のことである。この患者さんはSNSで一人の医師Aと出遭い、この医師につながるもう一人の医師Bとタッグを組んで”安楽死”が実行された。二人の医師はその後逮捕・起訴され審理が続いてきたが、24年3月5日京都地裁でAには懲役18年の判決が出された。共謀に問われたB被告はこう話しているという(AERA dot.240307)。「Aは寝たきりの人や高齢者は医療費をむさぼり不要だと言い口癖のように”片づける”と言っていた」と。何とAは元厚労省医官である。Aの生命観には言葉を喪うしかない。

この事案を主導した医師Aがかつてツイッターの投票機能を使って「安楽死」の”対価”を公募したところ、”三千件の応募”があり具体的には「百万円」の声が多かったという記事を読んで、人間の生死が粗雑にボロ雑巾のように扱われていることに私は慄然とした。

この事案が報道された当初、関西の政治団体維新の幹部Mが「国会で議論しよう」と呼び掛け始めた。このMの言動を追ってみると、その言動にも批難が集中しているが反省の姿勢を見せず、人格としては露出好きで自己顕示欲が肥大していてイモラルと強欲を絵に描いたような人物らしい。しかも彼はいわゆる”優生思想”の持ち主だとの指摘がtwitter(現X)で流れている。もしこのことが事実だとすればMの浅薄で卑しい意図が透けて見えてくる。この政治団体のもう一人の幹部Oは、ALSの患者として日本で初めて国会議員となった舩後靖彦氏に対して、日本の「安楽死」議論をリードすべきだと声掛けしたり、体調不調で登院できないのは問題で議員報酬を受け取るべきではないと発言して、非礼非常識ぶりに批難が集中した。MもOも党勢拡大の戦術の一つとして「安楽死」問題を掲げているにすぎない。遣る瀬無き事柄である。

先述のM某は「難しい問題‥」とtwitterで述べているが、彼は大声で叫び注目を惹き目立つことで党勢が拡大し、「オレがこの問題を提起し発議した」と認めさせるだけで目的を達するのだろう。が、いやしくも政治や行政等公職に係る人間としては、「安楽死」「尊厳死」「優生法」「法制化」の問題に関しては、胸に手を当てて熟考し、生命倫理の研究者の論文を熟読し、西欧の国々の法制化に至るまでの困難な道程を研究し、さらに患者や家族の声に耳を傾けてから公言しろと言いたい。

実は既に日本では超党派の「安楽死」法制化のための議連がある。彼らがこうしたタイミングで動き出す気配を私は強く感じている。M某は遠回しにこの議連のメッセンジャーとしての役割を担わされているのかもしれない。物凄い臭気と猥雑さがこの人間からは伝わってくる。

人間の死は人生の終わりの「時」なので一人ひとりの重さがある。この死の重さが算盤や計量カップのA、B、C‥‥で計られて分類されて軽々しく安っぽく扱われていくのは、私には耐え難い。

先述のMとかOらが想起する法案に隠される企図は、”価値の高い人間”と”価値の低い人間”のトリアージである。自由主義経済の実践とか言いながら実は強欲と傲慢だけのエセ経済学者や強欲実業家たちが加勢して、重々しい医療現場の精神的負荷から逃れたいだけの医療者たちがあろうことか短絡的に賛意を示し、医療介護費用の増嵩抑制の強迫観念に囚われた官吏たちが偽善の愛国者として「安楽死」法制化を主導するのではないか。先述の医師Aのような「寝たきりの人や高齢者は医療費をむさぼり不要だ、オレが”片づける”」と考える者が実は数多いるのではないかと私は危惧している。つまりこの国では関係者らの"実存なき"安楽死法制化議論が進められていく気配が濃厚である。油を垂れ流した滑り台を滑るように議論が深められないまま「安楽死」の法制化がなし崩し的になされていくような気がしてならない。映画『plan75』の世界である。

竹下節子さんが直近のブログで次のように記していた。引用させていただく。「共和国理念の三つ目である「同胞愛」という言葉を使って「同胞愛法」などというネーミングをマクロンが提唱した。ごまかすのもほどほどに、とうんざりする。自殺幇助を合法化するというのが実態だが、終末医療の現場の人は圧倒的に反対している。‥命を授かったら「その命を最後まで生きる」というのが尊厳で、自己イメージとか誇りとかは関係がない。ケース・バイ・ケースだ。安楽死や自殺で守ることのできる「尊厳」なんておかしい。」

農夫が囲いの中にブタを追い込みながら叫ぶ「ブタたちよ早く囲いの中にはいれ、法律家たちが地獄に行くようにな!」これを見た法律家志望の男は法律家をやめて聖フランチェスコの弟子になった‥という話がある。法律家の中にはロクでもない輩も多い。無倫理で智慧/哲学の不要な法廷の場で勝ち負けの勝負師として生活してきた強欲の律法家/司法家たちが加わって「安楽死」法制化の議論に加わるのも耐え難い。

『ベッドに寝ていて、この世からの呼びかけがもうほとんど届かない重病人や、瀕死の人も、彼の使命をもち、重要なこと、必要なことを遂行しなければならない。』ヘルマン・ヘッセの言葉だ。

《ただ生きていることが尊い事》‥売れないチャンネルで「炎上商法」を仕掛けたタレントや自己顕示欲だけの優性思想の下衆、巷間言われる”今だけオレだけゼニだけ”思想の輩には、ヘッセの言葉が何を意味するのかはわかるまい。

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[Ⅵ290] 安楽死/考 (13) / すぐ手の届く所にある死の選択肢

2024-03-25 08:52:15 | 生涯教育

宗教思想家で音楽家の竹下節子さん(フランス在住)のブログを私はいつも読んでいる。ある日の投稿が目に止まった(230623)。ベルギーでの安楽死の事例だ。その一部を紹介させていただく。

『「自殺幇助の先進国」のベルギーの例で、3人の子供を持つ49歳の男性が、事故で手足の機能をすべて失ったことを知った後、48時間後には「自殺」幇助を受けたというのがあるそうだ。はやい。素人目にもはやすぎる。もちろん今まで健康だった人が意識不明状態から目覚めて突然、両手両足を失くしたのと同じ状態を知って、これでは生きている意味もないし家族のためにもならないなどと考えることは、想像はできる。

でも、同じ状態でもいろいろな過程を経て、新しい生き方や命の意味を自分も見つけて、周りの人にも伝えていく人の例も事欠かない。試練や希望について、体の不自由さや痛みなどを超えたところで、新しいアプローチをするのは容易ではないけれど、それができることがある、ということ自体が、希望のメッセージでもある。

痛みや自由さや先の見通しのなさなどに負けて鬱状態で自殺する人がいるのは事実だし、それに対して第三者が意見するのは解決にならない。‥

ゴマス医師(フランスの緩和ケア医師)は、死生観について自問すること、即答を求めないで自問し続けることを受け入れる必要があるという。”すぐに自殺を選択してそれにすぐに応える制度があるというのは、「死」への誘惑であり、死ぬまでにどう生きるか、とは別の問題だ。”

ゴマス医師は、延命医療によって極端に縛られている場合でなければ、死を前にして、いつ「生きるのをやめる」のかを自分で決めることができることを見てきたという。

会いたかった家族に別れを告げて、最後の家族が病室を去った直後にろうそくの灯が消えるように亡くなるケースはよくあるという。‥

「死に方」ではなくて、「死ぬまでの生き方」を選択できることの方を支援すべき時代なのかもしれない。』

いつも感心するが竹下さんの文章やバランス感覚は卓越している。ある人が自死を願った時これを医師ら専門家が助けることができる法律があるのはジレンマだ、当の本人にとっては幸いかもしれないが、わが身にふりかかった同様の災忌を乗り越えて生きて生の喜びを共に味わう人たちもいるからだ、でもこうした事柄に対して今健常者として生活している人たちの言葉はどうしても軽くなってしまうのはやむを得ない、一人ひとりの実存に関わることなので‥竹下さんらの指摘は言い方を変えればこのように言えるだろう。

“安楽死先進国”オランダは2002年4月、治癒の可能性がない病に苦しむ患者に医師が致死量の薬物を投与する「積極的安楽死」を世界で初めて認めた国だ。自殺ほう助も合法とされており、患者は自発的な意思で命を絶つ場合支援を受けられるようになった。但し患者が「改善の見込みがない耐え難い苦痛」を抱え、「自発的に熟慮し、完全に確信して」死を望んでいることが条件付けられている。

オランダでは政府統計によると、2022年に「安楽死」を選んだ人は約8700人で、大半は末期がん患者だったという。「安楽死」を選ぶ人が多いか少ないかに私は関心がない。オランダでは「安楽死」に関する社会的議論が公の場で長期にわたって尽されてきた。そして法律が整備された社会の中で、心身の苦しみを伴う一人ひとりの患者が、それぞれ自分の意思で現世に”さらば”と言って人生の決裁をしている人が日々確実に存在する。そしてその意思を尊び苦しみのない死へのプロセスを誠実に援助している医師たちがいる。法律が彼らのすぐそばに手の届く所に坐しており何時でもアクセスできるという安心感が彼らを守っている‥数多の問題もあるにせよオランダという国はそんな環境の整った国なのだろう。

私はこう書いたが、オランダ同様”安楽死先進国”ベルギーの実情に詳しい人によれば、必ずしも理想的に物事が進んでいるわけでもないこともわかる。「この本で著者らが語るベルギーの医療現場の実態は恐ろしい。安楽死が緩和ケアとしてのルーティン的医療サービスと化した現場では、患者の「死にたい」という言葉は即座に額面通りに受け止められ、医療職はその「意志決定」を「誤った義務感」から実行する。「患者が安楽死を希望するなら、すぐに申請機関に紹介しますよ。それが私の責務ですからね」「安楽死は法律で容認されているんだから私に拒む理由はないでしょう?患者には寛容でなければ」と平然と言う医師らは、著者のひとりの表現を借りればまるで「道具と化している」かのようだ。」(児玉真美、ダイヤモンドオンライン、240315) 私はハタと立ち止まってしまう。人間の生に纏綿する死の桎梏も軽くひょいと超えることを容易にしてしまう法律とは何者なのだろうか。法律は制定されればそれで終わりというものではない。

2022年初冬神奈川県で79歳の妻を海に突き落とし殺害した罪に問われている81歳の夫が、初公判で起訴内容を認めたという報道があった。彼が”殺した”のは、40年前に脳梗塞で倒れて身体が不自由であった妻、40年間も彼は妻の介護に懸命だった。昨年2023年春には、障がいをもつ寝たきりの妻と話し合って「天国でまた夫婦になろう」と妻の首を締めて殺した老人が逮捕された。この二つの事例では、共に夫は”殺人”犯罪者として逮捕されて刑事被告人となるしかないのが哀れで悲しい。

「律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。」(マタイによる福音書23)のが日本の現実である。

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[Ⅵ289] 安楽死/考 (12) / 尊厳ある死を‥

2024-03-17 22:05:46 | 生涯教育

手許に新聞記事の切り抜きがある。音楽家の坂本龍一さんが2023年3月28日に亡くなったが、彼が亡くなる日までの日録等を編集して刊行される書籍の紹介記事だ(東京新聞230619)。

坂本さんのある日の病床日記が紹介されている。《かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ》(二〇二一年五月十二日)

そして亡くなる数日前(二十五日)には自ら緩和ケアに移ることを決めた。そして医師には握手をして礼を述べ、《もうここまでにしていただきたいので、お願いします》と語ったと記されている。

この記事で坂本さんが記し話した事柄は示唆的だ。日記では坂本さんは人間の生死の未来をこのように考えていたことが推測できる‥‥遺伝子診断が人間の病気や遺伝的可能性を正確に診断できるようになり、障がいをもった子どもは生まれることがなくなり、人間が生涯にわたって発症する疾病が予測できるためその疾病を予め遺伝子レベルで治療できるようになる。人間の生命は人間の手によって操作できる対象となり、”生老病死”に纏綿する尊厳や厳粛さや儀式が軽んじられるようになる。人間の生物学的死は予測可能となり寿命はコントロール可能となる‥‥。

そして坂本さんは緩和ケアを受けるようになると、苦しむことなく死に至らしめることを医師に頼んだのだろう。坂本さんは自らの「尊厳のある死」を望んだのだろうと推測できる。先述のように(Ⅴ286)、内村鑑三翁が苦しい闘病生活を経て、その最後の時を安楽に通り過ぎることができるように、主治医に懇願したことと通底する部分がある。

未来において坂本氏の預言は的中しているだろう。未来においては「昔の人間は何故、生きることに煩悶し、老いを嫌悪し、病気を恐怖し、死を不可解なものとして恐れていたのだろう」と普通に考えるようになっているだろう。とすれば、今この時代に生きている我々は至極幸福とは言えないだろうか‥坂本氏はこのように考えていたのだろう。いったい人間の幸福とは何なのだろう。

スイスには末期がんなど回復の可能性のない患者が自分の意思で死を選ぶのを助ける団体がある。この団体の主宰者の医師(エリカ・ブライシックさん)の取材記事(軍司泰史氏)がある(240305東京新聞・共同)。彼女は自殺ほう助団体の援助で息を引き取った父親の死を見送った経験から、現在の団体の活動を主宰するようになった。そしてこれまでに約600人の自死を手助けした。彼女が自死を手助けする基準は①耐えられない痛み、②回復不能、③明確な意思表示、治療の代替手段なし‥以上の4条件である。

彼女は反自殺ほう助団体から「死の天使」と呼ばれ批判されている。だが彼女とて死の手助けをするにあたっては、様々な二律背反、葛藤、苦悶を患者と共有するのだ。彼女の言葉「死は普通、生の敵だけれど、患者の苦しみが耐え難いほどの場合、向こう側で自分を待っている味方に思える」この言葉も重い。

 

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