若菜が通過障害と嘔気・嘔吐を繰り返す姿は痛々しかった。食べたいと思ってボクに頼んだものが、いざ目の前に置かれても食欲は失せていたことが多かったし、食べたかったものを何とか口に運んでも、食後しばらくすると嘔吐してしまうこともしばしばだった。それでもなお彼女は、最後の日まで口からの食事を望んでいたし、それを命綱のように考えてもいた。高エネルギー輸液や経管栄養の話も医師から何度か提案されたが、彼女はそれを拒否し続けた。亡くなる1週間ほど前、ほとんど食事が口からできないような日が数日あったので、仕方なく輸液に頼った日もあったが、彼女はこれをとても嫌っていた。
輸液や経管栄養による栄養補給はたしかにいい方法である。薬液を混入させることもできるし、手術直後や経口摂取できない患者には、この方法しかない場合もある。しかし彼女のように病勢が激しく肉体を侵していても、なおそれを望まない者もいることをボクは知った。
輸液のために何時間かはベッドに寝たままを強いられるし、子どもが来ても抱きしめることさえできない。「私が望んでいるのは、栄養の補給よりも、歩いてトイレ行くこと、子どもを抱くことのできる両の手の自由なのだ」と彼女は考えていた。
自分の腕に刺入された針から伸びていくラインはどこまでも伸びていって、こんなメッセージをいつも彼女に送っていたのだろう。”オマエは病人なのだ、病人なのだから病人らしく振舞え。いささかの不自由は我慢して文句は言うな”という暴君じみた声である。この声はまかり間違うと、ごく普通の医療者の声に置き換わってしまう場合もあったのだ。
最近は病院の食事も格段の進歩を示している。適時に適温の食事を提供するようになってきている。病院によっては、複数のメニューから選択もできるようになってきている。病院給食がビジネスとして成り立つようになってきたことと、病院がサービスという点に注目してきた結果だろうか。しかしいずれにしても病院の患者食というものは大きな限界のあることは事実で、画一性からは脱却することは不可能だ。一人ひとりの嗜好に合わせたサービスを提供できる場ではないからだ。
ただ嗜好や栄養学的な問題の解決はさほど困難なことではない。嫌いなら食べずともよいし、栄養だけなら輸液等で補うことができる。病院で常に残される問題は、ものを食うという人間にとっての根源的な行為を、病気や障害によって奪われた人たちにどう確保するかという一点である。
彼女の場合、入院してしばらく経った頃から、毎日三度配られる病院の食事を大方受け付けなくなっていた。それでもなお彼女は口から“食”することを望んでいた。それは健常者の理解をはるかに超えて“ものを食う”ことへの執着と偏りを示していたが、ボクはそれに全て応えてあげようとした。食への強い意志が彼女の生への希望と自由につながっていたからだ。これは自らの人間としての尊厳を保ち続けることへの意志だった。