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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅲ164] 我がメメントモリ(31) / 尊厳とともに食する

2022-07-31 08:43:31 | 生涯教育

     

若菜が通過障害と嘔気・嘔吐を繰り返す姿は痛々しかった。食べたいと思ってボクに頼んだものが、いざ目の前に置かれても食欲は失せていたことが多かったし、食べたかったものを何とか口に運んでも、食後しばらくすると嘔吐してしまうこともしばしばだった。それでもなお彼女は、最後の日まで口からの食事を望んでいたし、それを命綱のように考えてもいた。高エネルギー輸液や経管栄養の話も医師から何度か提案されたが、彼女はそれを拒否し続けた。亡くなる1週間ほど前、ほとんど食事が口からできないような日が数日あったので、仕方なく輸液に頼った日もあったが、彼女はこれをとても嫌っていた。

輸液や経管栄養による栄養補給はたしかにいい方法である。薬液を混入させることもできるし、手術直後や経口摂取できない患者には、この方法しかない場合もある。しかし彼女のように病勢が激しく肉体を侵していても、なおそれを望まない者もいることをボクは知った。

輸液のために何時間かはベッドに寝たままを強いられるし、子どもが来ても抱きしめることさえできない。「私が望んでいるのは、栄養の補給よりも、歩いてトイレ行くこと、子どもを抱くことのできる両の手の自由なのだ」と彼女は考えていた。

自分の腕に刺入された針から伸びていくラインはどこまでも伸びていって、こんなメッセージをいつも彼女に送っていたのだろう。”オマエは病人なのだ、病人なのだから病人らしく振舞え。いささかの不自由は我慢して文句は言うな”という暴君じみた声である。この声はまかり間違うと、ごく普通の医療者の声に置き換わってしまう場合もあったのだ。

最近は病院の食事も格段の進歩を示している。適時に適温の食事を提供するようになってきている。病院によっては、複数のメニューから選択もできるようになってきている。病院給食がビジネスとして成り立つようになってきたことと、病院がサービスという点に注目してきた結果だろうか。しかしいずれにしても病院の患者食というものは大きな限界のあることは事実で、画一性からは脱却することは不可能だ。一人ひとりの嗜好に合わせたサービスを提供できる場ではないからだ。

ただ嗜好や栄養学的な問題の解決はさほど困難なことではない。嫌いなら食べずともよいし、栄養だけなら輸液等で補うことができる。病院で常に残される問題は、ものを食うという人間にとっての根源的な行為を、病気や障害によって奪われた人たちにどう確保するかという一点である。

彼女の場合、入院してしばらく経った頃から、毎日三度配られる病院の食事を大方受け付けなくなっていた。それでもなお彼女は口から“食”することを望んでいた。それは健常者の理解をはるかに超えて“ものを食う”ことへの執着と偏りを示していたが、ボクはそれに全て応えてあげようとした。食への強い意志が彼女の生への希望と自由につながっていたからだ。これは自らの人間としての尊厳を保ち続けることへの意志だった。

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[Ⅲ163] 我がメメントモリ(30) / もの食う人間としての自由

2022-07-28 08:12:00 | 生涯教育

      

ボクと生年も同じで大学でも同期の辺見庸の著作に『もの食う人びと』(共同通信、1997)がある。古今東西津々浦々人間は食わないでは生きていけないことを痛切に語って秀逸なドキュメントとなっている。まさしく哀しくも人間は食わないでは生きてはいけない、生きるために食うのか、食うために生きるのか、そんなことも考えさせる作品だ。同じように病者とて、ものを食いながら必死に生きている。

アイスクリーム!/フルーツゼリー!/茶巾寿司!/カニちらし寿司!/グラタン/サラダサンドイッチ!/くずもち/卵サンドイッチ/江戸前寿司/海苔巻き!/リンゴ!/シャケおむすび!/いなり寿司!/お芋サラダ!/ラーメン/パイナップル/スパゲティ/納豆/サクマドロップ!/鰻蒲焼!/ギョウザ!/氷アイス!/ワンタン/茶碗蒸し!/カルピス!/冷し中華!/ソーメン/練乳!/チェルシーキャラメル/ラッキョ/蒲鉾/鯛味噌/あれこれの菓子パン!/トマト/ココア!/みたらし団子/洋ナシ缶詰/卵おじや/…

ボクの日記からひろったこれらの食べ物は、病床の若菜が食べたいと言ってボクに頼んだものだ。(!)の付してあるものは何度か頼まれたもので、彼女の好物だった。便利なコンビニなぞない時代のことで、どのようにしてラーメンなぞ運んだのか、どのようにして暖めたのか、暖かい食べ物をどのようにしてベッドまで運んだのか、器をどのようにして調達したのかなど、細々としたことについては思い出せないこともあるが、若菜の入院以来、私たちの家に来てくれて二人の子どもたちの面倒を見てくれていた母に作ってもらったり、病院の周辺の商店やレストラン、病院に来る途中にデパートの食品売り場に足を伸ばして調達したものがほとんどだった。ボクはどんなことをしてでも彼女の食の期待に応えようとした。病院には彼女の叔母・好子もほとんど毎日通っていたので、叔母が頼まれたものを加えれば、このメニューはもっと多くなるだろう。

彼女の病気はスキルス胃癌で、入院直後には手術が日程にのぼったこともあったが、内科と外科の教授も交えたカンファレンスが何度かもたれた結果、結局手術は不可能という結論が出た。手術による治癒は期待できず予測される手術後の生活不都合よりも、保存治療による生活を過ごさせたほうがいい、との医師たちの判断だった。そして病勢は急で、入院後1か月足らずのうちに腹部は外からスキルス(硬癌)の凸凹が触れられるほどになっていた。勢い消化管は通過障害を起こし始め、抗癌剤の副作用による嘔気は頻繁になってきた。しかしながら彼女は何とか口にできるものを食べようとしていた。上のメニューはその強い意志を物語っている。

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[Ⅲ162] 我がメメントモリ(29) / 死と”女性性”という世界観

2022-07-23 10:19:58 | 生涯教育

  

ここで高見順の日記を再び開いてみよう。“おもしろい(?)現象”という書き出しで彼が次のように書いているのが目にとまった。亡くなる4か月ほど前のある日の日記である。

「この間うちのように身体が弱ると、ものを書くことも、ものを読むことも、ものを考えることもできない。そのうち、すこし体力気力が回復してくると、一、ものを考えることはできる。しかしものを書くこと、ものを読むことはできない。二、次に、ものを書くことができるようになっても、ものを読むことは不可能。ここがおもしろい(?)。書くことが稼業だったせいか、今こうして、日記を書いているところからすると、ずいぶん体力気力が回復したみたいだが、まだ、ベッドに寝たっきり。(中略)三、ものを読むことは、まだできぬ。新聞や雑誌をパラパラと見る程度のことはできるが、単行本を読むことはできぬ。これはなかなか大変な作業なのだと分った。ものを読むということは、今まで、ラクなことだとばかり思っていたが、ものを書くよりもずっとむずかしい作業なのだ。」

ここには身体の病が、人間の知的活動を根本から揺り動かしているという実感が表現されている。だから病気をもった人間を、このようなところから見てあげることも、とても大切なことなのだろう。

高見は、それでも死の直前まで書き、死を考え、死と対峙し対決し闘っていた。この日記はそんな彼の姿を彷彿とさせるに充分だが、このような姿には痛ましさを覚える。

そしてまた若菜とは対照的な印象を受ける。このような違いはどこから出てくるのだろう。高見は著名な作家にして詩人だったが、高見の死への恐怖心は強烈で、死に関する得心や達意が全く見えてこない。そして世俗というか現世に対する執着がとても強い。

このような高見との比較でみると、何の功績もない一人の家庭の女性に過ぎなかった若菜は、死の受容という一点において、かなり異質のある到達点に達していたとボクは確信している。

それは”女性性”の特質であるとボクは考えている。C.G.ユングが『ヨブへの答え』(みすず書房、1988)のなかで、次のように記していることと考え合わせてみたい主題である。「完全性は男性の望むことであり、それに対して女性は本質的に十全性を求める傾向がある。‥完全性は必ず袋小路に行きつくが、十全性は一方向的な価値を欠いているにすぎない。」

若菜にも顕らかだったこの”十全性”は、ユングによれば永遠に神と共にある”ソフィア”であって、神の”明るい・情け深く・正しい・愛すべき”性質を示す。力と共に完全性をめざし、死と闘い、死を圧倒させ屈服させようと試みる”男性性”には見られない性質である。

竹下節子さんはフランス在住の比較文化史家にしてバロック音楽奏者。彼女に『女のキリスト教史ー「もう一つのフェミニズム」の系譜』(ちくま新書、2019)という著書がある。この本は、西洋近代思想の底流として普遍主義を育んできたキリスト教によって、被差別者とされてきた「女性」が、「人と神との関係」において、どのような役割を担ってきたのかを「聖書」を軸に考察している。「創世記」イブに始まり、ルツ、エステル、ヨブ記ヨブの妻、イエスを育てた女たちとして母マリア、カナンの女、サマリアの女、マグダラのマリア、そして後世のジャンヌ・ダルク、マザー・テレサなどを取り上げて、父権制社会と男性支配の世俗の権力機構に組みこまれて傍流の存在として処遇されてきた女性たちが、実は実質的に「神の国」をリードして来たこと、来るべき寛容で平和な世界を実体的に主導していることを顕らかにしている。目からウロコの革新的な竹下さんの視点は、上述のユングと通底するものだとボクは考えている。

若菜が天に召されてよりかなりの時間が経過した今、ボクはこのような”死と女性性の世界観”に強い共感を覚えている。ユングと言い竹下氏と言い、なお研究を続けたいボクの主題である。

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[Ⅲ161] 我がメメントモリ(28) / 死―実存する身体  

2022-07-20 08:54:20 | 生涯教育

      

若菜がたった2日間の病床日記しか書かなかった、あるいは書けなかったのは、身体の不快な症状が続き、侵襲の大きな検査や治療が続いたこと、何よりも癌が急激に彼女の身体を蝕み始めて身体の力が失われていったことによるとボクは考えている。その衰弱の様子は、健康なボクたちには計り知れないほどの病の暴力を見せつけるものだった。

ボクたちは自分の脳で知的活動を行っていることを知っている。物を考えたり、本を読んだり、物事を記録したりする作業はこの脳の働きによるものだ。ではこの脳さえ病気に侵されていなければ、これらの知的な活動はいつも続くものなのだろうか。ボクはノーだと思う。ボクらがひどい風邪を引いたときや、長く続く腹痛のときのことを考えてみればいい。そんなときのボクは何を考えるのも億劫で、普段の習慣としてやっている好きな作家の読書や日記をつけたりする作業もする気が起こらない。テレビや好きな映画を見ても、音楽を聴いても何も感動が湧かないことをしばしば経験する。つまりボクらの身体は脳の働きと直結している。脳はいい気になっていても、身体が挫折すると脳も挫折を体験することになるのだ。

彼女の場合も、入院の当初はこのように日記も書いたし、友人がお見舞いに届けてくれる本などもあっという間に読み終えた。彼女の望んだ編み物の本や竹西博子、岡部伊都子の本、松本清張の文庫なども、ボクはせっせと家から彼女のもとへ届けたものである。彼女は読むのが実に早かったので、新しい本を病院の駅前の書店で買って行く日もしばらく続いた。また小さなテレビを叔母のところから運び込むと、新聞の番組表を見ながらチャンネルを選んで楽しんでもいた。

しかしそんな日々はそう長くは続かなかった。彼女は次第に読書を億劫がるようになり、テレビにも次第に関心を示さなくなっていった。関心を引きそうな特集記事の載った雑誌を届けても開かれないまま枕元に置かれていた。

このような変化は、食欲が次第に落ちてきたこと、嘔気や腹水が出てきて次第に衰弱が目立つようになってきたことと一致していた。身体は彼女の脳を完全に裏切るようになってきていた。この時期は、キューブラー=ロスの段階説に則って考えれば、初期から中期の段階を行きつ戻りつしていた時期ということになるのだろうか。よくわからない。

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[Ⅲ160] 我がメメントモリ(27) / 心の世界 

2022-07-16 11:36:35 | 生涯教育

ボクと若菜とは深い共感でつながっていることは実感できていても、死に直面している彼女の心の動きの世界が、ボクにいつも測れていたわけではないことも確かなことである。目と目を合わせて二人で頷いたとしても、それは哀しくも完全な心の一致をみられることとは限らない。人間には目があり言葉があっても、同時に完璧な二人の世界に住むことはできない哀しさがある。ここは夢見る創作詩の世界ではない。

死にゆく人間の心の世界を解き明かしたと言われるのが、エリザベス・キュブラー=ロス(1926-2004)というスイス生まれのアメリカの精神科医。代表的な著作『死ぬ瞬間-死にゆく人々との対話』(読売新聞社、1971。「新版」中公文庫、1998)がある。日本でもベストセラーになった。

彼女の研究は1960年代にアメリカで始まった。その研究は、死にゆく患者を医療の手を離れたものとして見捨てるのではなく、一人の実存する人間として見直すための研究だった。死の床にある患者に自分たちの教師になってもらい、その心の中の恐怖や心配、希望を全て語ってもらうという革新的な試みであった。それはまた、今日の社会が死をうとましいものとして遠ざけているように、医療現場の死にゆく患者が、科学技術の進歩から疎外されている状況に対する挑戦でもあった。このような研究には当然のことながら当時の医療者たちから冷ややかな目が向けられた。

しかし、彼女を中心とする医師、医学生、神学生らのグループは、およそ2年半の時間を費やし約200人の患者にインタビューを実施していった。その結果、死に至る患者の心理過程には共通する「段階」があることを明らかにしたのである。この本の中心をなすのがこの「段階」の解説である。それは「第一段階:否認と隔離」「第二段階:怒り」「第三段階:取り引き」「第四段階:抑鬱」そして「第五段階:受容」である。そしてその後に「希望」が加わることもある。

これらの段階を例証するために、インタビューした患者とのやりとりと分析が必ず提示されている。この研究で明らかになったのは、死にゆく患者の心理過程にはこの「段階」があるという事実なのだが、言うまでもなくこの「段階」を全ての人が順序通りに踏んでいくわけではないし、どこかの段階に留まったままの人もいるし、またこれらの段階を行きつ戻りつする人もいることもコメントしている。

この本を読んだ直後のボクの率直な感想は、欧米と日本の彼我の文化の違いを感じたこと、全ての患者に病名を告知することを前提とするアメリカの医療との違和感を意識せざるをえなかったことだ。

若菜の死を看取った経験からは、もっと大まかで重層的な心理の動きであると思われるし、段階を明らかに踏んでいったという印象はほとんどない。それに加えて病気の侵襲の程度、つまり身体的な力がある時期と、衰弱してきた時期とでも異なるのではないかと思われた。キューブラー=ロスの研究結果とは裏腹に、大いなる違和感が未だに残っている。

しかしながらこの研究は、とても貴重で革新的なものであることに間違いはない。死にゆく患者が医療の場では、治癒への医学的手立てが無くなる時期と並行して軽んじられてきた。ましてやその心の世界には深い関心が払われることはなかった状況の中で、この研究成果はその後も、皮肉にも死にゆく患者も“生きた人間”であるという自明のことを啓発し続けているからである。次第にベッドサイドから遠のいていく医療者が、医学的アプローチ以外の方法で、再び訪れなければならない根拠を示しているのだ。(先述のアルフォンス・デーケン氏の場合は12段階だったが、大きく異なるところはないと言ってよい。デーケン氏の考え方のほうがやや細かな段階となっている。)

作家・高見順は『闘病日記/上・下』(岩波書店、1990)を残している。彼は1963年10月に癌を宣告され、手術も受けるのだが、その間病床で実に様々な事柄を記している。手術の翌年のある日、それまでの読書記録とか日々の細々とした記載が突如消えて「死をおもう」「夜、ひそかに慟哭」といった記述だけになっている。また1965年4月の終わり頃にはこのように記している。「内面的に、ほんの瞬間のことだが、今からおもうと、死との和解のときがあった。言いかえると、死とのたたかい(心理的な)を私は放棄した。そのとき正に死が来たのだ。…明るい瞬間だった。しかしそれはすぐ去った。死も去ってくれたわけだが。」この“和解”とは、キューブラー=ロスの「受容」にあたるのだろうか。

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