鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅵ291] 安楽死/考 (14) / 「安楽死」を弄ぶ者たち

2024-04-08 08:45:05 | 生涯教育

一人のALSの患者さんが主治医でもない二人の医師に”安楽死”を依頼して実行し亡くなった。2019年11月のことである。この患者さんはSNSで一人の医師Aと出遭い、この医師につながるもう一人の医師Bとタッグを組んで”安楽死”が実行された。二人の医師はその後逮捕・起訴され審理が続いてきたが、24年3月5日京都地裁でAには懲役18年の判決が出された。共謀に問われたB被告はこう話しているという(AERA dot.240307)。「Aは寝たきりの人や高齢者は医療費をむさぼり不要だと言い口癖のように”片づける”と言っていた」と。何とAは元厚労省医官である。Aの生命観には言葉を喪うしかない。

この事案を主導した医師Aがかつてツイッターの投票機能を使って「安楽死」の”対価”を公募したところ、”三千件の応募”があり具体的には「百万円」の声が多かったという記事を読んで、人間の生死が粗雑にボロ雑巾のように扱われていることに私は慄然とした。

この事案が報道された当初、関西の政治団体維新の幹部Mが「国会で議論しよう」と呼び掛け始めた。このMの言動を追ってみると、その言動にも批難が集中しているが反省の姿勢を見せず、人格としては露出好きで自己顕示欲が肥大していてイモラルと強欲を絵に描いたような人物らしい。しかも彼はいわゆる”優生思想”の持ち主だとの指摘がtwitter(現X)で流れている。もしこのことが事実だとすればMの浅薄で卑しい意図が透けて見えてくる。この政治団体のもう一人の幹部Oは、ALSの患者として日本で初めて国会議員となった舩後靖彦氏に対して、日本の「安楽死」議論をリードすべきだと声掛けしたり、体調不調で登院できないのは問題で議員報酬を受け取るべきではないと発言して、非礼非常識ぶりに批難が集中した。MもOも党勢拡大の戦術の一つとして「安楽死」問題を掲げているにすぎない。遣る瀬無き事柄である。

先述のM某は「難しい問題‥」とtwitterで述べているが、彼は大声で叫び注目を惹き目立つことで党勢が拡大し、「オレがこの問題を提起し発議した」と認めさせるだけで目的を達するのだろう。が、いやしくも政治や行政等公職に係る人間としては、「安楽死」「尊厳死」「優生法」「法制化」の問題に関しては、胸に手を当てて熟考し、生命倫理の研究者の論文を熟読し、西欧の国々の法制化に至るまでの困難な道程を研究し、さらに患者や家族の声に耳を傾けてから公言しろと言いたい。

実は既に日本では超党派の「安楽死」法制化のための議連がある。彼らがこうしたタイミングで動き出す気配を私は強く感じている。M某は遠回しにこの議連のメッセンジャーとしての役割を担わされているのかもしれない。物凄い臭気と猥雑さがこの人間からは伝わってくる。

人間の死は人生の終わりの「時」なので一人ひとりの重さがある。この死の重さが算盤や計量カップのA、B、C‥‥で計られて分類されて軽々しく安っぽく扱われていくのは、私には耐え難い。

先述のMとかOらが想起する法案に隠される企図は、”価値の高い人間”と”価値の低い人間”のトリアージである。自由主義経済の実践とか言いながら実は強欲と傲慢だけのエセ経済学者や強欲実業家たちが加勢して、重々しい医療現場の精神的負荷から逃れたいだけの医療者たちがあろうことか短絡的に賛意を示し、医療介護費用の増嵩抑制の強迫観念に囚われた官吏たちが偽善の愛国者として「安楽死」法制化を主導するのではないか。先述の医師Aのような「寝たきりの人や高齢者は医療費をむさぼり不要だ、オレが”片づける”」と考える者が実は数多いるのではないかと私は危惧している。つまりこの国では関係者らの"実存なき"安楽死法制化議論が進められていく気配が濃厚である。油を垂れ流した滑り台を滑るように議論が深められないまま「安楽死」の法制化がなし崩し的になされていくような気がしてならない。映画『plan75』の世界である。

竹下節子さんが直近のブログで次のように記していた。引用させていただく。「共和国理念の三つ目である「同胞愛」という言葉を使って「同胞愛法」などというネーミングをマクロンが提唱した。ごまかすのもほどほどに、とうんざりする。自殺幇助を合法化するというのが実態だが、終末医療の現場の人は圧倒的に反対している。‥命を授かったら「その命を最後まで生きる」というのが尊厳で、自己イメージとか誇りとかは関係がない。ケース・バイ・ケースだ。安楽死や自殺で守ることのできる「尊厳」なんておかしい。」

農夫が囲いの中にブタを追い込みながら叫ぶ「ブタたちよ早く囲いの中にはいれ、法律家たちが地獄に行くようにな!」これを見た法律家志望の男は法律家をやめて聖フランチェスコの弟子になった‥という話がある。法律家の中にはロクでもない輩も多い。無倫理で智慧/哲学の不要な法廷の場で勝ち負けの勝負師として生活してきた強欲の律法家/司法家たちが加わって「安楽死」法制化の議論に加わるのも耐え難い。

『ベッドに寝ていて、この世からの呼びかけがもうほとんど届かない重病人や、瀕死の人も、彼の使命をもち、重要なこと、必要なことを遂行しなければならない。』ヘルマン・ヘッセの言葉だ。

《ただ生きていることが尊い事》‥売れないチャンネルで「炎上商法」を仕掛けたタレントや自己顕示欲だけの優性思想の下衆、巷間言われる”今だけオレだけゼニだけ”思想の輩には、ヘッセの言葉が何を意味するのかはわかるまい。


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