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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅲ172] 我がメメントモリ(39) / 病気を告げ知らされることの”ない”権利 

2022-08-28 17:56:20 | 生涯教育

 

ある宗教法人の経営する病院の院長は、ここ数十年全ての癌患者に病名の告知をしていると得々と語っていた。ある医師は病名の告知をした患者とそうでない患者との比較を行い論文にしていた。最近では新聞のアンケート調査を見ても、この癌の告知は大方の医療機関での基本的な指針となっている。そして患者・家族の側でも癌の告知を望むという意見が一般的となってきた。

アメリカ医師会の調べでは、1960年代にはアメリカのほとんどの医師は癌の病名を患者に知らせていなかったという。その後癌の治療成績が向上して早期発見・早期治療が通念となり、知る権利という価値観が医療現場にも持ち込まれたことと、知らせなかったがための訴訟を恐れるがために、ほとんどの患者に病名が告知されるようになったという経緯は確かだろう。

しかしボクはこうした癌の告知を安易に是とする風潮を未だに理解できない。若菜の場合を考えれば考えるほどそう思う。先に触れた故アルフォンス・デーケン氏とは、『叢書:死への準備教育』を共同で編集したり、『死への準備教育のための120冊』を共同執筆したり、彼の主宰する「東京・生と死を考える会」の運営に参画してきた間柄である。氏は治癒困難な疾患の患者に対しても、告知をすべしという立場をとっていた。

その理由は、その人の人生の終末において、最後の区切りとしての遺される者たちへの別れのメッセージを発すること、やり遺した仕事や相続する遺産の事務処理等において、最後の時間を有意義に過ごすためにも「告知」は必須であるという理由による。氏の考え方については多くの部分で同意できたが、ボクには「全ての」患者に対してという点について同意できない部分があった。これらの点については、氏の講演会の際の往復の新幹線や飛行機の中で何度も議論をしたことが思い起こされる。

このようにボクは書いたが、ボク自身は癌の告知を是認する立場をとる。しかし告げて欲しくないという人間もいれば、曖昧なままでもいいという人間もいるだろう。問題はこの点であって、事はひとりひとりが決裁する事柄だし、それぞれの人間の人生に関わる内容を含んでいるからだ。医師だけの専権事項では決してないだろう。大切なのは、癌を告知されたことが意味をもつかぎりにおいて、という一点である。

治療の可能性がわずかでもあり、その後の手術なり治療方法を患者が積極的に受け入れることで、治癒の可能性が増す場合には、告知は大きな意味をもってくるだろう。患者には不安と相半ばして希望が生まれるからである。

問題とされるのは、治癒の可能性がほとんどない場合である。この場合でも、治癒の可能性が無くなったことを決然と受け入れて、残された人生の時間をやり残した仕事の仕上げに使おうとする意思と体力の残っている人には、告知の意味は大きい。では治癒の可能性がほとんど無い場合で、癌の告知が意味を持たないことはあるのだろうか。これが残された問題である。

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[Ⅲ171] 我がメメントモリ(38) / 看護師Tさん

2022-08-23 18:15:01 | 生涯教育

     

彼女の闘病は4か月で終わってしまった。その間死を見つめ続けた若菜のことを思うと、今でも胸が痛んで苦しい。ボクは彼女に一体何をしてあげられたのかと思うと、言葉もない。一生懸命に看病して尽くしたと言い切ることは、今でもボクの神経を逆撫でする。世界と時間とを共有してきた愛する者の死とはこのようなものなのだろう。痛覚は残り続けている。

病室で病気と共に闘っていた日々、病院の看護師の存在は大きなものだった。医師とは異なり看護師は患者の日々の生活の部分、つまり食事や排泄、運動、清潔、安楽、安全といった彼女の日常生活援助活動を担ってくれていた。

看護師たちの活動は、癌の末期にあって衰弱し不快な症状に悩まされている患者にとって欠かせないものである。彼女たちの活動は24時間の体制で継続され、深夜も常に多くの患者に目が向けられている。こうした仕事の緊張感も並大抵のものではない。にもかかわらず看護師の処遇は決して恵まれたものではない。医学のサブシステムとして位置づけられてきた歴史が長すぎたことと、看護師たちの実力が伴わなかったことが原因だろう。

最近では患者の入院期間が一般的に極端に短くなり、看護業務の手順もマニュアル化してきて、看護師のベッドサイドの業務の質的変化も見られる。癌の末期の患者がすべてホスピスや緩和ケア病棟でのケアを受けられるわけではないとしたら、一般病床における癌患者をめぐる看護師の業務そのものが根本的に見直されなければならないだろう。

医師の当たり外れがあるように、看護師の当たり外れも当然ある。ここではTさんのことについて触れよう。若菜が個室に入ってからしばらく担当になった看護師が彼女だった。Tさんはいつも若菜と共通するような話題を持ち出しては、処置をしながら話を交わしていた。Tさんは福島県の出身であることがわかり、山形市生まれの彼女とは近い話題もあったのだろう、東北弁で話し合っては二人で笑いこけている場面がしばしばあった。癌の末期の患者の大笑い、それは何と感動的な事柄だったろう。

「ほれ米沢の近くのスギー場があっべさー、何ど言ったがなー忘れだども、あのスギー場にはおらー何度も行っだごどあるのよー。」

「天元台スギー場でねぇべだかー?」

「んだ、んだ、そごだ、あるどぎそごでー足さ折ってすまってかっちゃー(母ちゃん)にひどぐ怒られたもんだ。すんべぇ(心配)かげて悪かったと今でも思っでるよー。ところであんだはスキーやるのけ?」

「ちがぐにうんと山こさあるだども、オラやんねぇ、しぇんしぇー(先生)にずいぶんと教わっだどもハァー、上手くなんねぇのよー。」

「むつこい(かわいそう)ねぇー。」

こんな会話がどれほどボクの心を和ませてくれたことだろう。Tさんはそんなユーモアの持ち主でもあった。身体の大きなTさんは、身体に似合わず器用そうで処置もてきぱきしていて経験の深さを感じさせるものだった。彼女も年頃も近いTさんには信頼を寄せているのがボクにもよく伝わってきた。そして一通りの処置を終えると、いつもTさんは彼女の側に座って彼女と目の高さを揃えて話の続きをするか、彼女の疲労が大きいときには黙ったまま手を握ったままじっとしていた時もあった。忙しく走り回る看護師の姿を目の当たりにしているボクには初めは驚きだったが、それはTさんの人間としての最大限の態度だったのだろう。

嘔吐の苦しみのあとの疲労でぐったりして目を閉じている彼女の手を握ったまま、Tさんが涙を浮かべている姿をボクは何度か見た。そんなときTさんは一体何を感じていたのだろうか。懸命に患者を援助してなお、専門家として何もしてあげることができない無力さと痛みをTさんも抱えていたに違いない。その姿はボクにとっての慰めともなった。

看護師の当たり外れと言い切ってしまうのは簡単だが、看護師の一人ひとりの仕事の熟練と人間的な成熟がいかに大切なものか、Tさんの仕事ぶりはそのことをボクに教えてくれた。

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[Ⅲ170] 我がメメントモリ(37) / 医師の人間味  

2022-08-20 13:37:32 | 生涯教育

若菜がK医師を信頼していたのには十分な理由があった。それはK医師が人間の良質なものをもっていた、という月並みな表現しかできないのだが。このことは先の外泊をめぐってのカンファレンスの彼の言葉に表れていたといえる。医療の場で哲学の問題を持ち出すのは、おそらくとても勇気のいる事柄だったと思う。それを敢えて言える人間の資質をもっていたのがK医師だったろう。

このK医師のことを思い出すたびに、ボクの敬愛する方波見康雄さん(2021年後藤新平賞を受賞された)の言葉が浮かぶ。北海道空知郡の診療所でホスピス医療を実践してきた方波見さんは次のように言っている。「医学は本来、人間学なのである。そして医学・医療の進歩のための努力はいつも哲学や宗教といった人類の精神的遺産の中に見いだされる深い知恵を反映したものでなければならない。」

医学を人間学だと言い切ることも勇気を必要とすることだ。すぐさま多くの医師から反論が出されるだろう。だがこうした医師たちには医学が万能の神のように写っていて、医学がそれ自体で完結した実体であるかのように考えている。しかし医学は物理学や化学とは違って、医療者を介在して初めて医学になるのだ。医学が人間学であるという主旨はここにある。

方波見さんの言葉をさらに追記しておく必要もある。彼は哲学や宗教と医療者の関係について次のようにも記している。「末期癌の人を前にして医師は、哲学者や宗教家のように振るまう必要はないということである。ターミナル・ケアの現場には解決しなければならない医療的課題が充ちている。その解決のために医師はまず、身体的ケアという、自らの専門の職責に徹していく義務がある。」(叢書・死への準備教育/第2巻第6章「癌の人間学」)

ここで“身体的ケア”という言葉に注目したい。この言葉が指し示すのは、不快な症状とくに痛みや呼吸困難を取り除くということである。これらは必ずしも癌細胞を叩く類いの積極的な治療の範疇には入らないが、患者にとってはこれらの痛み・呼吸困難といった症状の軽減は、生きる意欲と闘病への希望を持ち続けるために欠かせない条件なのである。ここで注目した医師の身体的ケアはとても尊い医学的方法なのだ。

モルヒネの使用について、WHOの指針が示すような十全な使用が未だ完遂されていない日本の医療の現実には激しい憤りさえボクは覚える。日本の医療現場は過去の幻影と誤解と不勉強に未だに引きずられていることをモルヒネの使用実態が示している。

K医師や方波見さんのような感覚をもった医師に出会えることは、患者にとって幸いなことだ。医学的な手立てが見当たらなくなると患者の前に来なくなる医師や看護師も多い。患者と何をどう話していいか分らないし、そのような教育も受けていないという理由からである。また治療や検査にあたってどのような処置を行うか、その実施内容や順序を入力したスケジュール表(クリニカルパス)の導入は、診療や看護プロセスが標準的に行われる利点もあるが、一方では患者の個別的なニーズが勘案されない落とし穴がある。この点に医療者の自覚も促されなければならない。

患者は医師や看護師を選べない。癌の末期の患者の場合などは、どのような医師や看護師に出会えるかで、その残された大切な時間の中身を左右されてしまうのだ。彼女の場合は幸いだったが、そうでない患者も多いはずだ。

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[Ⅲ169] 我がメメントモリ(36) / 「哲学の問題なのです!」  

2022-08-17 18:35:53 | 生涯教育

       

病院とか学校には共通する面白い事柄がある。そこで医療及び教育を受ける患者や生徒・学生には、医師や看護師及び教師を選択できないという事実である。制度というかシステムがそうなっているから仕方ないが、良質な医師や教師に“当った”患者や生徒は幸せだが、“はずれた”不幸は持って行き場がない。しかし我慢も大事だと常日頃教えられているから、普通は我慢してしのぐ。

だが患者を見れば刺身のように無性に切りたくなる医師もいれば、生徒を前にしただけで殴りたくなる教師や、生徒を性的対象としか見ることのできない教師がいることも事実だ。そうした医師や教師は脳の回路がそのように出来ているのだから御しがたい。彼らの脳の回路の修復に期待したりするのも無理な話だ。だから、医師や教師を忌避する、異議申し立てをする、担当や担任の変更を求める、抵抗する、病院や学校を替えるといったことも、患者や生徒の手立てであり「権利」であることをよく認識しておきたい。

医療における「セカンドオピニオン」とは、納得のいく治療方法や医師を選ぶために、別の医師に「第2の意見」を求めることで、徐々に日本の医療現場に浸透しつつある。教育の場においても、生徒や保護者の考え方に基づく「セコンドオピニオン」が浸透する必要がある。見えざる力というか権威や圧力が片流れの屋根のようにはたらくのが病院や学校現場の実相であるので、「セコンドオピニオン」の考え方は公正で適切なものであることを認識しておきたい。

ボクの経験を話そう。前に記したように一人の研修医に担当を外れてもらったことはあるが、それを除き彼女は担当医師には恵まれたと思う。医師には“当った”のだ。

病院では彼女の治療方針に関するカンファレンスが頻回にもたれていた。医師たちも難しい決断を迫られていたのだろう。ボクもそのカンファレンスには何度も参加した。とくに手術をめぐっては、手術に賭けるべきだとする意見と、予後の生活不安が明らかなのだから保存治療に委ねるべきだとする意見とに分かれ、激論がいつも闘わされていた。ボクはこのカンファレンスで医師たちから意見を求められたこともあった。ボクの考えは手術に賭けたいというものだったが、結局それは諦めざるを得ない結果になった。しかしこのカンファレンスは、ボクには彼ら医師たちの真摯な姿勢を伺う場となった。

このカンファレンスは、一人だけの医師の独断や誤謬を防ぐ場であり、よりよい選択肢を探る場のようにボクには見えた。そしてボクのような家族がその意思決定に参加していたのである。ボクをこうしたカンファレンスに呼んだのはOとKという担当医師だった。いずれも40歳前後の若い医師だった。

ある日のカンファレンスのことである。彼女の外泊がテーマになっていた。すでに外泊は危険だという意見と、もう一度やらせてあげるべしという意見とに分かれていた。その長い議論の末にこのOとK医師は、「この外泊は医学や医療の問題ではなく哲学の問題なのです!」と言って議論を打ち切ったのだった。もちろんボクの意見を聞いたうえでのことである。ボクは二人の医師に心で手を合わせた。

とくにKという医師のことをボクは未だに忘れることができない。彼女が深く信頼していた医師だった。個室に入ってからはこのK医師は担当ではなくなったのだが、しばしば病室に彼女を訪ねてくれた。診療するわけではなく、帰り際とかに立ち寄って彼女の話を聞きにきてくれるだけだったのだが、その訪問が彼女にとってどれほど心強かったことだろう。職務ではあったが、外泊の際には自宅に必ず電話を入れてもくれた。彼女の最後の日にも夕方立ち寄ってくれたことも幸いだった。

若菜がK医師に何を聞きK医師が彼女にどう答えたかはここではさして重要ではない。患者と医師(医療者)の信頼関係こそが大切なのである。

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[Ⅲ168] 我がメメントモリ(35) / 検査=スターリン

2022-08-14 13:25:58 | 生涯教育

佐多稲子さんの作品『夏の栞-中野重治をおくる』(新潮社、1983)という本の一節に次のような箇所がある。

「処置のとき、スターリン主義というものを考えたね。精神力がたとえ強かったにしても肉体の限度というもの、あるからね。あれは非人間性、ということになるだろうね。」

中野が入院していた病院で医療処置を受けた直後の感想を述べたものである。ここでは処置とあるが、おそらく検査だろう。この検査がよほど辛かったのだろう。豪気な中野が弱音を吐いている。その検査で痛みと苦しみをひたすら我慢させられることが、圧倒的な権力を背景に残忍な拷問にかけるスターリンを連想させ、強い精神力をも踏みしだくような非人間的なものを感じたのである。

検査はその病気を直接治す薬や手術とは異なり、医学的判断を下すための一つの資料である。そのことを患者は知っている。だから回数は少ない方がいいし、痛みや苦しみは少ないほどいい。ましてやろくな説明もなくその日に突然言われでもしたら、冷たい独房での拷問さえ連想しそうである。今日の拷問ではいよいよ吐くか、なとど錯覚しそうになるではないか。

検査はやればやるほど病院の収益になるからというのは論外にして、病院での検査は確かに多い。彼女の場合もそうだった。それはなぜなのだろうか。

「診療」という言葉がある。言うまでもなく「診断」と「治療」を合成したもので、医師の専門的な業務を表現する言葉でもある。近年の医学はとくに診断学の進歩がめざましいとされている。言い換えれば疾患名=病名を特定する方法が特に発展してきている。だから医療の場ではとくに診断のための検査が増えてきたのは当然の帰結であった。

このような背景から、とくに診断のための検査に頼って病気の確定診断や病気の状態の判定をするようになってきている。現代の医療には、医師の経験や能力に頼む仁術的要素は後退し、それに代わって科学的な方法が優位を占めるようになってきている。そして検査は多くなってきているのだ。彼女の場合も病気が病気だけに検査は頻繁で、それをとても嫌がっていた。

しかし事は検査の回数の多さや非効率さだけではなかった。伏兵のスターリンは意外なところにも潜んでいたのだ。元気なときには50㌔近くもあった体重が30㌔近くまで落ち込んでいた彼女は、衰弱も激しかったので、その日の放射線撮影は部屋で行うことになった。朝二人の技師が二人、ポータブルの重い機械を転がすようにして運んできた。

撮影の準備をする二人の会話の端々には荒れたザラザラとした無機的な感情が見て取れた。ボクは冷たいものが身体を走るのを覚えた。彼らの目の前には地の通った人間なぞ見えない風だった。処置や手さばきも無機的だった。彼らは彼女の顔もボクの顔も一切正視することはなかった。

その一人が壁に向かったまま、ボクに彼女を抱き上げるように言った。まるでアンドロイドのように人工的な声だった。ボクは彼女の浮き出た背骨がシャーカステンに当って痛がるので、何かいい方法はないか?と彼らに聞いた。しかし彼らからは何の返答も無かった。撮影の間彼女は背中の痛みをこらえながら細い声でうめきつつ涙を流していた。彼らの職務遂行にはそんな事柄には構っていられないと思っていたか、全く気づいていなかったのだろう。その反応にボクは思わずぶんなぐろうかとさえ思ったほどだ。これはこらえた。彼らは相変わらず何の反応も示さず無機的な作業を続け、終わると”黙ったまま”引き上げていった。

彼らはいったい何者だったのだろうか。

病院という場には、このような死者のような表情の独裁者スターリン(今であれば佐多稲子さんはプーチンと言っただろう。邪悪な心においては似たようなものだ。)が必ずいることが、ボクには未だに不思議でならない。

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