同室の患者同士が交わす情報には独特のものがある。例えばそれは、ベッドの上で楽に食事をする仕方であったり、お見舞いの果物を長持ちさせる方法だったり、患者の家族構成や看護師に関する噂だったりした。健康に生活している者とはいささか話題が違うのだ。若菜もその点では情報魔(!)であり、聞きつけた事柄を早く話したくて、ボクの来るのを待っていたかのようにして話し始めることもしばしばだった。
こうした関心を示すことは元気な証拠でもあり、他愛もないそんな話を聞くことはボクの楽しみでもあった。ところが家族にさえ決して話をしない患者同士だけの情報のあることをボクはある日知ることになった。
若菜がいくら嫌がっていても病気の勢いには抗えず、次第にベッド上でのトイレッティングに馴染むようになってきていた。一旦そうなると諦めが先立ち慣れるのはきわめて早い。今度は歩いてトイレに行きたいとは言わなくなった。その代わり、しきりに匂いや音のことを気にするようになり、ボクは若菜から頼まれて匂い消しを幾種類も買っておいた。
この頃からボクは、若菜を個室に入れてあげようと考えるようになっていた。そして時々話題に持ち出した。でもお金がかかるし・・というのがいつもの若菜の返事だった。実のところその通りで、ボクの貯えも残り少なくなってきていた。しかしボクは二人の父から借金をしてでも若菜を個室に入れようと心に決めており、室料の比較的安い病棟の個室を確保して欲しいと既に頼んであった。そして日も経たずして部屋がとれたという連絡が看護師から入った。
ボクはそのことを早速若菜に告げた。すると驚いたことに、若菜は首を大きく左右に振り、イャッ!と言って、決然とした表情を見せたのである。
「お金の心配なら何も考えなくていい。大事なのはワカナなんだ。個室なら気兼ねもいらないし、いつでも誰でも面会は自由だし、ボクも夜は側に寝てあげられるよ。」
「そうじゃない!だってあそこは最後の場所になるんでしょ。だからイヤ。断わってきてちょうだい!」
若菜の顔は真剣そのもので固かった。目が異様に光っていた。その頑なさに異様なものを感じた。どう返答するかにボクは窮していた。
「最後の場所だって? 冗談じゃない、ワカナを治す場所だ。このベッドの上で気兼ねしながら便器を使っているワカナを見ていられないんだ。個室に入れば、敬一や静雄だって大きな声も出せるし、いつでもワカナに会えるんだ。そうしなければいけないよ。そして思う存分のんきに病気を治すんだ!」
若菜の顔はさっきの固い表情から、いぶかしそうな曖昧な表情に変わってきていた。
「個室って、ほらその向こうにある所でしょ?」
ボクは一瞬その意味が理解できなかった。
「その向こうの個室って、まさか!そこのICUのことかい?」
うん、と若菜はうなずいた。ボクはその瞬間、固い氷が一挙に融けていくような気持を味わっていた。ボクはゆっくり笑った。若菜の鼻先を指でちょこんとこづいた。
「ワカナ! そこは病棟所属のICUで、この病棟の患者が急変したときに緊急に入るところで、たしかにここで亡くなる人も多いかもしれない。でもボクがワカナに確保した部屋は全然違うよ。この病棟からは遠いけれど七病棟というところの個室さ。新しい建物じゃないけれど、静かで落ち着いた病室だよ。そこのICUじゃないよ。」
若菜の表情がパッと明るくなった。ボクと同じように、冷たい固い氷が若菜の中でもすっかり融けたらしい。ボクたちはお互い肩を抱き合って笑った。
「だってそこの病室で亡くなった人を私は5人も知っているの。みんなこの部屋にいた人たちよ。あの病室に入った人で帰ってきた人はほとんどいないの。だからみんなであの病室には入らないようにしよう、って励ましあっていたのよ。
ワカナ、またユウキに借りができちゃったね。ところでお金は大丈夫なの? 個室ってお金がかかるんでしょ?」
「だから心配するなって言っただろう、いよいよとなったら親父たちに借りるさ。ワカナが良くなってから、それは必ず返そうな。」
若菜は、うん、と言ってボクの肩に両の手を置いた。