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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ221] 日本人とか日本社会とか(1) / ケネディ、鑑三翁を読む

2023-02-24 17:11:33 | 生涯教育

    

鑑三翁の著作に『代表的日本人』(鈴木範久訳、岩波文庫、1995)がある。これは鑑三翁が1908(明治42)年に刊行した英文書”Representative Men of Japan”の翻訳書である。

鑑三翁はアメリカ留学中には当然のことながら「日本人」を強烈に意識した3年間であった筈だ。これは『余は如何にして基督信徒となりし乎』にも強く表現されている。アメリカ留学は病気のため3年間で切り上げざるを得なかったのだが、この留学は鑑三翁の期待に添うものではなかった。先述のように当時経済的に世界をリードしつつあったアメリカは、キリスト教における清教徒的信仰精神は退行し、金銭万能主義が国の隅々まで浸透し享楽への価値観が世を覆っていた。キリスト教会世界もその影響は免れることはできなかった。

このようないわば”荒野を喪失した”アメリカ社会に遭遇して鑑三翁は考えた‥‥キリスト教徒からは「異教徒」と蔑称されている日本人の中にも、武士道精神や仏法精神を尊ぶ優れた人物が多くいるのに残念なことだ、と。鑑三翁が”I would rather be a heathen than be a Christian (私はキリスト教信者になろうとするよりもむしろ異教徒でありたい)”(注:William Gurnall〈イギリスの作家、清教徒牧師。1617-79〉の言葉とされている)と記した所以である。優れた人物が日本にも数多おり、来日したキリスト教宣教師などよりも高い精神性を有した日本人が存在することを、外国に向けて知らしめたいと考えて英語で執筆されたのがこの本だ。最初は『Japan and the Japanese(日本及び日本人)』として1894(明治27)年に英文版として出版された。その後、デンマーク語版、ドイツ語版も出版されている。

鑑三翁はこの本では代表的な日本人として西郷隆盛/上杉鷹山/二宮尊徳/中江藤樹/日蓮上人の五人を取り上げている。この五人を取り上げた背景や原著の資料等については興味関心は尽きないが、鑑三翁がこの本を初めて出版した当時には、これら五名が偉人として日本人の尊崇の対象になっていたのは確かである。この本を翻訳した鈴木範久氏の「解説」によれば、鑑三翁が、五人の”偉人伝”を執筆する際に資料として用いた本について触れており、「これらの資料を通じて、全体的にいえる特徴は、いずれも当時入手でき、しかも通俗的で、少年読み物の類いまであることである。今日の目から見れば学問的には評価の低い資料が多いが、それは時代の制約からみても致し方がないであろう」と記している。また研究書レベルの論文記事は外国の人たちには難解に過ぎて、かえって逆効果になることも鑑三翁は知っていた。鑑三翁の見識である。

そして日本人の生活観、道徳観、世界観を海外の人たちに紹介するには、傑出して優れていた偉人たち、すなわち明治維新時の実質的な指導者であった西郷、幕藩体制下で藩の財政改革や藩士たちの教育に大きな功績を残した鷹山、地方の山村で様々な社会資本や農地の改革を成功させてきた社会活動家の尊徳、日本独自の朱子学を体系的に発展させ多くの優れた教育者を育てた村の教育者藤樹、日本の仏教史上にあって仏教思想を基に社会改革に取り組んだ日蓮。彼ら五人は欧米世界から見れば”異教徒”の日本人だが、その精神性の高さ、倫理的な強靭さと指導者としての見識、市民国民に与えた影響力の大きさと強さは、欧米キリスト教世界の聖人・哲学者・政治家・教育家等に比肩できる指導者であることを鑑三翁は実証したかったのである。

1961年に第35代アメリカ合衆国大統領となったJ.F.ケネディが就任した際の記者会見で、日本の記者が「あなたの尊敬する日本の日本の政治家ぱ誰ですか」と問われて、ケネディは即座に「上杉鷹山」と答えた。ところがそこにいた日本人の記者たちは上杉鷹山を知らなかった、というオチがある。ケネディは内村鑑三の”Representative Men of Japan”を読んで上杉鷹山公の人物像、政治家としての業績、行政改革、産業改革、社会及び道徳改革等について知っていたのだ。当時このことは新聞記事にもなって大きな反響を呼んだ。それ以来日本でも上杉鷹山に関する出版物が多く出され、鷹山ブームまで起こったことが思い起こされる。

私はケネディというアメリカの大統領の見識に驚いたことを記憶している。鑑三翁は百年以上も前に一本の矢を射った、それは見えなくなったが百年後にアメリカ大統領に止まっていた‥というわけだ。鑑三翁の”してやったり !  ”の笑顔が浮かぶようである。

『代表的日本人』は、言ってみれば鑑三翁の好む「偉人論」である。鑑三翁は「偉人」や「英雄」を紹介することは、日本国民の長所を知らしめることにもなり、海外の人間にとっては啓蒙的なインパクトがあって、その人間の生きた時代的背景、政治経済社会的な背景や物の考え方、風俗、民俗等への理解が促されることを鑑三翁は知悉していたのである。鑑三翁が神から付託された預言者的一面を示しているではないか。

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[Ⅳ220] 女が男を保護する事(20) / 私は保護されてきた

2023-02-19 18:18:32 | 生涯教育

私の妻若菜が短い闘病生活を経て天に召されてから40年以上が経過した。

彼女は入院中に何度かの外泊をしている。二人の子どもたちとゆっくり時間を過ごし、私たちに食事をつくってあげるのだと大きな希望をもって外泊をした。その時の様子は、連載の[Ⅲ144]我がメメントモリ(11) / ワカナ幸せだった!(220523)に掲載した。その一部を再掲する。

『夕食後、ボクは敬一と静雄を風呂に入れ、母と好子叔母も風呂に入った。そして敬一と静雄を二階の寝室に寝かしつけた頃に、若菜は目覚めた。

「‥若菜は気をとり直すかのように、小さくうなずいた。そして「お風呂に入りたい」と言った。母と好子叔母が口をそろえるかのように、お父さんに入れてもらいなさい、と言い、ボクもそうしてあげようと思い準備をし始めた。できるだけぬるいお湯がいい、と若菜が言うので、風呂に水を足した。母と叔母は若菜を大きなバスタオルでくるむようにして、風呂場で待っていたボクのところへ連れてきた。ボクは滑らないように気をつけながら若菜を引き受けた。

これまでの帰宅では、若菜は二人の子どもを風呂に入れたがり、事実それができる体力もあったのだ。しかしそれが無理なことがはっきりわかった今日、若菜の落胆はどれほど大きかったことだろう。若菜と二人で風呂に入るのも何年ぶりかだったろう。子どもたちが生まれてからというもの、二人だけで風呂に入ることも忘れていたのだった。若菜の身体はすっかり痩せてしまってはいたが、懐かしい裸体だった。愛おしかった。ボクは石鹸をつけたタオルで、ていねいに若菜の身体を洗ってあげた。

背中の肩甲骨が突き出ているのを見た。突然ボクは胸から熱いものがこみあげてきた。背中から若菜を抱きしめたまま、顔を背中に当てたまま嗚咽してしまった。しばらくたってから、若菜が胸に回ったボクの手をやわらかく握って言った。

「ユウキ、ありがとう。ワカナ、幸せだった!」

それ以上ボクたちにはどんな言葉もいらなかった。

身体が冷めないようにバスタオルで覆って髪も洗ってあげた。洗い終わるとボクは先に浴槽に入り、洗い場の若菜を両の手で抱くと、そっと浴槽に入れた。ボクの腕の中で若菜はさらに軽くなっていた。気持いい! 気持いい! と何度も何度もボクの腕の中で、若菜はささやくように私に言った。ボクは若菜の目をのぞきこんだ。ボクたちは自然に口づけをした。』

この時の記憶は私の中で鮮明である‥私は若菜のやせてしまった肩甲骨を見て彼女の背中に顔をあてたまま嗚咽してしまった。すると若菜は前に回した私の手をやわらかく握って私の名を呼んでこう言った。「ありがとう。ワカナ、幸せだった!」

この時の若菜の声は私の全身の細胞の隅々にわたって記憶されている。生涯忘れることはないだろう。そしてこのとても短い若菜の言葉は、その後の私の全てを支えてくれてきた。何のことはない、私は若菜が天に召された後も彼女の魂と彼女の持ち合わせていた十全性に「抱かれ/保護され」て生かされてきたにすぎなかったのだ。

(「女が男を保護する事」おわり)

 

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[Ⅳ219] 女が男を保護する事(19) / 看護は女性性そのもの

2023-02-16 08:48:54 | 生涯教育

助産師たちは川嶋さんの話に引きずり込まれ、全員がハンケチを出して涙を拭うようにしながら聞き入っています。恐らくは彼女たちはこのように思っている‥『水道水も十分でない、電気も頻繁に停電をする、薬もなく医療機器もほとんどない、医師もほとんど常駐しない、そんな中で自分たちが毎日妊産婦や子どもたちに行うことのできるのは、声をかけて励ましたり、声掛けで安心させたり、分娩のさなかで産婦の隣りに座り手を握ってお産を促したり、胎児が産道から無事に出て来たら臍帯を処置したり沸かしておいたお湯で産湯を使ったり、そして赤ん坊がこの世で初めて泣き声を発した時には産婦と一緒にハグして喜びを分かち合う、赤ん坊が熱発で運び込まれたときには母親と共に赤ん坊の様子を十分に観察し、水で常に冷やすように母親に指導し、共に観察しながら母親を励まし‥といったのが日頃の仕事だ。薬も医療機器も十分ではないが、私たち看護職の仕事はこうした人間の自然治癒力に期待し、それが十分に働くように患者たちを導いて行くこと‥それでいいのだ、そのままでいいのだ、と川嶋さんは言っている。私たちが毎日毎日何気なく行っている看護ケアの方法で良かったのだ ! 』‥と。彼女たちは自分自身で確信を持ち始めたことを示しています。全員が自分たちの看護ケアが”科学的な根拠をもった裏付け”で成り立っていることを確信したのです。

このように私には感じられました。川嶋さんのパワーポイントを交じえた講義が終わると、彼女たち全員が立ち上がり拍手をし、そして川嶋さんとハグを繰り返しています、全員が。川嶋さんも涙をたたえていました。この講義は成功でした。

看護ケアというものは医師の仕事と重なり合いながらも、人体を切開したり薬を処方したり病名を診断したりするのではなく、患者(クライエント)の自然治癒力に着目して、その治癒力が全ての力を発揮して病を治癒に向かわせるように仕向ける仕事であると言っていい。だから患者の生活する環境(病室や自宅)を整え、静寂を保ち照明を調整し、ベッドやシーツを清潔にし、転倒したり傷つけたりしないように整備する。歩いてトイレに行けない患者には排泄に関する様々な方法を共に考え実施する。患者の訴えをよく聴き、適時これらの情報を医師に報告する。患者の心の動きを察知して不安の原因となるものを一緒になって取り除き安心させるように導く。身体が不潔にならないように清拭したり、手や足を拭くときには声掛けをして観察する。苦しそうな時には観察し心身の苦痛を和らげ安楽にできる方法を考え実施する。例えば体位を変えてあげる、楽な呼吸ができるような体位を検討し実施する、など。食事は可能な限り口からとれるように工夫し、病院食の制約の中で患者の嗜好や食事の形態の工夫(かゆ食、刻み食など)を行う。鎮痛薬は医師が処方するが、常時患者のそばで観察を怠らない看護師は、その鎮痛薬の量とか痛みを訴える間隔とかに関しては重要な医学情報を提供する責任者である。患者の人権を犯すような行為を行わず、その尊厳を守れるように常に心がける(暴言、殴打、プライバシーの尊重等々)。看護という仕事はこのようなものだ。

アフリカの助産師たちは「私はここにいるのだ、ここにいるのだよ、彷徨って他の場所を探さなくたっていい、ここにいるのだから」という神の言葉を聞いたのだと私は信じている。

「看護」という仕事は、元来母親が何気なく自分の子どもや家族に行っていたケアに発祥する。これは「女が男を保護する」以外の何ものでもない。「看護」こそ〈女性性〉が自然に表現してきた所作であり、仕事でもある。

死にゆく患者には傍らに添ってあげて、一人じゃありませんよ、大丈夫ですよ、安心して旅立ちなさい‥沈黙の裡にそう語ることのできる者は、最も愛する家族だけでなく、成熟した専門職看護者にも可能なのだ。

 

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[Ⅳ218] 女が男を保護する事(18) / ”てあて”という看護 

2023-02-12 18:21:08 | 生涯教育

この日の講師は川嶋みどりさん(注:日本の看護師、日本赤十字看護大学名誉教授、1931-。日本での専門職看護職の専門性を多くの著作によって開発・啓発した。フローレンス・ナイチンゲール記章受賞。『看護の力』〈岩波新書、2012〉など一般書もある。)。主題は『てあてTEATE』。聞き手は10人のアフリカ諸国の助産師たち。彼女たちはほとんどが最貧国と言われるアフリカ諸国1か国1名の割り当てで来日していた。日本で実地訓練を含めたより専門的な助産師トレーニングを6か月間行うプログラムのとある一日の研修。

川嶋さんは通訳を介して助産師たちに語りかけた。「日本での研修では、高度先進医療機関で機器の整った病院での研修を期待して来日されたのだと思います。でも私は皆さんのお仕事に関して、そのような高度の機器の話をするつもりはありません。そのような機器の扱い方や管理の話を聞きたいのであれば、その期待に応えることはできません。私の話は皆さんが帰国して、今すぐに実行できる看護技術の話です。これ以上の素晴らしい技術はありません。それは”てあて”というものです。

医師は患者さんが痛みを訴えた時には鎮痛薬を与えて痛みを取り去ろうとします。患者さんが眠れないときには、睡眠導入剤や睡眠薬を与えて患者さんが眠れるように試みます。患者さんが不安を訴える時には、抗不安薬を与えて不安の解消を試みます。でもそのような医療は皆さんの国では容易に薬物が十分に入手できない可能性があります。そんな時看護職(助産師や保健師や看護師)の皆さんはどうしていますか ? 」

川嶋さんの質問に彼女たちはキョトンとしています。川嶋さんは回答を待ちました。しばらくの沈黙が続きました。すると一人の助産師が回答しました。「何とか医師を探して薬を処方してくれるまで努力します。」川嶋さんは答えました。「そうですね、でも医者が不在で薬も手に入らない時間が長くなったらどうしますか ? 」助産師の回答。「患者さんに少しの間我慢するように言います。」川嶋さん。「そうですね、患者さんにはある程度我慢させることも大事。でも私たち看護職は、医者が居らず薬が手に入らない時にもできる方法があるのですよ。それが”てあて”です。そもそも皆さんが分娩のときに、陣痛で痛がっている産婦さんにはどのように対応していますか ? 」一人の助産師の回答。「えーっと‥産婦さんのそばに立って、頑張ってね、しばらくの辛坊だから ! と声を掛けます。そして分娩の展開を見計らいながら産婦さんの汗を拭いたりします。それと産婦さんの手を握ってあげます。そして声掛けして励まします。」川嶋さんは答えました。「それが”てあて”ですよ ! 私たち専門職看護職の専売特許の”てあて”です。皆さんはいつでも痛みを訴える産婦さんに対して、声掛けする/手を握る/汗を拭く‥といったケアの基本を既に実践しているじゃないですか !  ”てあて”とは人間の手を当てて、体温を感じるといった事だけでなく、手をあてることで患者さんが安堵の気持ちを感じることがあります。また私たちが行う”マッサージ”も、自然にお母さんが子どもの背中をさするような行為や、肩こりをほぐすような行為を指しますが、こうした行為も”てあて”の一種です。”てあて”は手をあてることですが、この行為は人間にとって何と大きな幅の広い意味をもつものでしょうか。私たちはこのことを看護ケアの基本として、もっと重要視しなければならないと思います。患者さんに触る/手をあてることでケアをする者の「心」を伝えることになる看護の技術です。

“てあて”という行為ははとても素晴らしい行為です。日本でも高度先進の機器類に囲まれた分娩でも、最も重要なのがそのようなケアなのですよ !  皆さんは素晴らしい仕事をされています。日本に研修に来られなくても十分な仕事をされているじゃないですか。」

助産師たちは初めはうなづいて理解を示していましたが、次第に彼女たちの心臓の鼓動が高まり体温が上昇していることに私は気づきました。川嶋さんは続けます。

「日本で私たちが”てあて”と言う時には、基本はお母さんが子どもが熱を出して苦しんでいるときに自然に行うケアの方法、氷枕を頭の下に置き(体温をさげる)、呼吸が楽になるように楽な体位にしてあげる、食事がとれないときには粥食にしたり流動食を食べさせる、水分を常に与える、布団や毛布の掛け物を調整する、部屋は静かな環境を整え明るさを調整する、目覚めている時には子どもの様子を観察しながら声掛けする、楽しい話を心がける、手を握る、これを自然に愛する自分の子どもにおこなっています。無償の愛する者への自然の行為、これが”てあて”です。」

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[Ⅳ217] 女が男を保護する事(17) / マリア出現/ルルド

2023-02-08 22:32:47 | 生涯教育

ユングの見解を続ける。

ヤーヴェ(父神)は、義人ヨブが彼を追い越してしまったことをひそかに認め、人間の水準に追いつかなければならず、そのためには神は人間に生まれ変わらなければならないと考えた‥これがユングの独創である。そして神は自らの本質を変えようとするのだ。人間は前のように滅ぼされることになるのではなく《救われる》ことになる。この決断には人間を愛する《ソフィア》の影響が認められる。つまり造られるのは人間ではなく《人間を救うための》ただ一人の神人である。この目的のためには「創世記」と逆の手続きが使われる。男性である《第二のアダム〈キリスト〉》は最初の人間として直接創造主の手からもたらされるのでなく、《人間の女性〈マリア〉》から生まれる‥これがユングの結論だ。

このたびの主導権は第二のイヴにある。こうして処女マリアは来たるべき神の誕生の清らかな器として選ばれた。彼女の自立性と男性に対する独立性は彼女の原理的な処女性によって強められる。彼女は「神の娘」であり、後に(カトリックの)教義として確定されるように、すでに最初から無原罪の受胎という特権によって特別な存在であり、またそのために原罪の穢れから免れている。ヤーヴェはこの新しい創造行為の本質的な部分をソフィアに決定させたのである。なぜなら「女性のうちで最大の祝福を受けた者」マリアは、罪人〈人間は誰もが罪人である〉の友であり、とりなし人だからである。彼女は《ソフィア》と同じように《仲保者》であり、神のもとへ導いていき、それによって人間に不死の救いを保証する。《両者とも、母も息子も本物の人間ではなく、神である》。

ローマ法王は《マリア被昇天》即ち処女聖マリアが霊魂も肉体もともに天に上げられたという教義を1950年に全世界に向かって公布した。その結果、法王の宣言はプロテスタントの立場を、女性を表すものが天にいない単なる男性宗教ではないかという非難にさらすことになった。

プロテスタンティズムは明らかに男女同権を示す時代の徴(しるし)に十分に注意を払わなかったではないか、とユングはプロテスタントの立場と解釈を批判する。これに比較すると、カトリックは元型的なシンボルが世俗的に発達してゆくに任せ、それが理解しにくかろうが批判を受けようが、元の形のままで押し通している。この点にカトリック教会の「母性的な性格」が見られる。というのはそれは自らの母体から育っていく樹がそれ固有の法則に従って発達していくに任せるからだ。なぜならプネウマはもともと風の性質を持っているために、柔軟であり、水や火に喩えられるようにつねに生き生きと流動しているからである。

それに対して父性的な精神によって義務づけられているプロテスタンティズムは、初め世俗の時代的精神との対決から形成されただけでなく、その時代の精神的潮流との論争も今も続けている。

以上がユングの独創的な見解である。ユングのプネウマ=マリア論は十分な説得力をもつ。

帚木蓬生氏(1947- )は小説家にして精神科医。彼の作品に『信仰と医学;聖地ルルドをめぐる省察』(角川選書、2018)がある。カトリック信者の聖地フランス・ルルドには毎年500万人が訪れ、その洞窟から湧き出る水を飲むと病気が治癒すると言われてきた。この地を作家であり現役精神科医でもある著者が実際に取材し、体験し、科学では説明がつかない不思議な現象をどう受け入れるべきなのかを考察したのがこの本である。ルルドにおける聖母マリアの出現以来、160年の歴史を振り返り、過去の治癒事例から徹底検証し、ルルド体験を通じて信仰と医学の関係性を多角的に論じている。

ルルドの少女ベルナデットは学校の成績は芳しくなかったが無邪気でよく笑うごく普通の少女だったという。そして彼女の前に聖母マリアはルルドの洞窟に18回姿を表した。第一回目は1858年、以来聖母マリアは秘密を語り、ローソクを立てるように命じ、聖堂を作るように少女に語りかけた‥これがルルドの奇跡である。この事によりルルドはマリアの秘跡を受け継ぐ場として現在に受け継がれている。

ルルドには現代医学に基づく医学検証所が設けられている。この研究所が治癒と認めた症例は70例、8割が女性で幼女から若い女性が多い、フランス人が7割、泉での沐浴と飲水75%、巡礼の帰途、聖体行列などの儀式。帚木蓬生氏も本書で検証所に記録されている症例のうち「現代医学から見ても」マリアの奇蹟と考えてもよい症例をあげて解説を加えている。

こうして聖母マリアはその後も時に少女たちの前に姿を表し続けた。ルルドでの秘跡や癒しの形跡は現代医学でも認められている。またその奇跡や僥倖に出会えるのはごく限られた者のみではあるのだが、彼女は息子キリスト・イエスと共に、このような場所に実は既に体現しているのだとも言える。人間を庇護する女性として‥帚木蓬生氏はそのように記している。

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