この権力者による圧政について鑑三翁の記事がある。コーヘレスは圧政によって苦しめられる民衆に共感を示している。現代語訳した。
【《圧制は今も》 彼(コーヘレス、伝道者)は、本来自由に振る舞うべき者たちが、権力者の圧政によって苦しむのを見て泣いた。彼はあらゆる場所に行ったがいずれの場所でも行われている権力者による圧政を観察して言った。「わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た。見よ、しえたげられる者の涙を。彼らを慰める者はいない。しえたげる者の手には権力がある。しかし彼らを慰める者はいない。」(4:1)と。圧政は広く世に行われている。‥自分の安寧を保つためには、一つの階級は他の階級を圧力で支配していつまでもその圧政の手を緩めないのだ。そしてたまたま博愛の精神をもった人間が出て来て、誰にでも分け隔てなく平等に愛すること、天の分け前は等分にすべし、と言った事を主張する者が現われると、権力者は怒りをもって彼らの声を封じ、彼らを社会秩序を攪乱する者との罪を着せるのだ。そして彼らが再び登場して貧しい者たちの権利を主張することを妨げるのである。このようにして圧政は伝道者の旧約の時代に行われ今なお行われているのである。文明が進歩したところで圧政を減らすものとはならず、ただその形態を変えるまでだ。】(全集22、p.64)
鑑三翁がこの記事を執筆したのが1915(大正4)年のことである。1914年に始まった各国入り乱れての第一次世界大戦にも日本は連合国側に参戦し中国に侵攻、ロシア革命の前夜でもあり、日本でも政情不安が渦巻いていた。鑑三翁にはそのような国際情勢や日本政治の不実が身に染みたのだろう。鑑三翁は往時観察した世界や日本を歎じて健筆をふるっている。ソロモンの生きた世と、鑑三翁の生きた時代の日本と、私が今生きているこの時代と、一体どこが変わったと言えるのだろうか。
旧約聖書「伝道の書」の語る所は人間や人間社会の真実を鋭く突いている。この書の著者は、しえたげられ涙を流す弱者や被抑圧者、被支配者の側に立ち、権力をふるう者や権力者の周辺に群がり諂い媚び続ける者たちを指弾している。また官僚として権力機構の枝葉として働いていた者でしか書けない表現箇所も多い。であるとすればソロモン王を著者とする聖書解釈主流派の解釈はかなり苦しい。ただしソロモン王も神への不従順の罪で一時期退位をさせられていた時期もあり、また次のフレーズ「わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。」(1:13-14)これを読めば、ソロモンの天才的な人智を超える能力がこの書を創ったと言えなくもない。