鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅴ252] 泣きべそ聖書(12) / しえたげられる者の涙(2)  

2023-07-27 22:06:11 | 生涯教育

この権力者による圧政について鑑三翁の記事がある。コーヘレスは圧政によって苦しめられる民衆に共感を示している。現代語訳した。

【《圧制は今も》 彼(コーヘレス、伝道者)は、本来自由に振る舞うべき者たちが、権力者の圧政によって苦しむのを見て泣いた。彼はあらゆる場所に行ったがいずれの場所でも行われている権力者による圧政を観察して言った。「わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た。見よ、しえたげられる者の涙を。彼らを慰める者はいない。しえたげる者の手には権力がある。しかし彼らを慰める者はいない。」(4:1)と。圧政は広く世に行われている。‥自分の安寧を保つためには、一つの階級は他の階級を圧力で支配していつまでもその圧政の手を緩めないのだ。そしてたまたま博愛の精神をもった人間が出て来て、誰にでも分け隔てなく平等に愛すること、天の分け前は等分にすべし、と言った事を主張する者が現われると、権力者は怒りをもって彼らの声を封じ、彼らを社会秩序を攪乱する者との罪を着せるのだ。そして彼らが再び登場して貧しい者たちの権利を主張することを妨げるのである。このようにして圧政は伝道者の旧約の時代に行われ今なお行われているのである。文明が進歩したところで圧政を減らすものとはならず、ただその形態を変えるまでだ。】(全集22、p.64)

鑑三翁がこの記事を執筆したのが1915(大正4)年のことである。1914年に始まった各国入り乱れての第一次世界大戦にも日本は連合国側に参戦し中国に侵攻、ロシア革命の前夜でもあり、日本でも政情不安が渦巻いていた。鑑三翁にはそのような国際情勢や日本政治の不実が身に染みたのだろう。鑑三翁は往時観察した世界や日本を歎じて健筆をふるっている。ソロモンの生きた世と、鑑三翁の生きた時代の日本と、私が今生きているこの時代と、一体どこが変わったと言えるのだろうか。

旧約聖書「伝道の書」の語る所は人間や人間社会の真実を鋭く突いている。この書の著者は、しえたげられ涙を流す弱者や被抑圧者、被支配者の側に立ち、権力をふるう者や権力者の周辺に群がり諂い媚び続ける者たちを指弾している。また官僚として権力機構の枝葉として働いていた者でしか書けない表現箇所も多い。であるとすればソロモン王を著者とする聖書解釈主流派の解釈はかなり苦しい。ただしソロモン王も神への不従順の罪で一時期退位をさせられていた時期もあり、また次のフレーズ「わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。」(1:13-14)これを読めば、ソロモンの天才的な人智を超える能力がこの書を創ったと言えなくもない。

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[Ⅴ251] 泣きべそ聖書(11) / しえたげられる者の涙(1)

2023-07-23 16:49:11 | 生涯教育

◎わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た。見よ、しえたげられる者の涙を。彼らを慰める者はない。しえたげる者の手には権力がある。しかし彼らを慰める者はいない。(伝道の書、4:1)

涙を流して虐げられる者を慰める者はおらず、彼らを虐げる者にも慰める者はない‥虐げられる者云々は理解できるが、虐げる者にも慰める者はいない、とは一体どのような事を示しているのか。

旧約聖書「伝道の書」(新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」)は、一読すると「聖書」全体の思想と相容れない言葉や表現に満ち、神の不在を嘆いているようにも、空海仏教に通底する思想(例えば空とか無)を表しているようにも見える。これは編纂された当時のギリシアのストア派の懐疑/厭世観、エピクロス派の快楽主義の影響を色濃く反映したものと考えられている。また伝道者が取り上げているのは日常生活における不条理や不合理であり、これらの現実観察は神の支配原理/神の計画について人間が知ることは出来ないのだという絶望の表明である(「新聖書辞典」)。言い方を変えれば幸福をもたらすとされる知恵、正義、女性、家族、財産、信仰といったものでは人間は満足できない。人間は知恵を獲得するが、その知恵も格言も獲得した瞬間に空虚な言葉となり、むしろ人間の苦悩や空虚さを増すものだ。そして伝道者が思想遍歴や数多の実体験を経て到達した結論は最終章の次の言葉である。「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪とともにさばかれるからである。」(伝道の書12:13) 神なくして何が人間の人生か‥と結論づける。

「伝道の書」の著者については、イスラエル王国二代目王ダビデの子・ソロモンと言われている。ソロモンは知的に群を抜く優秀さを持ち、旧約聖書の「雅歌」、「箴言」の著者ともされている。その博学と外交的能力は天才的なものだったらしい。だが「伝道の書」は彼の手になるものではないという説も根強く残っているが、この問題に立ち入る力は私にはない。

本題に戻る。伝道者は、権力者の圧政の下で苦しみ嘆き涙を流す者たちをたくさん見てきたが彼らを慰める者はいない。そして政治的権力を握り民衆を圧政によって苦しませている者たちに対しても彼らを慰める者もいないのだ‥と記す。それはそうだ、慰めを与えてくれる神は姿を現さないのだから。

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[Ⅴ250] 泣きべそ聖書(10) / ヨブの涙は神に向けて流される(2)

2023-07-19 09:35:27 | 生涯教育

ヨブは自分の死の近い事を覚悟した。友は全く相手にもならぬ。そしてここでヨブは神と対峙するが如く涙を流しながら必死に神に訴え頼むのだった。どうか〈彼〉が人間のために神と弁論して私と友との間を裁いてくれるように、と。

ここで〈彼〉とは何者なのだろうか。ここは鑑三翁に聞く。原文のまま要点の部分のみ記す。

【 神に対して怨(うらみ)の語を放つは、勿論その人の魂の健全を語ることではない。しかしこれ冷かなる批評家よりもかえって神に近きを示すものである。‥ヨブは死の近きを知り、かつその不当の死なることを一人も知るものなきを悲みて、わが血をしてわが無罪を証明せしめんとて地に後事を托して、綿々たる怨を抱いて世を去らんとするのである。これ絶望の悲声であって理性の叫ではない。‥ヨブの無罪を証を立つる、一種の証人を要求するのである。‥この証人は弱き人類の一員であってはならぬ。同じく弱き人にてはこの事に当ることは出来ない。故に人以上の者でなくてはならない。故に神の如き者でなくてはならない。しかし神自身であってはならぬ。人の如き者にして我らの弱きを思いやり得る者でなくてはならぬ。神にして神ならざる者、人にして人ならざる者、これすなわち神の子たるものである。他の者ではない。ヨブの証者要求はすなわちキリスト出現の予表である。】(ヨブ記講演、p.119-、岩波文庫、2014)

友人との議論は続いた。その時神はヨブに答えて言われた。「この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた。「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。」神は「創世記」を述べる‥地の基をすえ、海の水を流れさせ、光と暗やみをつくり、雪を風を雨を若草を星座を雲を動物を造り、やぎの子を産ませ、野ろばを野牛をだちょうを馬を鷹を生かしている者は自分であることを知れとヨブの前で言う。ヨブは答える。「見よ、わたしはまことに卑しい者です。なんとあなたに答えましょうか。ただ口に手を当てるのみです。」と。神は続けて天地創造の以来の神の業(わざ)の全てをヨブと友人たちの前で語る。勿論ヨブには返す言葉は全くなかった。ヨブは再び神に答えて言った。「私は知ります。あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。‥わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。それでわたしはみずから恨(うら)み、ちり灰の中で悔います。」(42:1-6)

何と驚くべきことに義人ヨブの涙の訴えは神に聞き届けられた。神はヨブを赦し、友人たちに対してはヨブのように神について正しい事を述べなかったと非難した。だがヨブは友人たちのために祈った。その時神はヨブの繁栄をもとに返し、ヨブの全ての財産を二倍にされたのだった。ヨブには以前にも増して家畜を多く与えられ、幸福な新たな家族にも恵まれた。

鑑三翁はこのヨブの涙から至福に至るまでの事を「しかるに今は万象を通じて、神を直感直視するの域に至ったのである。彼の歓び知るべきである」(同書p.181)と記している。

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[Ⅴ249] 泣きべそ聖書(9) / ヨブの涙は神に向けて流される(1)   

2023-07-15 10:04:44 | 生涯教育

◎わたしの友はわたしをあざける。しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。(ヨブ記16:20)

神に対して敬虔であり義の人ヨブに何ゆえ深刻な災いがふりかかるのか。なぜ神は沈黙を続けているのか。その神に対してヨブは”とりなし”を願い神に向かって涙を注ぐのだ。

ヨブはウズという地の人で、生活は誠に正しく神を畏れることを知り、悪を遠ざける人だった。彼の子どもは男七人女三人の家庭で、羊七千駱駝三千牛五百メスの驢馬五百、僕も多く居り、富裕で神を敬い敬虔な生活を営んでいた。エホバ神は正しく神を畏れ悪を遠ざける点においてヨブほどの人間はいないと考えていた。そこでサタンはエホバに言う。「彼の財産や家族を撃てば彼は神を呪いますよ」とエホバをそそのかした。サタンはエホバの許しを得て、天の火によって家畜を全滅させカルデア人がラクダを奪い僕を殺した。大風によって子女を全て死に至らしめた。

しかしヨブは深い悲嘆の中でも神を呪うことはなく言う。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」と。企みに失敗したサタンは再びエホバに申し出て許しを得て、今度はヨブ自身を撃ち悪性の腫物でヨブを絶望のどん底に落とした。それまでヨブに深い共感を寄せ理解のあったヨブの妻はヨブに向かって「神を呪って死になさい」と自死を勧めた。そして妻もヨブのもとを去った。しかしヨブは「神から幸をうけるのだから、災いをも、うけるべきではないか」と言って、神を呪う言葉を一切発しなかった。

このような災いがヨブに臨んだことを聞いて、別々の所に住むヨブの三人の友人が遠路ヨブのもとを訪ねてきた。三人の友人(老友エリバズ、神学者ビルダテ、若者ゾパル)はヨブの悲嘆の深さを知って慰めの声もかけられず共に涙を流した。ヨブは自分に降りかかった悲劇について心情を吐露して言う。「なにゆえ、悩む者に光を賜い、心の苦しむ者に命を賜わったのか」(3:20)と煩悶する。

友人はヨブの根源的な問いに答え始めるのだが、それらは悉くヨブの深刻な問いへの答えとはならない。三人の友とヨブは延々と議論を闘わせる。しかし友の回答はどこまでも公式見解や一通りの紋切り型の回答に過ぎず、友の忠言が無価値であり彼らの反復語に飽き、ヨブは「わたしはこのような事を数多く聞いた。あなたがたは皆人を慰めようとして、かえって人を煩わす者だ」(16:2)とまで言い切るのだった。

そしてヨブが涙と共に語るのが上記の聖句である。「地よ、わたしの血をおおってくれるな。わたしの叫びに、休む所を得させるな。見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。わたしの友はわたしをあざける、しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。どうか彼が人のために神と弁論し、人とその友との間をさばいてくれるように。数年過ぎ去れば、わたしは帰らぬ旅路に行くであろう。」(16:18-22)

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[Ⅴ248] 泣きべそ聖書(8) / 涙の泉をください‥    

2023-07-11 19:12:25 | 生涯教育

 

内村鑑三という人は、キリスト教にとってみれば異教の国日本に神の意思で配置された”預言者”だ‥私はそう考えている。がしかし鑑三翁には人生途上の困難が幾度も襲った。このことは私のこの連載で何回も記事にした。心身共にタフな鑑三翁にも心の疲労困憊が襲うことがあった。1912(明治45)年に記された日記風の記述にそれが表れている。執筆されたのは娘ルツの死の直後の事である。「某日某時」という記事の主題が鑑三翁の心の疲労困憊を物語っている。鑑三翁の神への祈りの言葉のようだ。鑑三翁の心が泣いていることが伝わる。「某日某時(その日その時)」とは鑑三翁が神の手によって「死」へと誘われる時のことである。

【◎某日某時(その日その時)  「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。」(マタイによる福音書24:36) その日その時を私は知らない。しかしながら必ずある時に知る。私は神と顔と顔を会わせて神を見る。神が私を知るように、私も神のことを知ることができますように。その日その時を私は知らない。しかしながら必ずある時に知る。私は私の愛する者と再び会う。その時には死はなく嘆きと哀しみのなきように。その日その時を私は知らない。しかしながら必ずある時に知る。私の希望は全て満たされ、私の涙をことごとくぬぐって下さるように。その日その時を私は知らない。私はこれを知ろうとは欲しない。私は父なる神の約束を信じる。私は静かにその日が来るのを待つ。】(全集19、p.155-56)

鑑三翁のこの記事は文章のスタイルも珍しいものだ。鑑三翁の祈祷の文章なのだろう。鑑三翁は黙示録の9章/21章「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる」ことを真摯に神に祈っている。神が鑑三翁を天に迎えに来られる日を待ち望んでいる。

鑑三翁はどうして”泣きべそ”になったのか。それは娘ルツの死が最大のものだったろう。しかしこの祈祷の一文を書いた背景はそれだけではない。全集19巻の編集に携わった田村光三氏(経済学者、明治大学名誉教授、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)理事、1928- )は19巻「月報」に記している。

『内村鑑三にとって、1912(明治45)年における、そしておそらくはその生涯における、最も重大な出来事のひとつは、いうまでもなく愛娘ルツの死であった。「余輩の髀(もも)の柩骨(つがひ)挫け、余輩は歩行(あゆ)むこと能はざるに至れり」(「慰むべき者慰めらる」〈全集19、p.36〉)と、内村はその打撃のさまを記している。この年の前後には「重々の不幸」が内村の身辺でおこった。前年の十一月三〇日には高橋ツサ、十二月二十八日には石川一子、そして年明けて一月十二日にはルツがこの世を去った。内村にとって「地上の花一時に散り失せて寂寞の情耐へ難きものあり、我が苦痛(いたみ)実に大なり」(「重々の不幸」〈全集19、p.58〉)であった。』

鑑三翁の記す「地上の花」とはこれら女性たちのことである。娘ルツ(19歳)は言うまでもなく、鑑三翁を頼って盛岡から上京し住み込みで家事を手伝い、鑑三家族とりわけルツを妹のように深く愛してくれた高橋ツサ(享年27歳)、鑑三翁の住む角筈で近所付き合いしていた石川一子(同21歳)もルツを妹のように愛してくれていた。鑑三翁が愛し、また愛娘のルツを深く愛してくれた親しい女性たちが、立て続けに天に召された時、鑑三翁の心を満たしたのは涙だった。そしてユダヤの民が娘たちが殺されまたバビロンに捕囚として引き立てられていく姿を見て預言者エレミヤが記したように、自らの目が”涙の泉”となることを望んだに違いない。そうすればエレミヤのように天に召されたユダヤの民の娘たちのために昼も夜も泣くことができるので。鑑三翁はこうして泣きべそになった。

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