鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅵ286] 安楽死/考 (9) / 鑑三翁は安らかな死を懇願した

2024-02-26 19:07:40 | 生涯教育

鑑三翁が天に召されるまでの最後の日々の様子は、鑑三翁が深く信頼していた主治医の藤本武平二の日録に記録されている。私の連載(Ⅱ126:さらば、鑑三翁 (6)/藤本武平二氏)にも掲載した。その中でこのような場面がある。鑑三翁が亡くなる前日の藤本氏の記録である。これを再掲した。藤本氏は敬愛するキリスト者内村鑑三翁とのやりとりを、日々忘れないように克明に記録していた。

〇 3月27日ご容態はよくありません。食欲は振るわず、浮腫が全身に及びました。午後8時半から私一人で枕頭にいました。次の間には高橋菊江姉(注:看護師)が控えていました。10時注射の時間となりましたが、先生は言われました。

「じーっと堪えていたら悪魔が二度ほど通り過ぎた。無抵抗主義で勝った。注射なしでやってみよう。」

「なかなか戦いがえらい(注:「大変だ」の意味)。何とか方法はないか。」

そこで私は強心薬と共に、かねて内村博士と打ち合わせてあった鎮静薬の少量を注射しました。10時50分でした。

「僕は臆病者だから平素勉強しておいて、試験勉強などしないようにする。研究誌の草稿でも4か月分ほどはいつも用意している。」

「何とか静かに眠らせてくれ。」

「これでだんだん死ぬのか。」

と言って安らかな眠りを要求されるのでした。遂に先生は言われました。

「必要なら注射を何本でもしてくれ、君に全責任を任せるから。責任を負うのはいやか。」

私は答えて「全責任を負って安らかに眠らせて差し上げます。」と言うと、先生は話を継いで言われました。

「万一眠ってもすぐ天国で逢えるから、僕を静かに眠らせてくれ。」

薬が効いて少し眠気を催されたと見え、先生はさも心地よげに言われました。

「内村鑑三、主イエス・キリストに在りて眠れり。」

しばらくしてから言われました。

「誰も彼もみんな許す。その代わり僕の罪も主イエス・キリストに在りて許してもらう。」

少し間をおいて言われました。

「キリスト信者はいいなー。」

「万一の事があってもみんなを起こして騒ぐんじゃないよ。君一人でたくさんだから。」

「キリストと僕と君と三人でたくさんだ。」

「永久の祝福、君と君の家族と君の仕事の上にあらんことを。」

「君が内村家族、日本国、人類を代表して、僕を眠らせてくれ給え。」

(以下略)

鑑三翁は心臓疾患に伴う呼吸困難、浮腫、食思不振などに苦しんでいた‥この苦しさは何か月も続いているが果たして完治するものだろうか、いやそれは無理だろう、この苦しさは自分の我慢の限界を超えている、仕事のことは全てやり遂げて後継者にも全てを托したし完璧だ、苦悶の夢の中で悪魔が出て来て自分は闘い勝った、だが目覚めれば苦しさは募る、早く神が腕(かいな)をさしのべて私を天国に誘ってほしい、藤本に鎮静剤の増量を頼もう‥。「必要なら注射を何本でもしてくれ、君に全責任を任せるから。責任を負うのはいやか」と鑑三翁は藤本氏に”懇願”している。

以上のやりとりは藤本医師に対する鑑三翁の「安楽死」というより「尊厳死」への婉曲な誘いであると思料される。鑑三翁は家族、日本国、人類を代表して、僕を眠らせてくれ給え‥とまで話す。鑑三翁を自分の信仰生活の師として敬愛していた藤本氏には、鑑三翁の身体的苦悶の全てがわかっていた‥医師として医学的に完璧な医療を誠実に最後まで提供しよう、キリスト・イエスの御名において‥そのように藤本医師は考えていた。しかもこれらの医療行為は藤本氏単独の判断で行われたのではなく、鑑三翁の長子である医師・内村祐之氏との二人の判断で行われたものであることは重要である。一人の医師の独断や感情論を限りなく避けて行われた科学者としての医師の見識を見る事ができる。

 


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