鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅵ280] 安楽死/考 (3) / 懇願‥らくに死なせてくれ

2024-01-14 11:22:45 | 生涯教育

鴎外がこの書で指摘している主題は「経済的な貧困」と「安楽死」である。貧しくとも懸命に兄弟が支え合って生きてきた。その愛する弟は重篤な病気になる。弟は考えた、この病気は苦しいばかりで恐らく治癒の可能性もないのだろう、その上経済的にも兄に大きな負担をかけている、と。その苦悶の末に弟は自殺を決行する。未だ死を果たせないまま苦しんでいる目の前の愛する弟は、彼に死を懇願している、その時兄の動揺困惑は止まり弟の苦しみを解放してあげようと考えてカミソリを抜いた。弟を死に至らしめた行為によって罪を負わされて島送りになる際に、役人から手渡されたのは生涯もったこともない大金。

鴎外は医師として軍医として、軍属や一般人の病者の多くの死に立ち会ってきた。その中で自然死のように老衰や穏やかな心不全などで亡くなる患者は幸せである。しかし重篤な病気から来る疼痛、呼吸困難、食摂取・排泄や歩行や運動機能の絶望的な喪失、治癒への絶望感‥鴎外は医師として、数多の患者の苦悶の限界状況に直面してきた。そして医師/医学者としての無力感と絶望感を身に負いながら、次のように考えたのである。「死に瀕して苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。」

鴎外は(あるいは真摯に今日日医業に立ち会っている医師も同様に)幾百回もこの事を考えた、致死量までならば麻酔薬を与えても良いのではないか、一般世間の道徳は患者を苦しむがままにしておくべきた、医師の手で死に至らしめるのは殺人だと言う、だが医師の世界では必ずしも世間通りではない、そして鴎外は「楽に死なせてあげるべきだ」という考え方を是とする心情に傾いている。

しかしながら、患者自身は生きたいと意思表示している、家族も生きていて欲しいと願っている、患者の苦痛に耐える限界を超えた症候も、時にふっと消失する時があり、患者自身も家族もきっと快方に向かうだろうという淡い希望をもつ時が訪れる、あぁ死ななくてよかったと皆がそう思う時がある、しかしそれはほんのひと時のことであり、再びあの辛い苦しみ痛みを伴った苦悶が患者を襲う‥この繰り返しだとしたらどう考えるべきか。

『高瀬舟』は医師としての鴎外の煩悶、ジレンマ、病の不条理性が表現された秀れた作品である。臨床医として軍医として常にこのような場面に立ち会ってきた鴎外としては、専門家ばかりでなく一般の人たちにも「安楽死」のもつ深遠な問題を共有してもらうためには、小説という形が最適だと考えた。そして事実この『高瀬舟』『高瀬舟縁起』を読んだ者は、提示された「安楽死」の問題に関して、実存的な「解」を迫られることになる。日本の教科書で『高瀬舟』が掲載されていることを私は良しとしている。

ところがこのような深遠さを含む問題に関して想像力が及ばない凡庸さの固まりの如き者たちもいる。また煩わしいとか面倒くさいので誰かがとっとと早く決めてくれと問題そのものを放擲する者もいる。また権力者の側に立って愛国者然として振る舞う議員や官僚たちの中には、治癒困難な病気の者に対する高額医療や先進医療を廃絶して医療経済の崩壊を守れと主張する者もいる。果ては生産性の無くなった貧困老齢者には”自己決定権”に基づく死を選択させるべきであり、その際国家は優雅な「死の野辺送り」制度を整備すべきだと主張する者たちもいる。2022年コロナ禍の中で公開された早川千絵監督の映画『plan75』の世界である。しかしながら医学/医療/看護/福祉を一人一人の市民国民に届ける事が国家の目的の根幹であるとすれば、彼ら国会議員官僚らの主張にはこの根幹を揺るがす錯誤があるとは言えまいか。

また直近でも成田某という一人のタレントが、続けて仕事が舞い込み報酬を確保したいがための”炎上商法”の手法を用いて、TV番組で「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という趣旨の放言をした。すると彼の目論見通りに話題は炎上し、彼はその後TV業界から引っ張りだことなっている。大手広告代理店の権力がTV業界を支配している浮薄が透けて見える。彼は冗談のつもりと言い訳けしたらしいが、私は暗澹とした気持ちになった。また国民みんなが思っていることを自分が代表して発言したとも言ったらしいが、それは”炎上商法”の偽装であり虚偽だ。この発言でTV出演回数を増やしてゼニ稼ぎしているわけで、愛国者然と振舞い国家権力に阿(おもね)る卑怯卑劣な言動でもある。

事は人間の尊い生命と死の問題である。これを足蹴にして遊戯している愚劣漢を相手している暇はない。先を急ぐ。


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