鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅵ279] 安楽死/考 (2) / 鴎外の問題提起

2024-01-04 17:29:42 | 生涯教育

鑑三翁の「安楽死」観に立ち入る前に、森鴎外の『高瀬舟』について考えてみる。この小説は教科書にも掲載されてきた”問題作”であり、数多の人たちがこの作品が扱う「安楽死」の問題について論じている。映画化もされた(松山善三脚本、1988)。ここでは私なりの論を起こしてみる。

小説『高瀬舟』のあらましである。

《徳川時代には遠島を命ぜられた京都の罪人は高瀬舟で大阪へ護送されたものである。この話は彼らを護送する京都町奉行所の同心の話の一つである。‥‥兄弟殺しを犯した男が少しも悲しそうにしていなかったので、その理由を尋ねると、彼は遠島を言い渡された時にもらった銅銭二百文が持ったこともない大金であったと話した。そして子供の頃に両親を亡くした兄弟は二人で力を合わせて生きてきたが、弟は病気になり、兄は懸命に働いて弟の看病をしてきたが、ある日仕事を終えて帰ると弟が喉にカミソリを食い込ませて苦しんでいた。弟は長期の病気で苦しみこれ以上兄に迷惑をかけられないと思い自殺を図ったのだ。弟は「カミソリを引き抜いて死なせてくれ」と頼むが彼は躊躇した。しかし弟は死ぬことを強く懇願しており、彼は煩悶の後にカミソリを引き抜いた。‥‥この話を聞いた同心は、この兄の行為に共感を覚え、弟の死に手を貸してしまった兄の行為は決して不当なものではないと考え、また島流しも正当ではないと思うのだった。》

鴎外は『高瀬舟』の発表と同時期に『高瀬舟縁起』(岩波文庫、1938初版/青空文庫#46234)を発表している。これを引用させていただく。
【 この話は『翁草(おきなぐさ)』(注:江戸時代に書かれた随筆集。京都町奉行所の一人の与力によって書かれた)に出ている。池辺義象(注:1861-1923、明治・大正時代の国文学者、歌人)の校訂した活字本で一ペエジ余に書いてある。私はこれを読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。

一つは財産というものの観念である。銭を待ったことのない人の銭を持った喜びは、銭の多少には関せない。人の欲には限りがないから、銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見いだされないのである。二百文を財産として喜んだのがおもしろい。

今一つは死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事である。人を死なせてやれば、すなわち殺すということになる。どんな場合にも人を殺してはならない。『翁草』にも、教えのない民だから、悪意がないのに人殺しになったというような、批評のことばがあったように記憶する。しかしこれはそう容易に杓子定規で決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死に瀕して苦しんでいる。それを救う手段は全くない。そばからその苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいという情は必ず起こる。ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。すなわち死に瀕して苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどくおもしろい。】

 


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