鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅴ274] 泣きべそ聖書(34) / 人こひ初めしはじめ 涙 (1)  

2023-11-26 10:36:36 | 生涯教育

◎イエスはを流された。(ヨハネによる福音書11:35)

エルサレムの東オリーブ山南東ベタニヤの町にイエスの友人マルタとマリヤ、ラザロが住んでいた。イエスはラザロの家族と親しく、しばしば訪問していた。このマリアは自分の涙でイエスの足を濡らし自分の髪の毛でぬぐい、その足に接吻して香油を塗った者で、イエスはこのマリアに「あなたの罪は許された。安心して行きなさい」と言われたことがある。イエスはラザロを愛していたが、ある時ラザロが病気になったので、姉妹は人をやってイエスにそのことを伝えた。しかイエスが到着する前にラザロは亡くなった。マリアはイエスの足もとにひれ伏して、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、ラザロは死ななかったでしょう」と言った。イエスは彼女が泣き、彼女と一緒の者たちが泣いているのを見て、激しく感動し、また心を騒がせて「彼をどこに置いたのか」問い、彼らは「主よ、きてごらん下さい」とラザロの場所を知らせた。そこでイエスはを流されたのである。そして「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわると、ラザロは蘇って出てきた。べタニアの奇跡である。

伊良湖岬の秋風は少し冷たくなぜか蜜柑の香りがした。ボクたちは岬の白い砂浜に座って海を眺めていた。普段は人前では雪国の女らしく騒がしいおしゃべりを若菜は嫌っていたけれども、こうしてボクと二人だけになると若菜は少し饒舌になる。若菜は安心の時に見せる仕草—ボクの肩にチョコンと頭を預けたまま話し始めた。

「ユウキも知っているように女子大の卒論は島崎藤村の『夜明け前』だったけど、藤村が好きになったきっかけは『若菜集』なの。その中の「初恋」はね、《まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の 林檎(りんご)のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛(はなぐし)の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅(うすくれなゐ)の秋の実(み)に 人こひ初(そ)めしはじめなり‥》」若菜は詩の全てを諳んじていて、ボクに語って聞かせてくれた。

「藤村の詩の特徴は色彩なのね、詩の一行一行に色彩の粒が閉じ込められているような、そんな詩が多いと思う。リンゴの薄紅の色が目に浮かぶでしょ、それから花櫛の色、白い手‥ワタシは何年も前、女子大に入った頃にこの詩を読んで胸がキリッと傷んだような気がしたことがある、鋭い針で一瞬刺されたようにね。今でもその感覚は覚えているわ。まるで恋に恋しているような気がしたのね。ワタシがユウキも知らず未だ恋も何も知らない頃よ。でもね、この詩をよんでから藤村の作品や周辺の人たちの作品を読み進めていくと、藤村という人は「苦悩の人」とでも言ったらいいのかな、とてもたくさんの問題を抱えて生きた人だとわかった。それで卒論としては藤村という人の世界を最もよく表している『夜明け前』を選んだのね。でも「初恋」は卒論のテーマにはしなかったけれど今でも大好きな詩よ。

ユウキに頼んで伊良湖岬につれてきてもらったのは、藤村の『落梅集』に「椰子の實」の詩が出ていて、その詩も好きだったから、一度この作品を着想した伊良湖岬ってどんなところかなって想像していたの。《名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ 故郷(ふるさと)の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)‥》でも藤村は一度も伊良湖岬には来ていないのね。近所づきあいのあった柳田國男から聞いた話をモチーフにして書いたらしい。伊良湖岬に椰子の実が流れ着くはずはないという説もあるけれど、柳田は台風の後に椰子の実を実際手に取っているのね。でも藤村という人はすごいなと思う。人の話からこんな詩を作ってしまうって、手品師みたいね。」

こう話していた若菜は不意に立ち上がった。「ユウキ、絵を描こうよ!」と言った。パタパタとスカートを払うと、白砂がもやっと風に流れた。若菜は浜辺に落ちていた一本の小ぶりの枯れ枝を拾ってくると、広々とした砂浜のキャンバスに何かを描き始めた。若菜は時に小走りにもなって相撲の土俵ほどの大きな絵を描き終えた。「ユウキの顔だよ、ユウキはワタシの本当の「初恋」の人だしカッコイイ男だからね、でも上手く描けないな、ハハハ‥‥」ボクは若菜から枝を受け取ると「オレはワカナの顔を描くぞ ! 」と言って描き始めた。目の大きな若菜の顔だ。どこまでも砂浜は広がっていて椰子の実が生えている南の異国の海岸にまでつながっているような気がした。二人で顔を描き終えてボクたちは広い海岸に寝そべって空を見上げた。濃い青の空に綿毛のようにくるっと巻いた雲がいくつも並んでいた。  (つづく)

 


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