鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ220] 女が男を保護する事(20) / 私は保護されてきた

2023-02-19 18:18:32 | 生涯教育

私の妻若菜が短い闘病生活を経て天に召されてから40年以上が経過した。

彼女は入院中に何度かの外泊をしている。二人の子どもたちとゆっくり時間を過ごし、私たちに食事をつくってあげるのだと大きな希望をもって外泊をした。その時の様子は、連載の[Ⅲ144]我がメメントモリ(11) / ワカナ幸せだった!(220523)に掲載した。その一部を再掲する。

『夕食後、ボクは敬一と静雄を風呂に入れ、母と好子叔母も風呂に入った。そして敬一と静雄を二階の寝室に寝かしつけた頃に、若菜は目覚めた。

「‥若菜は気をとり直すかのように、小さくうなずいた。そして「お風呂に入りたい」と言った。母と好子叔母が口をそろえるかのように、お父さんに入れてもらいなさい、と言い、ボクもそうしてあげようと思い準備をし始めた。できるだけぬるいお湯がいい、と若菜が言うので、風呂に水を足した。母と叔母は若菜を大きなバスタオルでくるむようにして、風呂場で待っていたボクのところへ連れてきた。ボクは滑らないように気をつけながら若菜を引き受けた。

これまでの帰宅では、若菜は二人の子どもを風呂に入れたがり、事実それができる体力もあったのだ。しかしそれが無理なことがはっきりわかった今日、若菜の落胆はどれほど大きかったことだろう。若菜と二人で風呂に入るのも何年ぶりかだったろう。子どもたちが生まれてからというもの、二人だけで風呂に入ることも忘れていたのだった。若菜の身体はすっかり痩せてしまってはいたが、懐かしい裸体だった。愛おしかった。ボクは石鹸をつけたタオルで、ていねいに若菜の身体を洗ってあげた。

背中の肩甲骨が突き出ているのを見た。突然ボクは胸から熱いものがこみあげてきた。背中から若菜を抱きしめたまま、顔を背中に当てたまま嗚咽してしまった。しばらくたってから、若菜が胸に回ったボクの手をやわらかく握って言った。

「ユウキ、ありがとう。ワカナ、幸せだった!」

それ以上ボクたちにはどんな言葉もいらなかった。

身体が冷めないようにバスタオルで覆って髪も洗ってあげた。洗い終わるとボクは先に浴槽に入り、洗い場の若菜を両の手で抱くと、そっと浴槽に入れた。ボクの腕の中で若菜はさらに軽くなっていた。気持いい! 気持いい! と何度も何度もボクの腕の中で、若菜はささやくように私に言った。ボクは若菜の目をのぞきこんだ。ボクたちは自然に口づけをした。』

この時の記憶は私の中で鮮明である‥私は若菜のやせてしまった肩甲骨を見て彼女の背中に顔をあてたまま嗚咽してしまった。すると若菜は前に回した私の手をやわらかく握って私の名を呼んでこう言った。「ありがとう。ワカナ、幸せだった!」

この時の若菜の声は私の全身の細胞の隅々にわたって記憶されている。生涯忘れることはないだろう。そしてこのとても短い若菜の言葉は、その後の私の全てを支えてくれてきた。何のことはない、私は若菜が天に召された後も彼女の魂と彼女の持ち合わせていた十全性に「抱かれ/保護され」て生かされてきたにすぎなかったのだ。

(「女が男を保護する事」おわり)

 


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