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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ219] 女が男を保護する事(19) / 看護は女性性そのもの

2023-02-16 08:48:54 | 生涯教育

助産師たちは川嶋さんの話に引きずり込まれ、全員がハンケチを出して涙を拭うようにしながら聞き入っています。恐らくは彼女たちはこのように思っている‥『水道水も十分でない、電気も頻繁に停電をする、薬もなく医療機器もほとんどない、医師もほとんど常駐しない、そんな中で自分たちが毎日妊産婦や子どもたちに行うことのできるのは、声をかけて励ましたり、声掛けで安心させたり、分娩のさなかで産婦の隣りに座り手を握ってお産を促したり、胎児が産道から無事に出て来たら臍帯を処置したり沸かしておいたお湯で産湯を使ったり、そして赤ん坊がこの世で初めて泣き声を発した時には産婦と一緒にハグして喜びを分かち合う、赤ん坊が熱発で運び込まれたときには母親と共に赤ん坊の様子を十分に観察し、水で常に冷やすように母親に指導し、共に観察しながら母親を励まし‥といったのが日頃の仕事だ。薬も医療機器も十分ではないが、私たち看護職の仕事はこうした人間の自然治癒力に期待し、それが十分に働くように患者たちを導いて行くこと‥それでいいのだ、そのままでいいのだ、と川嶋さんは言っている。私たちが毎日毎日何気なく行っている看護ケアの方法で良かったのだ ! 』‥と。彼女たちは自分自身で確信を持ち始めたことを示しています。全員が自分たちの看護ケアが”科学的な根拠をもった裏付け”で成り立っていることを確信したのです。

このように私には感じられました。川嶋さんのパワーポイントを交じえた講義が終わると、彼女たち全員が立ち上がり拍手をし、そして川嶋さんとハグを繰り返しています、全員が。川嶋さんも涙をたたえていました。この講義は成功でした。

看護ケアというものは医師の仕事と重なり合いながらも、人体を切開したり薬を処方したり病名を診断したりするのではなく、患者(クライエント)の自然治癒力に着目して、その治癒力が全ての力を発揮して病を治癒に向かわせるように仕向ける仕事であると言っていい。だから患者の生活する環境(病室や自宅)を整え、静寂を保ち照明を調整し、ベッドやシーツを清潔にし、転倒したり傷つけたりしないように整備する。歩いてトイレに行けない患者には排泄に関する様々な方法を共に考え実施する。患者の訴えをよく聴き、適時これらの情報を医師に報告する。患者の心の動きを察知して不安の原因となるものを一緒になって取り除き安心させるように導く。身体が不潔にならないように清拭したり、手や足を拭くときには声掛けをして観察する。苦しそうな時には観察し心身の苦痛を和らげ安楽にできる方法を考え実施する。例えば体位を変えてあげる、楽な呼吸ができるような体位を検討し実施する、など。食事は可能な限り口からとれるように工夫し、病院食の制約の中で患者の嗜好や食事の形態の工夫(かゆ食、刻み食など)を行う。鎮痛薬は医師が処方するが、常時患者のそばで観察を怠らない看護師は、その鎮痛薬の量とか痛みを訴える間隔とかに関しては重要な医学情報を提供する責任者である。患者の人権を犯すような行為を行わず、その尊厳を守れるように常に心がける(暴言、殴打、プライバシーの尊重等々)。看護という仕事はこのようなものだ。

アフリカの助産師たちは「私はここにいるのだ、ここにいるのだよ、彷徨って他の場所を探さなくたっていい、ここにいるのだから」という神の言葉を聞いたのだと私は信じている。

「看護」という仕事は、元来母親が何気なく自分の子どもや家族に行っていたケアに発祥する。これは「女が男を保護する」以外の何ものでもない。「看護」こそ〈女性性〉が自然に表現してきた所作であり、仕事でもある。

死にゆく患者には傍らに添ってあげて、一人じゃありませんよ、大丈夫ですよ、安心して旅立ちなさい‥沈黙の裡にそう語ることのできる者は、最も愛する家族だけでなく、成熟した専門職看護者にも可能なのだ。

 


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