生き生き人生.

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古城(山城)を行く 汗生城(あせぶじょう)

2017-02-27 10:53:45 | 歴史

 

城主  :冨永直安

築城名 :冨永直安 :橘城野支城である(橘城は、愛媛県内子町(旧五十崎町)

築城年 :1558~1569年

標高  :160m

形態  :山城

 

 

戦国時代(1467~1590年)橘城の支城(城攻め、また城守り)として築かれ

冨永直安が居城した。大洲市肱川町宇和川、汗生(あせぶ)集落の西のほうにあり、

城跡からは、肱川の流れを北方の眼下に収めることが出来る。城跡の東、西、北方斜面は

急峻な崖で南方のみ、尾根で、背後の山につながってる。

この一角には、本城とされる橘城がある。六つの郭のある支城としては、大変大きい。

地図を見ながら車で城であろう山の近くまで行くと、案内板もなければ、道らしき道は、

まったくない、森林と、雑草で、行く手を阻まれていて、捜すのにはちょっと厳しい(;◎_◎)ノ

ヤバヤバと思いました。早速地元の、中野様宅を訪ねると、うわさぐらいで場所は、だいたい。。

すぐには、見つからないけど、一緒に探そうといっていただき薄暗い林の中へ、降りて行きました。

探すこと、約1時間、すると中野さんから、どうもここらしいといってくださり、不思議に

元気が出ました。見つかりました。\(*^▽^*)/確かに汗生城(あせぶ)跡と書いた

コンクリート柱が立っており大変うれしい限りでした。疲れも吹っ飛びました。

一緒に探していただいた、地元の、中野様、本当に感動を頂きまして有難うございました。

今回は、写真が、少ないですが本丸とおもわれる囲いは、急峻です。

堀きり、石垣、土塁などと思われる跡は見ることが出来資料を見て

支城としては、攻撃、また、守りを固めた城だったことを想像することができました

出来れば、もう一度一人でゆっくり調べたいと思いました。

所在地 :大洲市宇和川3764

ルート :高速道路松山IC~内子ICを降り左に行く、すぐに内子町市役所(旧五十崎)前を走り

     すぐ右の橋を渡り左折して、しばらく道なりに走る(左岸は川です)しばらく走ると

     松岡木材所が左側に見えます。そのすぐ先を左折(橋をわたる)しばらく走ります。

     すると、大洲高校分校が左に見えてきます。このグランド地点から右斜め方向に

     登って行きます。その頂上の右下に城のある山です。民家が3~4件あります。

 *  :平成28年4月10日登る


古城(山城)を行く 横山城

2017-02-26 14:38:12 | 歴史

 

城主 ;河野通武 ;その後通武の子孫が、南氏と名乗って代々城主である。

築城名;河野通武 ;1334~1336年

築城年:1334~1336年

標高 :460m

形態 :山城

本城は、瀬戸内海からの湯築城の前衛拠点であった(瀬戸内海を見張ることが出来る)

本城は、通武の子孫である南氏が代々ここを居城としていましたが、1582年に

小早川隆景(中国)=広島県安芸市。に攻められて落城しました。

城郭の大きさは、幅35mぐらいで、ほぼ西北帯状に伸びる約270mの本丸、出丸、馬乗り駄馬(だば)

の三つに分かれており、本丸と思われる中ほどには、太鼓岩と呼ばれる大岩があり、

大岩には、雨水をためたと思われる彫刻が、2ヶ所ある。また堀きりと、ともに

建物に使われた柱の柱穴が数十個あり、石段や貯水槽に使われたと思われる彫られた石があった。

立ち木が大きくなって景観はよくないな!昔は瀬戸内海が一望できた

今は、見張り番には、なりませんヾ(@^▽^@)ノわはは

もう少し、これからが大変 (。_。)ウンウン

だんだん城に近ずいてきた。。(;◎_◎)ノ ヤバヤバ

到着  (^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪

大岩のすぐ下は、平たんな地面があり、そこが本丸です。

岩には、水をためる穴、そして柱を組んだであろう穴がたくさんあります。

また、巨大な石の上で現在も生きいる木を想像してください。

所在地 :松山市麓野外活動センター(キャンプ場)から登ります

   * :平成28年10月12日登頂したものです。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古城(山城)を行く 埴生城

2017-02-24 23:14:50 | 歴史

 

城主 :埴生(はぶ)氏 河野家代々の重鎮

築城 :築名者及び築城年代不明

海抜 :118m

最後の城主は、埴生加賀守盛周であった。1585年9月豊臣秀吉の

四国征伐のさい道後湯築城主(河野通直)が降伏し、よって(埴生氏)も

城を明け渡した。現在の(垣生)の地名は(埴生氏)からつけられたもの

現在は、公園になっており城跡の遺構などは、見当たらない。多分

形態は、平城叉は、丘城か?????

この垣生山は昔からの雑木などで荒れ放題であった。雑木などを伐採し、きれいな山になったそうです。

現在は、3月上旬には、陽光桜が咲き、次に頂上のソメイヨシノ桜が咲き、5月~6月にかけて山ツツジが

垣生山一面に、朱赤色や紅赤色のかりんな花を咲かせます。

四季折々の眺めは、また格別である。

登り口は、3ヶ所あります①北吉田側から②高岡町の高岡団地から③津田バス停から

駐車場はありませんので、ご注意ください。私は、②の方法で自転車で、登り口まで行き

そこから登りました.②の方法ですと、高岡町の生石小学校の門からみえます

道ばたに夢心地香りの水仙が咲いていました。ここで、一休み┐( -"-)┌ヤレヤレ...

よく晴れた風の穏やかな日で、眺めも最高\(*^▽^*)/

\(^_^)/埴生城到着です。 おつかれー<<<<<

天気のよいときは、本当に眺めがすばらしい

ご家族で,軽装でいけます。天主閣のある近代の城もいいですが、

中世時代(室町時代~戦国時代)の山城も、おもしろいです。

 

 


古城(山城)を行く 宅並城

2017-02-23 19:12:53 | 歴史

 

城主 ;不明  1585年ころの城主 :栗上左衛門尉

築城 :不明   1334年~1338年と思われる

標高 :200,9m

海からの侵略を備えた山城といわれてる。

城郭(現在は公園)と思われる立地から見れば海からの侵入に備えた城郭で

風早平野(昔は、北条地区を風早郡といっていた)。駐車場は、上の看板のところに

10台前後は駐車できます。

体力に自身のない方は杖があります(*'へ'*) ンー

道は、十分整備されていますので、安心して登れます。

あ、やったーヤッホー(ノ^∇^)ノ  イカルだ!

野鳥もいるんだ!  (`∇´ )にょほほほ

\(^_^)/ 城郭に到着 数年前から公園に整備されておりますので

遺溝なるものは、まったく見つかりません。

眼下見下ろす北条の町並み。斎灘の澄んだ青い海に遠くに見える島々

なんとすばらしい絶景です。

 

この山城は、公園になっており、道も整備されていますので、家族で楽しく

登れます.四季折々の花が見れます。私は、この旧北条の山々と青い

海との調和がなんとすばらしいことでしょう、旧北条が大好きです。

次回は、昨年末に登った山城、雄甲山城(おんこう)と雌甲山城(めんこう)

善応寺それから、横山山城、そして今年の1月に登りまして道に迷い

苦戦しました、恵良山城を投稿予定にしてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古城〔山城)を行く 日高山城

2017-02-22 22:52:26 | 歴史

城主 :重見通宗  居城

標高 :376m

日高山城は南北約280m急なⅤ字谷となっている。稜線に沿って登れば高縄山に通じる。

この山城は、今治街道からの侵入を防ぐとともに、高縄山城の前衛基地として、創建された。

天剣を利用した要害の城である。

また、重見道晴は、河野氏一族であり、1585年中国地方の小早川隆景と戦い日高城は

落城して一族の多くは、自害した。

標高葉、376m、下から見上げることができましたが、道が悪く川の橋が落ちて

降り、川を渡ってまたもとの登り道に引き返すなど、かなり厳しいところでした。

これは、ヒノキの木材ですが、根がむき出しになっていますが、まっすぐ

生き延びております。(⌒▽⌒;) オッドロキー

曲輪と思われるところが、2箇所と、本丸が見つかりました。

石塁,土塁、堀きり、などは、見つけることが出来なかった。

竹の種類で、見たことない珍しい竹だそうです?????

これは、石です。30cm~50cm、深さ約10cm、用途は何か??

\(^_^)/日高山城に到着

ここが、本丸です。

立ち木が多くて視界は、悪いですが、数10年前は、北条の街並みと

青く波打つ北条沖の島々が一望できたことでしょう。

中村三十三墓

河野氏の流れをくむ戦国武将重見一族の墓と考えられる。

日高山城、最後の城主重見道晴は、1585年豊臣秀吉の四国征伐のとき

小早川隆景の軍に攻められ落城、多数家臣らとともに戦士。重見氏は滅亡した

墓は,丘陵地帯に散乱していたものを明治初期に現在のところに集めら得たものと

思われる。

今回の日高山城の探索にあたり、大変お世話になりました地元の

森岡功様、私は、山城に登るときは、下調べをしていきます、今回も

数日前には、地図を見て近くまで行きました。その時お会いしたのが

森岡様でした。たずねると、すぐその上だから地図を描いて送りますといって

頂き、翌日には丁寧にわかりやすい地図を送っていただきました。天候の関係もあり

先日行くことになり、登る前に挨拶しましたところ、案内していただくことになりました。

森岡功様本当に有難うございました。心よりお礼申し上げます。