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古城(山城)を行く 三滝城

2017-11-03 21:33:48 | 歴史

 

別名   :御岳城

城主   :紀氏  初代は実定(甲之森城主)

築城者 :紀実次

築城年 :1429~1441年ごろ

標高   :642m(比高258m)

形態   :山城

 

三滝城主は紀貫之の末裔であるといわれ、貫之13世の孫式部卿紀、実定が伊予国周知郡

北ノ川庄5300貫を拝領して京都より下向、甲ヶ森領7城22邑の大守なったと伝えられる。

実定の孫実次は三滝山に築城してこの要害に移った。孫実道の子勝千代(実勝)が継いで

早世し、その弟道安が相続、湯築城河野の女をいれて室とし家紋を丸の沢潟の紋所から

角切内糸輪縮三文字に代えた。その子経安は北之川庄を窪野村、土居村に改めた。

その室は土居清良の女である。経安の子親安が相続して七城の主となり、その武威は

近隣になった。長曽我部元親の妹婿波川玄蕃の女を入れて妾とした。

波川玄蕃の叛意に気脈を通じた言う口実をもって、元親は部下の将久武後内蔵介、

桑名太郎左衛門らに手勢一万三千余騎を与え、この三滝城を攻めさせた。

城兵火花を散らし防戦したが敵は新手を入れ替え、入れ替え攻めかえし、本丸を乗っ取り

二之丸にせまった。三滝勢の大半は討死した。親安、もうこれまでと依岡左京と組み打ちして

悲壮な最期を遂げた。1583年一月十三日でした。

 

所在地 愛媛県西予市城川町土居

内子ICを降りて左に走りすぐ先を斜め左に入り、次の信号を左にまがります。

内子役場を過ぎて右に曲がり、橋をわたります。

橋を渡り左229号線をはしります。

道なりにしばらく走ると道の駅(清流の里ひじかわ)が見えてきます。

更に走ると前方に信号がみえます、その信号をひだりに(橋です)とります。

ダム湖畔を過ぎ、トンネルにはいります。

道なりにしばらく走ると城川地区にはいり、道の駅(きなはい屋しろかわ)に到着。

道の駅(きなはい屋しろかわ)のすぐ先の信号を左(2号線)に入りトンネルにはいり

道なりに走ります。

もう少しで、三滝城入り口の標識(注意してみる、右側)

ここからは、車ではいけません。ここからの距離約500mです

もう少しで到着します。

1日で攻略しました。



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