昨日は長野での会議のあと、お祝いの会があって飲んだため、久しぶりの長野泊まりだった。平日なら今日は会社に直行だったが、休日だったため、高速を利用せずにシタミチで帰った。もちろん素直に帰るのももったいなかったので、お世話になった方のところに顔を出しながら、少し寄り道をしての帰路となった。とはいえ、国道19号は昨年の7月6日に発生した地すべりため、長野市篠ノ井小松原で相変わらず片側通行の規制。昔に比べたら国道19号の通行量はまったく少ないにもかかわらず、やはり少し渋滞する。渋滞はともかくとして、先頭ならともかく前に繋がっている車が、途中で逸れていく車は少なく、多くの車がそのまま松本まで走っていく。したがって信号待ちしていたままの車列ずっと続き、規制のなかったときに比べると平均速度が低い。ようは時間を要す。安曇野市内で立ち寄った後、広域農道を利用して西回りで塩尻に向かった。
さて正月明けということもあって、小正月に向けた行事の様子がうかがえればと思い、まずかつて日記でも触れた旧梓川村横沢のオンバシラはどうなのか立ち寄ってみた。横沢のオンバシラについては「横沢の“スースー”を訪れて」や「正月の柱立て」で紹介した。正月2日に立てられて、小正月明けに倒された。ということは今日は8日なので、立てられていた期間にあたる。ところがオンバシラは立っていなかった。横沢では2箇所でオンバシラが立てられるのだが、いずれの場所にも柱の姿はなかった。これはコロナ禍のためか、とも思ったが、正月はまだ感染者の発症は低調だった。したがってそれがコロナ禍のせいなのかははっきりしない。
では旧波田町上波田のオンバシラはどうか、そう思ってさらに寄り道になるが波田まで足を伸ばしてみた。こちらは3箇所でオンバシラが立てられ、以前訪れた際にはいずれも7日の朝に立て、小正月に倒していた。したがって今日は立てられている期間と思ったが、やはり柱の姿はなかった。もちろん休日に合わせているところもあるだろうから、以前と同じ日程というわけて゛はないだろうが、それにしても横沢にも中波田にも柱が立っていなかったのは気になるところである。
いっぽう安曇野市あたりでは、すでにサンクローの櫓が立てられ、すぐにでも火が付けられるような状況の姿が、あちこちの水田に見えた。このあたりでも松焼き行事が早くなりつつある、ということなのか。
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