昨年も同日に扱った柱立てを、今日訪れた。同じく旧梓川村倭横沢に伝わる2カ所の柱立てである。昨年訪れた際に、午前中に「スースー」という行事を子どもたちが行うと聞き「どんな行事なのか」と興味を抱いたわけであるが、その行事を確認するのが主たる目的だった。昨年も戸惑ったわけであるが、この地を訪れると集落というものがどうもはっきりしない。かつてはこれほど家が無かっただろうから、明確にその境界が解ったのだろうが、今は戦後に増えた家もあるし、新興住宅地もあって境界域が見えにくくなっている上に、かつての行政区域が変わっていることがますます混乱を招いている。このことについて今日も再度確認したわけであるが、いまだはっきりしないところはある。
まず柱立て、いわゆる御柱を立てるのは横沢の2か所であり、横沢公民館がある倭13区と言われるエリアにひとつ。もうひとつは13区の北側、倭14区にある下西と言われる15戸のエリアに立てられる。そして前述のスースーなる行事は前者である13区に御柱を立てる12区と13区でそれぞれ行われている。スースーはそれぞれで行われるものの、柱はひとつということである。もし道祖神ごとに柱を立てるとしたら、12区でも別に柱を立てていた時代があったのかもしれないが、それを明かす伝承はない。下西では15戸(かつては16戸とも)ほどのエリア。ようは下西の例が御柱を立てるエリアの基本形だったのかもしれない。そこにいくと12区と13区で建てられている御柱は、現在では関係戸数が多い。13区だけでも80戸以上という数。ここに12区の関係戸数が加わって柱立ては行われている。あらためて集落と柱立ての関係に戸惑いを覚える。
さて主目的であったスースーなる行事。わたしは13区の行事を午前9時より見させていただいたわけであるが、戸数の割合に、子どもの数は少ない。男女ともの参加で15名。100戸レベルの家々のうえ、今は松本市内。それでいて小学生はこれだけなのである。少子化の実態をこんなところでも垣間見る。集会施設に集まった子どもたちは、集まった子どもたちだけで時間を待たずに準備に入る。柳の棒に五色の紙テープをピンで留めてオンベを象る。柳の棒は約30センチの長さに揃えられていて、直径は10ミリ~30ミリほどとまばら。毎年同じものを利用している。本来はオンベ形に切り込むのだろうが、今は紙テープを5本ほど棒の先にピン留めするだけのもの。かつては柳の木も毎年新しいものを子どもたちで採ってきたという。横沢集落内を流れている横沢井という堰の脇に柳はいくらでもあったという。もちろん今は堰が整備されてそのようなものはない。オンベであるわけだから、各家々を回ってオンベを振って勧進するのが本来といえるが、今はオンベを振って払うような所作は行わない。知ってか知らずか、時おりオンベを振る子どももいたが、本能的に「振る」という行為に及んだだけかもしれない。
始まる時間前からすでに準備していたこともあって、開始予定の時間を過ぎて10分もするとオンベの準備は終わり、3班に分かれて家々を回り始める。まず今の家だからいわゆるチャイムを押して家の人たちに訪問を知らせる。家の方が出てくると「おはようございます」とあいさつをし、続いて「道祖神のおんまい申す すーすー」と歌い、「道祖神のお賽銭をいただきにきました」と言う。おおかたの家で「いくらかな」と聞き返すわけであるが、ここでは200円と決まっている。家によってはそれ以上いただける家もある。お金をいただくと代わりにオンベ、いわゆる紙テープを1本オンベから外して渡すわけである。紙テープ1本にどれほどご利益があるかは解らないが、いただいた家では玄関に掲げる家もあれば、神棚にという家や、仏壇にという家もある。子どもたちはこのあと「午後1時から御柱を立てるのを見に来てください」、引き続き「1月10日に三九郎をするので、松など出しておいてください」と三九郎(ドンドヤキ)の知らせも言づける。そして最後に「ありがとうございました」とあいさつして次の家へ回っていくのである。いただいたお賽銭は子どもたちで分配するという。
3班に分かれて回ったが、それぞれ基本形は同じであるが、母親たちがついて回ることもあって、親の指導によって子どもたちに違いは出る。家を回っても「道祖神のおんまい申す すーすー」を言わない班もあった。それぞれ20戸から30戸ほどを回ることから11時近くまでかかる班もあった。13区の場合は、ほぼおとな主導といってよい状況であったが、あくまで13区に住む小学生の子どもたちが対象で、その母親が関わる。この子どもたちが主体となって行う行事は、夏の道祖神祭り、スースー、三九郎の3回ということである。
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