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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

現代の道祖神⑦

2016-04-01 23:21:01 | 民俗学

現代の道祖神⑥より

 

 下條村役場の敷地内に併設して建てられているのが老人福祉センターである。昭和52年に建設された施設で、かつてわたしは昭和58年の11月、1ヶ月近くにわたってここの2階に寝泊りをしていたので思い出深い建物である。なぜ寝泊りしていたかについては、「昭和58年台風10号」災害に絡んでいるが、このことはまた別項で触れたい。下條村役場は近年もたびたび訪れていたが、老人福祉センターの方へ目をやったことがなかったためか、その前にある道祖神に気がつくことがなかった。年度末の30日に所要があって訪れた際に、待ち合わせの時間に少し余裕があったため、5分ほど役場の前で時間を潰していたら、この道祖神に目が留まったのである。なぜこんなところに「道祖神が」と思うのと同時に、その立ち位置からして察しはついた。碑の前面に「公営結婚 二○○組達成記念」と刻まれている。

 ということで所要を済ませたあとに仕事でお世話になっている方が窓口に見えたのでこのことをうかがってみた。その方も200組の一人として関わられたようで、200組になる前から200組を機に記念碑を建てようという話になったという。教育委員会におられた方が中心になってこの企画が進められ、200組の方たちに寄付を募って建碑に至ったという。背面に「平成三年三月 公営結婚者有志一同」と刻まれている。当時下條村ではこの施設を利用した会費制の結婚式がよく報道されていたので、公営結婚式の話は耳に入っていた。下條村のホームページでは現在も公営結婚式場のことについて触れられている。それによると、

 公営結婚式の誕生の経過は昭和35年頃村の青年を中心に会費制のグループ結婚式が行われるようになり、昭和36年に親田地区で公民館結婚式が発足し、一定の成果をあげてきました。
 そして、これを村全体に広げていこうと言う声が婦人会を中心に高まり、昭和52年に老人福祉センター建設と同時に下條村公営結婚式が発足し、現在では、会場を下條村文化芸能交流センター(愛称:コスモホール)に移し、平成12年12月末までに357組のカップルの出会いを祝福してきました。ご友人や地区のスタッフによる 手づくりの温かな結婚式 です。
 また、会費制なので 招待された方も気軽 にご利用いただくことができます。

とある。下條村には各地区ごとに公営結婚式実行委員というものがあるらしく、利用したい人は地区ごとの委員に申し込むのだという。さすがに40年近く経ている施設では「古いので今はどうしているのだろう」と思ってそのことも聞いてみたら、今は新しい施設にところを変えて実施されているという。いまもって下條村では「公営結婚」が継続されているのである。ちなみに下條村公営結婚式実行委員会事務局は教育委員会に置かれている。

 さて、寄付を募られた際に、やはり「道祖神」となると「神」に抵抗がある方もおられたよう。したがってあくまでも記念碑として位置づけて寄付を募ったというが、それでも抵抗のある方はおられたという。「神ではない」と口で言っても納得できないほど、やはりこのカタチはもちろん「神様である」という意識を持ってしまうあたりに、道祖神のメジャーな立ち位置をうかがわせる。これは「道祖神」という記念碑なのである。なぜ道祖神を記念碑にしたか、もちろん縁結びの神様であるという考えからくるもの。記念碑とはいえ、そこにはやはり「神」への思いが込められている。観光目的だろうが、イメージとしての造立だろうが、結局「神」として願いを込めようという意図は、どこかに込められている。そしてそれがモニュメントだとしても、見る側は「願い」を込めたくなり、手を合わせる人も少なくないはずだ。

 なお、この道祖神の背面には施工者も刻まれている。「施工 仲川石材」。

 参照 「現代の道祖神」

続く


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