窪田雅之氏は「長野県筑摩野・安曇野における新たな神々の登場―新しい道祖神碑建立の動向と背景ー」『道祖神研究』第5号)において、「観光用とか古い像碑の再建などにとらわれず、新しく建立される道祖神碑を現代の民俗事象としてとらえていきたい」と述べ、さらに「共同体の祈願・建立理由を知ることはもとより、今後は個人のそれらを知ることが、変容する道祖神の性格をさぐり、現代人の心のありようの一端にふれることになると考える」という。従来捉えられてきた道祖神信仰そのものも多様であって、これはというパターンがあるわけではない。時代ごとに信仰が変容したのか、そもそも地域性があったのか、というところにも繋がるが、窪田氏の言葉から読み取れば「変容する道祖神の性格」というように、道祖神の性格は変容しているのではないか、ということになる。ただ、現代新たに道祖神を建立しようとしている側は、性格の変容を意識して建立しているわけではない。おそらく一般的に言われる道祖神信仰を基に、好意的解釈の上に立って建立に踏み切っているのではないか。それを道祖神の性格の変容と捉えていいものかどうかについてはもう少し詳細な言い回しが必要なのかもしれない。従来の建立背景とは明らかに異なるものが登場しているが、性格そのものはさほど変容しているわけではないのではないだろうか。
窪田氏は新たな道祖神の建立背景について3点にしぼっている。その一つは道祖神のふるさととしての安曇野のイメージが創出するというもの。2点目には男女双体像の像容に惹かれてのもの。3点目には石の加工技術をあげる。これらが道祖神建立を盛んにさせている背景だというわけだ。絵画のような観賞用とでも言える感覚で立てられる個人の坪庭に建てられる道祖神。まさに3点の背景の代表的建立ケースといえる。そう捉えれば、個人建立のケースこそ現代の新たなる道祖神建立の象徴的事例ということになるだろう。ただ、個人建立がかつては無かったというわけではない。むしろムラそのものを個人が所有していたようなケースなら、ムラの有力者によって建立されていたわけで、個人的な所有物という形ではこのような現代での個人建立と繋がるものもあるのだろう。ただ、そうした事例は道祖神の「ふるさと」と言われる安曇野には例をみないだろう。では古い時代に建てられた個人建立の背景は何だったのか、その点についても理解しておかなくてはならないのかもしれない。
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