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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

与川白山神社祭礼(昭和61年の記憶69)

2020-10-17 23:42:45 | つぶやき

七窪神社獅子舞(昭和61年の記憶68)より

 昭和61年10月18日、半ドンであったこの日、午前中を休んで南木曽町を訪れている。木曽川から支流の東の谷に入ったところにある与川の白山神社を訪れたのは、午後1時ころだった。中仙道の三留野宿と野尻宿との間は木曽第一の難所といわれ、度重なる災害によって不通になる場所だったという。それを回避するように三留野から上野原と与川を経て野尻宿に出る脇道があって「与川道」と呼ばれていたという。

 祭礼に舞われる神楽獅子とは別に、家ごとに舞う舞が祝い事にあわせ行なわれており、正月にも悪魔払いをして各戸を舞っていたという。

 獅子頭を被る頭役は、はでな女物の着物を着て、紅のさんじゃくを締め、白足袋にわら草履をはく。後方の道化は、顔に墨書きをし、半纏を着て尻はしょりにし、豆しぼりの手ぬぐいをほっかぶりし、黒足袋に藁草履をはく。

 

南木曽町与川白山神社獅子舞(昭和61年10月18日撮影)

 

 


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