Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

水の都

2017-10-26 23:40:18 | 農村環境

楽寿園 縄状溶岩

 

源兵衛川

 

 世界かんがい施設遺産、とはいえ、著名なかんがい施設がそれらに登録されていることは言うまでもない。長野県内でも登録されている施設はあるが、誰でも認知している施設であるということは共通している。そうしたよく知られたかんがい施設に限らず、“水”を導く施設のあり方は、農業がより一層厳しい状況に陥っていく今後、さらに広報していくことは必要になることは言うまでもない。先ごろある施設の管理者から、急遽「ここを直したい」という話があった。理由は用水路の脇に造成された宅地の法尻が湿気って困るというもの。漏水による湿気りが問題とされているわけで、原因者である管理者になんとかしろという苦情からくる。対策をしても継続するようなら裁判にするという、言ってみればこれ以上ない通告を受けたという。もともと造成地は水田。農業用の水路は水を掛けるために設けてあるから、土地よりも高いところを流れるのは当たり前。したがって漏水もごく自然の成り行きなのだが、それでは無関係な人々に理解はされない。これはコンクリートの製品を利用して整備されていた水路で、土水路でのことではない。ときにはコンクリートの水路で味気ないと言われた時代もあったが、そのいっぽうで漏水を一滴たりとも許さないという論理もある。こうした混在社会でかんがいするという実情は、さまざまな憶測や、駆け引き、妬みや嫌がらせ、そんな人の内面を垣間見ることになる。「嫌な社会」だという思いは消えず、いっぽうで良いところばかりを掲げて、言ってみれば虚像を創り上げる。世間などこんなもの、と諦めざるを得ないが、より一層そうした嫌な思いを内に込める時代になりつつあるのは、とりわけ農業を支える社会なのかもしれない。

 さて、世界かんがい施設遺産のひとつでもある源兵衛川を三島市に訪ねた。三島の中心市街地の中にある源兵衛川は中郷用水土地改良区などによって管理されている。源兵衛川の源は楽寿園である。三島駅のすぐ近くにある自然公園で、国の名勝ならびに天然記念物にも指定されている。この楽寿園内にある小浜池が源兵衛川の源流なのである。なぜここに源流があるかは、園内を歩いてみるとわかる。園内にある「縄状溶岩」は、富士山が1万年ほど前に噴火した際に流れ出したもので、このあたりまで流れ出して止まったというもの。末端部であるからこそ、富士山の伏流水もここまで流れてきて地上に姿を表すというわけなのだ。そうした湧水で成されるのが小浜池で、この池の水位は日々変化するとも言われている。とは言うものの、今はなかなか満水になることはなく、訪れた今日も渇水状態の池を見せていた。にもかかわらず、源兵衛川には豊かな水が流れている。これは「水の都・三島」の取り組みが成せたもので、「グランドワーク三島」の名はかなり世に知られている。グランドワーク三島のホームページにもあるように、「住民・企業・行政のパートナーシップを仲介することを通して、「水の都・三島」の原風景を再生し、子どもたちに受け継いでいくことを目指す」、そんなNPO法人なのである。写真のような自然流を下ること1.5キロ、そこに中里温水池があり、下流216ヘクタールほどの農業用水となっている。この用水路を起こしたのが地域の豪族であった寺尾源兵衛であり、小浜池に湧く富士山からの湧水を室町時代に引いたのだという。ところが現在の源兵衛川の水はとりわけ冬期などはそのほとんどが東レから供給されているという。安定的水源確保のためいろいろな案が検討され、そんな中から現在の東レからの供給水が実現したのだという。もちろん東レにだけ頼るのではなく、湧水の保全活動も行っているようだ。

 マチの中にもかかわらず清流が下る。脇のすぐに家々が立ち並び、「水の都」というイメージを醸し出している。ある意味、こうした取り組みが登録の原点にあるのだろう。


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