Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

なじまないパワーポイント

2006-02-11 01:21:29 | つぶやき
 研修会があって出席した。このごろの研修会ときたら、パワーポイントを使って説明するのが一般的で、「おまえもか」というくらいそんなのばっかりである。猫も杓子もパワーポイントという感じである。いまどきは年寄りの発表でも使われるという。それでもって、パワーポイントの画面コピーしたものをレジュメにされるから、資料もスクリーンも同じである。今どこを説明しているのかすぐわかるが、わたしはこういう発表は好きではない。資料とスクリーンが同じなら、どっちか要らないじゃないか、と思う。加えてスクリーンは見やすくしてあるため、割合字が大きい。無駄な空白が多くて、やたらと資料は多くなる。まだここまでは許せる。問題はここからだ。
 パワーポイント用に作られた資料は、簡単に切り取ったり貼り付けたりできるから、資料が発表者自身が考え作成したものなのか、あるいはどこからかコピーして切り貼りしたものなのかまったくわからない。スクリーン上でキーワードに矢印をつけたりして説明して行く方法に慣れていて、雰囲気はわかるのだが、どうも発表が全部同じように見えてくる。果たしてこういう発表方法がよいのかどうか疑問もある。従来の発表であれば、すべてのレジュメが画一化されたものではなかったし、いきなりコピーした資料だけを利用する人もいれば、すべて手書きで書くような資料も見えた。コピーか、それとも発表者自ら作成したものなのか、そんなところが資料からなんとなくわかった。
 このごろのホームページもブログもそうだが、自分で作ったものなのか(自分で語っている言葉なのか)、それともどこからかコピーされたものなのかはっきりしない。資料の作成にあたっては、こうした資料の出所について明確にすることが大切ではないだろうか。とくに説明会とか研修会の資料というものは、出所を示すことが基本だと思う。もしそうした資料を違う場で利用したとしても、出所が明らかでないとしたら、利用しずらい。とくに情報が氾濫するようになって、引用文献に対しての意識の低下が感じられる。著作権とも絡むと思うが、検討の余地おおありであるし、わたしはこんな発表はしたくない。

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2 コメント

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高橋メソッド (ボッケニャンドリ)
2006-02-11 08:42:16
 私はプレゼンする事はありませんが、プレゼンを見てて思ったのは、スクリーン上に現れるものはどれもゴテゴテして、しかも後で見てもあまり内容のないものばかりということです。



 その対極にあるのが高橋メソッドという発表方法です。これでプレゼンしてる所は見たことありませんが、これを知った時、なかなか面白い方法だと思いました。既に御存知かもしれませんが参考までに。



http://www.rubycolor.org/takahashi/takahashi/img0.html
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知りませんでした (trx_45)
2006-02-12 00:19:15
 高橋メソッドについては知りませんでした。わたしもプレゼンなんていうものはしませんのであまり認識ありませんでした。プレゼンはしませんが研究発表のようなことはします。しかし、コンピューター使って説明すると時間がそれでとられてしまって、よほど時間を長く設定できない以上、使わないですね。
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