Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

死刑執行までの日々

2009-02-22 19:29:39 | ひとから学ぶ


 人を殺したからといって、その償いなど被害者はなんら感じるところはないかもしれない。どれほどその態度を示そうと、それら報いというものはない。それだけのことをしのだから当たり前のことなのだ。だからこそ、形ばかりの償いの表現でも世の中は望むのだが、果たしてそれは加害者にとってどれだけのものなのかも判明しないものである。いっそすぐにでも死刑にしてもらえば、きっと加害者も何も悩むことなく、旅立つのだろう。そう考えると、死刑というものより、いかに生きていることは加害者の中での長い償いかは予想できる。どれほど早く死刑になろうと、どれほど長く生きていようと、その心はなかなか計れないものだし、もちろん死刑囚にもいろいいて当然で、長く生きることで変化を伴うのは当たり前のことなのだろう。だからこそ、「死刑」を考えるときにきていると思う。

 「昨年末は、拘置所があっせんする年賀はがきを購入しなかった」というのは、先ごろ死刑執行された西本元死刑囚だったという。信濃毎日新聞2/22朝刊に掲載された「「命」に向き合い始めて」という記事。飯田周辺と愛知県で4人の殺人にかかわった西本元死刑囚は、地裁の死刑判決で控訴することなく死刑を受け入れた。したがって事件から死刑執行まで、近在に住んでいる者としては、けっこう「早かった」という印象を受ける。それでも記事のタイトルにもあるように、西本元死刑囚の心のうちには変化が現れていたようだ。簡単に「死をもって償いたい」といったところで、被害者は帰ってこない。とすれば殺人を犯した人たちに、何を望むというのだろう。わたしは被害者でも加害者でもないが、どこか覚めてそんな関係をみる。この殺伐とした世の中に、被害者も加害者もないという場面を見受ける。すべてが被害者なのかもしれない。こと殺人に対して、「死刑」にという傾向が国民の中には強い。そのうちに「許す」ことのだきない人々ばかりになるのかもしれない。いやこの場合の「許す」というのは「死刑」に対しての許しであって、罪に対しての許しではない。

 死刑の執行を予測していたのか、西本元死刑囚は年賀はがきを必要としなかった。すでにこの世の者ではないような心持がどこかにあったのだろう。無縁墓地への埋葬を本人は望んでいたという。無縁様、いわゆる不慮の事故であったり、身寄りのない人たちの仏様である。西本元死刑囚には身寄りがなかったわけではない。しかし、殺人を犯したことで、周辺も地獄に落ちていく。栽培員制度で「死刑を言い渡せるか」などという人事にわたしは捉えない。もし身内が殺人を犯したとき、その身内の骨を引き取ることができるか、という問いの方がよりいっそう自らの問いにもなる。それほどそうした背景にかかわる人たちは深いものを体験する。死刑囚になった人でなければ経験できない怖さ。そしてその身内として非難される人々、そんな経験は誰もがするものではない。きっと、変化を見せた西本元死刑囚には、死刑確定後さま゛さまな思いがめぐっていたに違いない。そして長く執行されないことにより、償いは重いものになると思う。もちろん記事にも記されているが、その変化は「死刑」という刑の確定があったからこそ本人が答えとして出そうとしていたものかもしれない。だから「死刑」が廃止されたならば、そうした償いの過程が失われるかもしれない。いずれにしても死刑囚もそうでない人も、みな心を持ち合わせていることは確かだと、わたしは思う。

 撮影 2/18 伊那市下殿島

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