Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

蓮台場にある十王

2022-09-12 23:41:44 | 民俗学

 

 駒ヶ根市東伊那の善福寺近くの辻に十王堂がある。墓地が周囲にあるが、それ以上に十王堂前の何ともいえない空間は、かつてここで葬儀が繰り広げられたであろう雰囲気を醸し出している。点々と墓碑や地蔵が立ち、元禄時代の墓碑も見られる。

 十王堂内に安置されている十王は花崗岩に彫られていて、「白い」。このあたりの十王はおおよそ「黒い」か「白い」。黒いのは火山岩に彫られたもの、白いのは花崗岩に彫られたもの。石質はほぼこの2種に分けられる。伊那谷には花崗岩はあっても火山岩はない。したがって「黒い」十王はよその石を持ってきたものとなる。通常の石仏のほとんどが花崗岩であるにもかかわらず、十王だけは火山岩が利用された。その意図は何だったのか、このあたりもはっきりとはしていない。

 対岸の下平には元久2年(1205)銘の十王があるが、十王に年銘が刻まれている例は少ない。そして「黒い」十王は「古い」と感じてしまうのは、この下平の十王のイメージから来ている。そもそも十王信仰は寺が旦那寺となり、庶民の葬儀を行うようになってから衰退したといわれている。したがってその歴史からたどれば古い信仰と捉えられる。とはいえそれほど古い十王ばかりではないようで、年銘がないためはっきりしないが、江戸時代後期のものも多いようだ。ここ下塩田にある十王は、見るからに「白い」ため、印象では比較的新しいとわたしは見ている。見ての通り単純な彫りで細工は稚拙なほうだが、十王で細工が立派なものをこの辺りで目にすることはない。やはり民間の信仰であったから、素朴なものがほとんどだ。

 この十王堂のある場所を「蓮台」という。すぐ近くの大久保地籍にも「蓮台場」があり、伊那地方ではときおり聞く単語である。字の通り蓮の台という意味があるだろうが、蓮台場といえばネット上では伊那市狐島のそれがたくさん紹介されている。繰り返すが十王堂のある場所は独特な雰囲気を醸し出している。それは葬儀が執り行われた場所であり、「蓮台場」はそのまま棺が置かれた台を示しているのだろう。この地域では十王堂があれば近くに墓地があり、石仏もある。そして何といっても「蓮台場」特有の棺をかつて置いた石があれば昔の葬儀場の雰囲気を残すことになる。2019年の盆に“上戸の「まんど」”を記した。その際に触れたが上戸(あがっと)では共同墓地があり、その敷地内に棺を置いた台が今も残っている。その台に上って“まんど”を振ったという。黄泉の国への入り口がこのあたりに存在するのかもしれない。

 さて、ここの十王は一応数にして揃っているようだが、どれが閻魔王なのかはっきりはしないが、ここに掲載した2枚目の写真がそうだろうか。像高はいずれも30センチに満たないが、十王よりもとびぬけて大きいのが地蔵であることは変わりない。


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