Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

中央自動車道脇に建てられた水神

2011-01-05 19:19:00 | 農村環境

 中央自動車道の深沢川橋梁(上伊那郡箕輪町)のすぐ北側の盛土区間、その土手の尻に石碑が建っている。「道路公団」という境界杭の中に建てられているこの石碑は、けして道路公団が建てたものではない。石碑に刻まれた銘は「明治二十年 十月廿八日藤田氏」とあるから道路が造られるよりずっと以前のものだ。石碑の中央には「九頭瀧神社」と記されている。九頭竜神社と言うと箱根のものがよく知られているが、このあたりではやはり戸隠神社の九頭竜伝承だろう。雨乞いの神、水神としての信仰である。ようはこの九頭竜神社の石碑も水にかかわるものということになる。

 ということでこの石碑の脇には清水が湧き出ている。この清水がどういう位置づけだったのかは定かではないが、高速道路の盛土の本当に法尻に湧き出ている。道路ができる以前がどうであったかはわからないが、石碑が建てられているということから推測してももともとこのあたりに湧き出ていたものなのだろう。さらにはこの一帯はほ場整備がされて、以前の区画とは変わっているようだ。一帯の水路の状態を見る限り、高速道路によって整備された側溝と比較してもそれ以降に整備されたものだ。さらには写真でも解るように、湧出した水は上流から流れて下ってきた水路とは隔離されて高速道路を潜っていく。一般的に高速道路に設けられた横断暗渠は、ほとんどヒューム管の1000mmに統一されている。ところがここの暗渠に限っては直径が1500mmある。ようは高速道路が造られた後にこのような構造にされたわけではなく、当初から分離された形で造られたということになる。なぜわざわざ分離されたのか、という疑問が湧くが、そこには水利権というキーワードが浮かぶ。ところがこの湧出した水は、中央自動車道を潜ると、高速道路の排水用側溝で深沢川に直接落とされている。ようは周辺ですぐ農業用に利用されているわけではないのだ。ちなみにこの一帯は西天竜幹線水路の水を利用している水田地帯。高速道路を潜ったあたりも西天竜の水を利用して耕作している。とはいえ末端の境界域で、百メートルほど下ると深沢川から取水した水で水田を耕作している。湧出した水がその一帯の用水としての権利が認められているとも考えにくいが、石碑が建てられた意図からすれば、ただ深沢川に排水するだけのものではないことはうかがえる。

 もうひとつ考えられるのは、西天竜の温かい水に対して、湧水の冷たい水という違いがあるだろう。冷たい水を使いたくないということもあってわざわざ分離したとも考えられる。「藤田氏」と刻まれていることからも個人で建てられた水神様だろう。今はまったく忘れられたような存在のこの水の思いはどこにあったのだろう、などと石碑から想像する。ちなみに『箕輪町の石造文化財』にもこの石碑の存在は認められていない。


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