昭和61年4月29日に行われた日吉のお鍬祭りの4日後、上松町徳原にある駒ケ岳神社里宮で行われる太々神楽を訪れた。氏子の中で一子相伝で伝えられてきたという舞は、13座ある。7間×4間ほどの神楽殿は中央2間四方が一段高くなっている。ここが舞の舞台である。ここの神楽では、やはり四神五返拝がよく知られている。最近はそれほどではないが、かつてはこの舞を撮った写真を、コンクールなどでよく目にしたもの。白い天狗の面をつけた4人が、床を激しく踏みしめると、飛び跳ねて宙に舞う。迫力のある舞である。
明治以降、神楽司と言われる東小川の特定の家が一子相伝で引き継いできた。昭和49年に発行された『信州の芸能』(信濃毎日新聞社)に当時の氏子総代の次のようなコメントが掲載されている。
昔はね、神楽が終わるとムシロをどかして見物人もなにもいっしょになって踊ったもんですよ。若い娘なんかも輪にはいって、“木曽節”だ“高い山”だって踊りましたね。まあ、そこが一種の社交場になったわけです
山岳系神楽、あるいは修験系神楽などと言われる。
昭和61年5月3日撮影
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