Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

車は通らないが人は多い

2005-07-28 08:21:35 | 農村環境
 仕事で上水内郡中条村によく行く。長野市の西部にあり、県庁から20分余で村に入る。長野市は南北に平地が続くが、東西をみると、背後に山がつながる。これは長野市に限らず、長野県内ではどこでもその傾向にある。川の流れが南北方向にあるから仕方がないことであるが、それでも長野市の平らは狭い。県庁から20分程度にも限らず、山間部のため、若者の姿は少ない。大町へ向かう県道沿いに高校があるため、なにやらわけのわからない高校生が歩いていて、若い姿がないではないが、超ミニスカで金髪のロングヘアーの女子校生が歩いていたりする。長野市内でもそんな女子高生を見ない、と長野から150kmほど南のある美容院で話したら、「かつての女子高生だね」なんていわれてしまった。今時の女子高生はそんな髪型にしないということだろう。
 仕事の現場は、この県道から10分余山に入った集落にある。一日仕事をしていても、通る車は一台か二台程度と少ない。だから大変静かである。しかしである。車は通らないが、人の姿は多い。家が山肌に点在しているが、その周辺のわずかな平らを利用した水田や畑、また傾斜地に点在する畑で働いている人が多いのである。家の数は多くはないが、家の数以上に人の姿を見る。皆、顔も知らない人間が働いているのに、頭を下げてくれるし、挨拶をしてくれる。あるおばあさんは、水田の水見に頻繁に高いところに見える家から水田に下りてきては、悩んでいる。そして「水が漏るんな、どうすりゃいいか」とわたしに頼ってくるのである。モグラの穴があって漏るんじゃないかと話すと、納得したりしている。
 人が家の近くで働き、車が通らないということは、よそへ出る人もいなければ入ってくる人もいない。交流は少なく、寂しさもあるが、気兼ねのない暮らしである。不在の土地があって荒れているところはあるが、地元に住んでいる人の土地は、見事に管理されている。県内でも数少ない農村である。最近はグリーンツーリズムなんていって、都市から体験農業者を受け入れるところが多い。わたしはそういうのは好きではない。なぜなら、確かに顔を見ながらの交流にはなるが、どうも冷静に考えると、結局都会に利用されているような気がするからである。だからといって、都会人目当てに銭をふんだくるような農村は農村ではない。それこそ利益優先の経済社会の産物となってしまう。しかし、それがこれからの農業だ、そうしなければ農業が壊滅してしまう、なんて宣伝しているが、そんなことをしなければなくなってしまうような農業は、なくなってしまえばよい。なくなって目覚めればよいと思っている。敗戦で目覚めたように(本当に目覚めたのかどうかは疑問な点もあるが)。
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