マルセルは魚料理屋の息子で、
年の離れた姉が一人います。
父親の言ってるような、魚を笛にする事は、さすがとありませんでしたが、
巻貝を笛にはしていたようです。
北部海岸地域で獲れた魚は、パリへも輸送されましたが、
入市税が高い上、いい魚は王侯や聖職者達の食卓に上ってしまうのでした。
それですら、塩漬けにされて、それなりの距離を運ばれて来たため、
新鮮とは言い難いものだったようです。
一般市民の方々は残りの魚でガマンし、
お金を貯めては北部の町へと旅行して、魚料理を食べて帰って来ました。
そして、18世紀末に活躍したジャーナリストのメルシエ氏によると、
その事を周囲の人達に、残りの生涯中自慢して、
あきれさせたとの事でした。