【各話末エッセイ②の2】
18世紀にはぺストよりも天然痘が恐れられていた
ように見えます。
天然痘自体は太古の時代からあったらしく、
患者の膿やかさぶたから取れた汁を
切り傷に塗る人痘種痘が紀元前から
行われていたようです。
1720年〜22年の間、デフォーが恐れたぺスト流行は
ありませんでしたが、21年に天然痘が大流行し、
英国では最初の人痘種痘が行われました。
現在コロナのワクチンで死亡者が出る可能性が
問題になっていますが、
人痘種痘の致死率は約2%だったとの事です。
その上、大変な高額で、
物語の頃には、現在の日本の金額に換算すると、
一人20万円もかかりました。
当然ながら現代日本のような健康保険制度は無いので、
実費払いです。
そして、医者は儲けのために
施術方法を秘密にしていました。
この物語が完結するのと同じ1768年の英国では、
国民の約半数が罹患し、
約20%が亡くなっている状況でした。
そんな時代に医学の修行をしていたジェンナー。
皮膚の化膿を治療に来た乳搾りの女性から
「自分は牛痘に何度も罹っているので天然痘ではない」
と言われ、牛痘に興味を持ち始めます。
その後ジェンナーはドリトル先生のモデルになった人物の
元で更に学び、生まれ故郷に戻って内科・外科兼任の
診療を行っていました。
1778年にジェンナーは、牛痘の病歴がある女性に
人痘種痘をし、天然痘の発病が無い事を確かめました。
「牛痘になった人は天然痘にならない」という
データ収集も行います。
実験も繰り返され、牛痘種痘は人痘種痘より安全との
結論が出ました。
ジェンナー本人の広報活動や、
低所得家庭の子供への無料接種の働きもあり、
ワクチン接種が広まって行きました。
19世紀初頭には、英国全土で10万人以上が
ワクチン接種を受け、陸軍や海軍でも、
今で言う所の職域接種が行われていました。
それでも、18世紀末のヨーロッパでは毎年約40万人が
天然痘で死亡していたといいます。
こちらのワクチンでも効果に疑問を呈する人がいました。
政府の強力な「ワクチン推し」への反対・拒否運動も起こり、ジェンナー個人への批判も含めて20世紀まで続いたそうです。
19世紀に種痘は、ナショナリズムの高まりも越えて
世界中に広まって行き、幕末日本にも入って来ました。
一方で病原菌も、しぶとく生き残り広がり続けて、
根絶宣言が出たのは1980年の事。
ジェンナーが病気消滅を予言してから
200年が経っていました。
前回の話に戻りますが、
デフォーの本によると、伝染病終息の兆しは
死亡者数が減り、療養者の回復速度が上がる時だとの事で、
主人公は、これを
「神の全能の力による御業(みわざ)」と呼んでいます。
17世紀には、こう思うしかなかったのでしょう。
第24話「悲運の商人アントニオと20個の卵の物語」
は9月7日(火)より開始の予定です。
18世紀にはぺストよりも天然痘が恐れられていた
ように見えます。
天然痘自体は太古の時代からあったらしく、
患者の膿やかさぶたから取れた汁を
切り傷に塗る人痘種痘が紀元前から
行われていたようです。
1720年〜22年の間、デフォーが恐れたぺスト流行は
ありませんでしたが、21年に天然痘が大流行し、
英国では最初の人痘種痘が行われました。
現在コロナのワクチンで死亡者が出る可能性が
問題になっていますが、
人痘種痘の致死率は約2%だったとの事です。
その上、大変な高額で、
物語の頃には、現在の日本の金額に換算すると、
一人20万円もかかりました。
当然ながら現代日本のような健康保険制度は無いので、
実費払いです。
そして、医者は儲けのために
施術方法を秘密にしていました。
この物語が完結するのと同じ1768年の英国では、
国民の約半数が罹患し、
約20%が亡くなっている状況でした。
そんな時代に医学の修行をしていたジェンナー。
皮膚の化膿を治療に来た乳搾りの女性から
「自分は牛痘に何度も罹っているので天然痘ではない」
と言われ、牛痘に興味を持ち始めます。
その後ジェンナーはドリトル先生のモデルになった人物の
元で更に学び、生まれ故郷に戻って内科・外科兼任の
診療を行っていました。
1778年にジェンナーは、牛痘の病歴がある女性に
人痘種痘をし、天然痘の発病が無い事を確かめました。
「牛痘になった人は天然痘にならない」という
データ収集も行います。
実験も繰り返され、牛痘種痘は人痘種痘より安全との
結論が出ました。
ジェンナー本人の広報活動や、
低所得家庭の子供への無料接種の働きもあり、
ワクチン接種が広まって行きました。
19世紀初頭には、英国全土で10万人以上が
ワクチン接種を受け、陸軍や海軍でも、
今で言う所の職域接種が行われていました。
それでも、18世紀末のヨーロッパでは毎年約40万人が
天然痘で死亡していたといいます。
こちらのワクチンでも効果に疑問を呈する人がいました。
政府の強力な「ワクチン推し」への反対・拒否運動も起こり、ジェンナー個人への批判も含めて20世紀まで続いたそうです。
19世紀に種痘は、ナショナリズムの高まりも越えて
世界中に広まって行き、幕末日本にも入って来ました。
一方で病原菌も、しぶとく生き残り広がり続けて、
根絶宣言が出たのは1980年の事。
ジェンナーが病気消滅を予言してから
200年が経っていました。
前回の話に戻りますが、
デフォーの本によると、伝染病終息の兆しは
死亡者数が減り、療養者の回復速度が上がる時だとの事で、
主人公は、これを
「神の全能の力による御業(みわざ)」と呼んでいます。
17世紀には、こう思うしかなかったのでしょう。
第24話「悲運の商人アントニオと20個の卵の物語」
は9月7日(火)より開始の予定です。