いつでも猫といっしょ

チンチラゴールドのララと、多頭飼育崩壊からやってきたドン(黒ペルシャMix)&マリ(ソマリMix)の、たぶん楽しい毎日。

呼び名

2005-09-30 | 3匹の老猫
なにかと話題の多い堀江貴文さんに、ホリエモン(&ドラえもん)の愛称(?)があるように、うちの猫たちにも本名にくわえていくつか呼び名があります。

かなちゃんは、カニャンコ、または、ばかな(ばか+かな)。

そもそもかなには「がく」という名前がありました。もらってくれることになっていた友達が、「がく」にするというのでそう呼んでいたのですが、その友達が猫の毛アレルギーになり、もらわれそこないました。その後飼い主が勤めていた会社の部署異動があり、行った先に、あまり可愛くない「がく」という名前の男性がいたため、会社から帰宅後「がくちゃ~ん」と抱っこしてあげる気になれず、生後6ヶ月ごろ、「かな」に改名しました。その頃には、今もよくする、きょとんとした顔をして首をかしげ、どうしたのかな?といっているように見える癖があったので、どうしたのかな、の最後の「かな」を名前にしました(テキトー)。

かなは、「かな」と呼ばれようが「カニャンコ」と呼ばれようが「ばかな」と呼ばれようが、呼ばれれば喜んでこちらに来ます。日向ぼっこ中などは、いやいやでも、呼ばれれば必ずやってきます。

名前を聞き分けているのか、飼い主の声のトーンから呼ばれていると認識しているのかは不明です。猫は人間のように、視覚や聴覚のみに頼りすぎず、全体の雰囲気を察知しているのかなと思うこともあります。

のこちゃんは、拾い主さんが、「ノエル・のこ」とすでに名付けていまして、そのままのこちゃんになりました。その後、意味もなく、「のりこ」の短縮で「のこ」となったのですが、一時藤原紀香のファンだったダンナが「のりか」にしようというので、「のりか・のこ」になりました。というわけで、時々、のりちゃん、と呼ばれますが、自分のことと認識しているようです。

で、のこちゃんとかなちゃんをまとめて呼ぶときには、のり+かな で、「のりかな」。のりたまみたいな響きですね。

今は亡き茶茶の呼び名は、茶茶丸(太って丸いので)、ときには意味もなくチャッピーとも呼んでいました。とても横文字が似合う猫ではなかったのですが。または、さらに短縮して「茶」とも。特に飼い主同士の電話の会話などでは、「茶はどうしてる?」とよく使われていました。

同じく、今は亡きゲンちゃんは、最初は野良猫と思っていたので、単に「でかねこ」「でかちゃん」(でかいので)。その後名前が判明して、ゲン、ゲンチャン、ゲンタローなどと呼んでおりました。見かけた義母は、「シロ」(白いので)と呼んでいましたが、ゲンチャンはたぶん、自分はゲンと思っていたと思います。

で、私(飼い主)の呼ばれ名は、「みー」です。義父母などは呼び捨ては遠慮してくれるのか、「みーちゃん」などとも呼んでいます。これが一番猫みたいですね。


最近の猫たち

2005-09-27 | 3匹の老猫
ダンナが出張して5日。
あいかわらずカナちゃんは孤独に静かーに、みなしごのように生活しています。
チビなカナがこちらに背中を向けて小さく丸まっていると、なんとなく不憫な雰囲気が漂います。カナのうるさ鳴きがないと、ほんとに静かな家です。

のこちゃんは、ヒマにまかせて、脳梗塞発症以来の、グルーミングを始めました。今では抱っこしてやるとグルグルいっているし、昨日は私の隣に座ってパソコンをたたく私の手を前足でちょんちょんつつく遊びを、これも発病以来初めてやっていました。バランスが悪いらしくちょっと首をかしげた感じが白雉っぽいですが、かなり完全復活を果たした感じ。でもここのところ急激に涼しくなったせいか寝ている時間が(さらに)長くなりました。なんとなく老衰の雰囲気。

明日(もう今日)は茶茶の月命日で、お線香上げました。早いものでもう9ヶ月。キャットイヤーでは3年か。家から出るのが大嫌いだった茶茶を外に出す気にならず、骨壷をずっとリビングルームに置いていますが、動物は土に返してやるのが一番とも言いますし、どうしたものかしら。

げんちゃんは携帯の待ちうけ画面にして偲んでいます。げんちゃんが好きだったところは、まずはエサ皿の場所。あと、誰もいない暑い寝室で、一匹でお腹上にして寝てるのも好きだったようです。私の洋服ダンスに入り込んで寝そべってるのも好きでした。うるさいのに一匹でいるのが好きで、それなのにちょっと寂しがりやの甘えん坊でした。そろそろ四十九日(猫は三十五日?)も過ぎて生まれ変わってるかな。もっと可愛がってあげたかったな。

猫は人につく?

2005-09-23 | 3匹の老猫
犬は人につき、猫は家につく、と言われています。
犬はもともと集団生活する動物なのでグループメンバーである人につき、
猫はもともとなわばりをつくって単独で生活する動物なので、なわばりである家につく。

まあ、最近の室内飼いの猫の場合、なわばりの概念も薄れ、ひまにまかせて家にいる人についているケースも多いでしょう、うちのように。

というわけで、うちの猫は旦那についています。
結婚前から私が飼って世話してたのになー。

♀なので♂(旦那)についているのだろうと私は思っていますが、旦那によれば、より家にいる人、よりかまってくれる人になついているんだそうです。(=私はちっとも家にいなくて、家にいてもあまりかまってやらない、と非難してわけです。)

脳梗塞以来ぼ~~っとしているのこちゃんはともかく、カナは旦那が家にいる限りついてまわっています。まるでストーカー。旦那も家の中で活発に動き回るわけではないので、よくいる場所はリビングルームにあるダイニングのイスと、ソファです。カナは、まずはどちらにも行きやすい床に座って旦那の動向を見守り、旦那がイスにすわれば膝の上へ、ソファに寝転べばねっころがったお腹の上に、さっと乗って動きません。

さて、昨日から旦那は出張でいません。
いつも、昼間は眠って体力を温存、旦那の帰宅後のストーカー行動に備えているわけですが、夜になっても旦那が帰ってこない。=かなちゃん、やること無し。

私がいても、いつもとうってかわって静か。
しーんとした家の中、かなちゃんはじっと座って半分寝ながら、帰って来ない旦那の帰りを待っているようです。たまに、旦那がいつもいるイスに丸くなって寝たりしながら。

旦那の電話も、もちろん用事は「猫どうしてる?」

しーんとした家の中、私の居場所はどこかしらと日頃の生活を振り返る飼い主(=私)でした。旦那がいなくて猫がかわいそうだからと、せっかく急いで帰ってきたのに!

祝・敬老(猫)の日

2005-09-20 | のこ(老猫)
今日は敬老の日。
ちょっと日差しがきつかったですが、カラッとしたよいお天気でした。
木陰は涼しく気持ちの良い風が吹いていました。

脳梗塞から回復したのこちゃんも、猫の額庭に出て気持ちよくお昼寝を楽しんでいるようでした。さわやかなお天気は、敬老(猫)の日の何よりのプレゼントだったようです。

暑かった夏もようやく終わりが見えてきましたが、
今から振り返ると、夏の前からのこちゃんには変調があったように思えます。

毎年6~7月、湿気と温度が急激に上がる頃、猫は毛皮を夏用に変えます。
その時期は家の中、猫の毛がふわっと飛ぶような状態になります。
毛足の長いのこちゃんは、お腹などハゲ?と思うくらい毛が抜けていました。

なのですが、今年は毛皮の着替えができませんでした。
むくむくとした冬用の毛皮に包まれたまま、この厳しい夏を迎えたわけです。
脳梗塞に倒れる1週間くらい前から、外に出て、夜呼んでも家に帰らぬまま一夜を明かしたりしていました。少しでも涼しいところを求めていたのかもしれません。足裏以外汗をかかない猫が、冬用の毛皮に包まれて、どうやって体温調節するんでしょう。

ということも、その時はうっかり見逃していました。

ここのところかなり元気になっていたのこちゃんが、暑さのぶり返しでふーふー言っているのを見て、今日は毛をカットしてあげました。一月ほど前に一度カットしたのですが、それでもまだ多くて、まるで羊。今回はかなり短く切ったら、はさみで適当にチョキチョキしたので、背中の毛がトラがりの段々畑(意味不明ですかね?短い段カットです)のようになってしまいました。

見栄えは奇妙ですが、本人(猫)は気分がよくなったのか、とことこと庭に出て行って、草のにおいをかいだり、置石に寝転んだりしていました(写真)。

その姿を見ながら、ああ、でもほんの少し前、ほんの2カ月前には、同じ場所で、げんちゃんと微妙な距離を保ちつつ、のこちゃん、なわばりを主張してたんだよなーと思うと、心にチクリと痛みが走ります。

この夏を越えられなかったげんちゃん、なんとか乗り越えたけれど、後遺症で以前のしっかり者ぶりはなくなったのこちゃん。先のことはわからないもの。生き延びられた者は、生きられなかったもののぶんまで、幸せに長生きしてほしいです。

のこちゃん、次の一歩

2005-09-05 | のこ(老猫)
7月末の脳梗塞から約1ヶ月。

のこちゃんは、立つ、歩く、飲む、食べる、トイレ、階段上り下りと、一人で(一匹で)生きていける力を着々と回復しました。

なんとか生き延びてくれただけでも大喜びですが、飼い主とは欲張りなもの。前みたいにおしゃべりしないかなあ、グルーミングちっともしないし、、と、できないこと(しないこと?)が気にかかる。

生命維持活動以外は、ぐたっとフローリングの床に横たわって、寝ているかと思うと目を開いたまま、ずうっとそのまま。まあ、病気になる以前も、ほとんど日がな一日寝ていたわけですが。

と思っていたのですが、今日は大躍進!

私が外出しようとすると、よたつきつつも階段下りてついてきました。あけた玄関のドアから外に出て、猫の額庭で草のにおいをかいだり、かんでみたり。しばらくして、玄関のドアをあけて、「のこちゃん、入るよ~」と声をかけると、ひょこひょこ歩いておうちに入りました。私の言ってることわかったのかな~~。

洗面所の扉をあけると、こちらをみながら近づいてきて、ちょこっとですが私の脚にすりすりしかけました。以前よくやっていたことです。飼い主が洗面所に立つと、すかさず先に扉の前に行って、開くのを待って中に入るのが好きでした。

そして夜。いつものようにくたっと床に横たわるのこちゃんを見ると目を閉じている。横にべたっではなく、前後の両足をそろえて姿勢を低くする猫らしい寝姿も、猫座りもやってました。さらに、しばらくするととことこ歩いて、テーブル脇のソファに丸くなっているではありませんか!まさに猫らしい寝姿です。

鳴き声も、「うう~」だけから、ちょっとだけ「にゃ」ということもあるようになりました。

たくさん壊れてしまった脳神経のうち、まずは生命維持に必要な脳が回復し(あるいは迂回路が新たにでき)、次は猫らしい活動をつかさどる脳の部分に回路ができてきているのでしょう。

以前の記憶が戻っているのか、赤ちゃんのようにまったく新しい経験として本人(本猫)が感じているのかわかりませんが、なにはともあれ、ソファにまるかって目を閉じて寝ている姿を見ていると、しみじみ喜びが湧いてきます。

17歳半という高齢で、おそらくは老衰による脳梗塞で生死をさまよいながら少しずつ着実に回復をみせるのこちゃん。一方、3歳で元気いっぱいに見えたのに、突然その命を終えてしまったげんちゃん。長さの違いはあるけれど、どの猫も与えられた寿命を精一杯生きて、文句もいわず自然なこととして運命を受け入れているのでしょう。

予想外の副産物。かなちゃんが大人になりました。いつまでたっても(かなももう15歳半)我が家の赤ちゃんで、気に入らないことがあると家中かけまわってヒステリー鳴きをしていたものでしたが、このひと月、ほんとうにおとなしく過ごしました。飼い主を困らすような悪さもせず、のこちゃんにちょっかい出すこともなく、気がつくと静かにのこちゃんの近くで寝ています。




訃報

2005-09-03 | 老猫とゲン
久しぶりに日記を書くたびに悲しい出来事が多い猫日記。

脳梗塞で倒れたのこちゃんが、ようやくエサを食べるようになり、階段の上り下りもできるようになり、ほっと一安心した今日この頃。

思いがけない訃報をきくことになりました。

デカ猫ゲンちゃんが亡くなったとのこと。。。

8月中旬から訪問がなくなり、これまで毎日来ていたのにどうしたんだろうと心配していたのですが。でも本宅のある立派な飼い猫ちゃん。ほっつき歩き癖もあるし、どこか他にいいとこ見つけたのか、本宅のゲンママさんが心配して外出禁止にしているのか、夏ばてで病気にでもなったのか、、、本宅さんにお聞きしようと思いつつうまく連絡がつかずに10日ほど過ぎました。

ある日帰宅してみると、ゲンママさんかららしいお届け物がありました。しばらく前に数日旅行で留守にするとご連絡があったので。

さっそく電話して、お土産のお礼もそこそこに、最近ゲンちゃんが来ないんですけど、と尋ねると。。。

「旅行から戻って少ししたら、ゲンが下痢して食べなくなって、血液検査も異常なしで点滴してたんですけど、、、」と錯乱気味のゲンママの声。

「死んじゃったんです。食べさせたら飲み込んでたから、まさか死ぬとは思ってなかったのに、帰ってきたら死んじゃってたんです。お知らせしようと思ったんですが、元気になってからと思っていて、でも死んじゃって泣いてしまうから行けなかった。今日ようやく、もう泣かないと思ってうかがったんですけど」

「・・・」

もう、電話のあっちとこっちで、涙涙。

最後にゲンちゃんを見たのは、いつだったんだろう。

ちょうどのこちゃんが死ぬか生きるかの瀬戸際で、ゲンちゃんが来ても全然かまってやっていませんでした。エサだけあげて、あとは帰るにまかせてドアあけてあげるだけだったり、気がついたら3階で寝てたとか、ちょうどそんな時期でした。。

錯乱気味のゲンママの話はよくわかりませんでしたが、たぶん何か悪い物を食べたか除草剤でもなめたか、ということです。

うちでもっとかまってやっていれば、そんな道草せずに本宅に帰ったかもしれない。もしかしたら家に来ても留守だったから、のどかわいてへんな水飲んじゃったのかもしれない。考えてもしかたのないことばかり浮びます。

ゲンママが、部屋で突然「ゲン!」って叫んじゃったら他の猫が驚いてたと言っていました。私も叫んでしまいます。神出鬼没の子だったから、呼んだら、車の下から、エアコンの外付け器の上から、あるいは2階のベランダから、でかい声で鳴きながら出てくるんじゃないかと思いたくなってしまいます。

今でもまだ信じられません。昨年末に茶茶を亡くして寂しくしょぼい雰囲気になっていた家に現れたゲンちゃんは、老猫ホームのようになっていた我が家のうるさい太陽みたいな猫でした。大きくてしっかりしたなで心地のいい頭、抱っこしたときの重量感、クリクリしてとぼけた可愛い目、うるさい鳴き声、、、こんな急死を予想させるようなものは何もありませんでした。

夜、最寄り駅に到着すると悲しくなります。うちに近づくとどこからともなく現れ、あるいは玄関先にうちの猫のようにお座りしていたゲンちゃんがもういない、もう来ないことを確認しなければならないので。

うちに帰ると、ダンナと、もうゲンちゃん来ないんだよねー、死んじゃったんだよねーと、むなしく確認しています。

ゲンママが、ゲンのパパも3歳で死んでしまった、うちはちっとも猫を寿命まで生きさせてやれないと泣いていました。猫の寿命は飼い主の責任ではないけれど、ほんとうに、まだまだ楽しくあっちこっちほっつきまわれるはずだったのに。

死んだ猫はお星様になると思っているので、夜空を見上げてゲンちゃんの顔を思い浮かべたリしています。うちの猫の目を盗んで、ゲンちゃんを思いっきり甘やかしてあげたときの嬉しそうな顔が忘れられません。思い出すと悲しいけど、忘れたくありません。