夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

人類は衰退しました

2014-02-25 | anime
やなせたかしがかつてイラストレータとして知られていた頃は未来は明るい希望に満ちたものだった。それを現在の高みから科学技術への無反省とか人類の進歩への楽観主義というのは簡単だけど、30世紀の未来からやってきた少年ジェッターのタイムストッパーや反重力ベルト、何よりマッハ15で飛びながらペットのような動きをする流星号といったガジェットは大阪万博を待ち望んでいた当時のよい子たちをワクワクさせた。

いつから未来は暗いもの、デストピアとして描かれるようになったのだろうか。もちろん手塚治虫はほぼ同時期から「火の鳥・未来編」などで巨大コンピュータが支配する管理社会を描いていた。ちなみに言えば「火の鳥」シリーズは過去を扱うとき明るく、未来を扱うとき暗い。「鉄腕アトム」で一世を風靡しただけに機を見るに敏であったように思う。完成させないことが企画意図であったのではないか。

問題は未来を明るく描くことが禁止されているようなことだと思う。昭和30年代というか1960年代なんて貧困も公害も差別も偏見もいっぱいあって、どうしようもない時代だと言ってよさそうなのに希望があるだけで賞賛されてしまう。人はパンのみにて生きるにあらず、霞を食うなり。

で、「人類は衰退しました」は明るい未来を描いている稀有の作品である。というとバカにされるだろうなぁ。でもさ、中原麻衣の「あたし」はかわいくてちょっとシニカルで、髪をばっさり切られても悲嘆にくれることもなく、ぐるぐる同じ時間を繰り返すはめになっても肩に力が入っていないのが素敵だ。妖精さんもかわいくて、無責任に高層ビル群を作ったり、王国を作ったり、それらをあっさり壊したりするのがいい。つまり人類のパロディなのだ。この作品の世界はエネルギーや食糧が逼迫して、それが人類衰退の原因だか結果なんだろうけど、希望があるかと言えばそんなこと知ったこっちゃないと言わんばかりに時間が止まっている感じだ。坂の上を目指しもしないし、勝ち目のない悲愴な戦いをするわけでもない。ほの明るい平坦な道をさわやかに歩いている。

ぼくはそう思って見ていたから、全体のヤマ場らしき学生時代の話はよけいなものに感じた。ピオンとO太郎の話はしんみりさせられたけれど。大海に投げられた手紙の入った瓶のような宇宙探査機に寄せる想いは何と呼べばいいだろう。ノスタルジーのベクトルを180度回転させて未来に向けたような想いは。


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