旅の裏の手&ポエポエの日々

幸せになった元野犬「紋二郎」日記と本業旅情報

腎臓病 猫の看護 10ヶ月目 お別れ

2010-01-20 21:35:16 | ネコ日和

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その日は、休日。朝いつものように少し強制給餌して文月をおこたに入れてまったり・・AM11:00頃、ふと見ると文月がおこたから出て箱座り、「暑くなって外に出たのかな?」と・・よく見ると顔の下になにやら吐いた物が、「食事吐いた?」と近づきよく見ると赤い・・赤い!?ギョツとして抱き上げると口からよだれと一緒に吐血・・それも結構な量


外出着に着替えながら病院に電話をして約5分で家を飛び出し記録的な早さで病院へ


診察の結果 慢性腎不全による胃潰瘍


繰り返し嘔吐していたわけでもなく、週に1回吐くか吐かないか位の頻度で、少しも血の混じった吐瀉物を吐いたこともないのに突然一気に吐血。・・さらにタイミングが悪い、前回書いたように貧血が悪化している状態での吐血。増血剤+強制給餌で貧血の治療真っ最中なのに、胃酸が多く出て強制給餌してもすぐに嘔吐


病院の特別な計らいで、飲み薬はつらいだろうということで胃酸を押さえる注射・吐き気を押さえる注射(普通は処方しないそうです)をもらい帰宅。少しふらつくけど吐血も収まり室内をウロウロするくらいには回復。しかし強制給餌(負担が少ないようミヤ君の時と同じシリンジにて退院サポートに変更)を受け付けない・・・


いままで強制給餌しても、少し抵抗するだけでやった後「ごちそうさま」と顔を洗うくらい平気だったのにつらそう・・・


いつも看護は躊躇・遠慮はしないけど・・つらい思い・苦しい思いをさせる・恐怖を与える看護はしないと心に決めていました。しかしこの状況での強制給餌中止は、命のカウントダウン開始を意味します。。再度の輸血・入院の話もありましたが、2回目の輸血のリスク・入院は文月にとって恐怖・絶望以外の何物でもなく選択する事は出来ませんでした。


結果 強制給餌中止を選択


低体温にならないよう、嘔吐してもすぐに対処できるよう、脱水しないようその日は徹夜で看病。AM05:00頃少し危なかったけど、何とか持ち直しフラフラしながらだけど自力で水を飲み・おこたに潜り込み・トイレに行くくらい回復。


翌日朝一で再度病院に行くけど、栄養剤はこの状況だと腎臓に負担がかかるのでやれず胃の粘膜を作る薬をもらい会社へ。会社でも、フラフラしているけど室内をウロウロしていつもの場所で寝ていました。


無事1日を過ぎこの日も徹夜、前の日よりも様子はいいようですが油断はできない・・・文月は、うっらうっらしている状態で不安なのか時々私を探します「ここにいるよ」とナデナデすると安心した表情でまたうっらうっら・・・口から水分を補給するのが難しいようなので輸液で脱水しないよう調整。苦しい様子もなく安定した呼吸ただポヤ~ンとしている感じ。温度・湿度をキープする為、ストーブで大鍋に水を沸かし室内蒸し風呂状態。AM04:00室内の空気を入れ換える為窓を開けると・・・・一面銀世界。「今低体温になったらいけないのに、そんな・・大雪なんて」その時、吐血の日から心の奥底でモヤモヤしていたものが形を作りました。


「あ・・・文月 今日逝くんだ」 


朝をむかえた時に心は、次の段階へ「苦しまず・穏やかに逝けるよう最善の努力をする」。会社へ行く時、低体温にならないよう車のヒーターが直撃する場所に文月を寝かせ、雪の為渋滞する中「どうか車の中では逝かないように。。大好きな生まれ育った会社で逝けますように」と念じながら、必死の思いで会社へ


無事会社へ到着。すぐに電話で主治医の先生に今手元にある薬の強さを確認。弱った体に間違って強い薬の投薬・注射をしたらそれが原因で苦しんだり・逝ってしまったりするので・・次ぎに、万一吐瀉物で窒息しないよう胃酸を押さえる注射・吐き気を押さえる注射・胃の粘膜を保護する水薬をあげて、尿毒症の対処の為トイレに連れて行き膀胱を軽く押しおしっこをさせ、背中の肉を軽く引っ張り脱水の状況を見て10mlや20mlと少量の輸液を間隔を開け注射(量が多いと心臓に負担がかかります)して・・・今の季節一番好きな場所、ストーブの前のフカフカクッションに寝かせタオルで枕を作り猫用の毛布を2枚掛けエンヤのCDで優しい音を流しながら、しずかにその時を待ちました。


仕事中可能な限り傍に行きナデナデ。。。


気持ちよく寝ている文月を、撫でながら「もう逝くんだね。。あと2・3年一緒に遊びたかったな・・でも、2・3年たったら後1年、後半年ってここまで一緒にいたら満足ってそんな日はないんだよね・・」と独り言を言っていると寝ていると思っていた文月が「ニャ」と返事。(これが最後の鳴き声になりました)すこし笑いながら「そっか仕方ないか・・天命だもんね」と、まったりとした時間を過ごしました。


夕方少し呼吸が速くなり意識も朦朧としている様子、いよいよかと覚悟。後ろ足をピンとしたので「痙攣?」と思うとその足で顎の下をカキカキ・・いまいちとどかなかったので少し笑いながら「かゆいの?」と代わりに顎の下をカキカキ。。。文月の前足を1本握り、おでことおでこを合わせ「また何時か何処かで会おうね」と言うと、残った前足の1本を握っている私の手にそっと乗せてきました。。それはまるで偶然かもしれませんが、「うん、約束」の握手の様でした。次の瞬間大きくのびをして旅立ちました。

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楽しい猫でした。面白い猫でした。。。そして愛しい猫でした。


慢性腎不全なのに苦しまず逝けたことは、本当に良かったと思います。吐血する前の日まで貧血なのに元気で、一緒にスーパーに行き買い物が終わり車に戻るとキャリーケースから出ていて運転席の座布団に座り「遅いよ」って怒るくらい普段と何の変わりもない様子でした。


約10ヶ月24時間一緒にいました。寂しがり屋の文月にとってこの10ヶ月は、その前の何十年より幸せだったと思います。強制給餌・毎日の注射・毎日の投薬・病院も些細なこと24時間「かまえ~遊べ~抱っこしろ~」と本当に幸せそうでした。私も、看護・仕事・家事で忙しく毎日睡眠時間4~5時間なのに1時間から2時間置きに「かまえ~遊べ~抱っこしろ~」攻撃で起こされても幸せでした。


亡骸は、体重も強制給餌のおかげであまり減らずぷっくらしていて、毛並みも輸液のおかげでしっとり艶やかで綺麗でした。黒猫なので白髪(毛)が目立ち・・・こんなに白髪(毛)が出来るまで長く一緒にいられたことに感謝です。沢山の猫じゃらしを、一緒に火葬しました。あちらでも元気に破壊活動をすると思います。


慢性腎不全と言われたのが去年の3月、8月にはBUN130以上~数値突破測定不可能・CRE:6以上・PCV:20以下となりそのまま逝く日までこの数値でした。先生曰く「数値的には、1週間ぐらいで亡くなることもある数値なんですが・・」と言われ、元気に垂直壁登り・パンフレット立てジャングル遊び・猫じゃらし取って来い遊びの動画を見せると、「確かにこの数値でも生きてる子はいますが、こんなに元気な腎臓病猫は医学的に説明できませんよ」と笑って言われました。それくらい腎臓病の延命治療中でも文月は、生きることを楽しんでいました。そしてその事をサポート出来たこと本当に嬉しく思います。

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このブログを読まれているお客様の中に、文月を見かけた方もいると思います。接客中、私の後ろで猫じゃらしをくわえ「まだ接客終わらない?遊んで~」とウロウロしていた黒猫が文月です。「接客中は、遊べないよ」と言うと見えないところに移動して「いや~遊んで~」と大音響でワオワオ・・お客様と大笑い。接客が終わり裏に戻ると飲み水のボウルの中に何本もの猫じゃらしがプカプカ浮いているのを見てさらに大笑いしました。


楽しい看護でした。文月も私も笑顔の看護でした。でも、まったく後悔はないか?というとやはり入院させていたらもう少し一緒にいられた?無理矢理でも強制給餌を続けていたら今この瞬間も猫じゃらしをくわえ「遊んで~」と騒いでた?と、思います。でも、また同じ状況になったら今回と同じ選択をするでしょう。ペットの最後の時を選択をする・・飼い主にとって究極の選択です。なにが正しいのか正しくないのか?答えは、ないと思います。


いい動物病院がかかりつけで良かった。24時間看護可能な環境で良かったと思います。今看護中の方々、笑顔で看護頑張ってそしていい時間を過ごして下さい。


ほんとうに文月は幸せな猫でございました。


私が笑顔の看護にこだわるわけ

私は、生まれて中学生になるくらいまで病弱でした。重度の喘息で、結核を併発して半年以上入院したり養護学校に行ったり、又違う年には急性肺炎を併発して集中治療室に1ヶ月入ったりと、幼稚園も1週間休まず通園するともらえる花丸も2年間通ったのに1度ももらえず卒園しました。


1週間に最低でも1度は喘息の発作・・息が出来ず苦しくて苦しくて仕方ない日々を過ごしました。重度の喘息の場合、普通の人のように仰向けに体をまっすぐにした状態で寝ることは出来ません。肺が上向きに膨れないんです。横向きでも息が苦しい状態です。物心ついた頃から正座で上半身を前に倒し布団をかぶり亀のように寝るようになっていました。そうすると引力の関係で少し肺が膨らみやすく息がしやすかったから・・・


そんな状態で寝ていたある日、襖の向こうで両親の争う声が聞こえてきました。なんとなく聞いていると私がどっちに似たのか?可愛そうで見ていられない・・というような内容でした。今思うと両親も看護で疲れイライラしてお互いを責め合っていたと思います。その時私が感じた「罪悪感」・・私がいるから喧嘩するんだ・・イライラするんだ・・・泣くんだ・・・それは、息が出来ない体の苦しさを上回る心の苦しさでした。好きで病弱に生まれたわけではないけど、私の存在が両親を苦しめている。悲しくて・つらくて・心が苦しくて。。そんなあの日を何十年たった今も忘れられません。


だから看護する側にたった時、看護される側が私と同じように体も苦しい上に心も苦しくならないよう笑顔で「看護なんてへっちゃらまかせなさい」という気持ちでやるようにしています。笑顔の看護は、看護される側も笑顔になります。そしていい時間を過ごせます。看護は、本当に大変です。。でも笑顔だけは忘れないで下さい。

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