- 「い」つ
- 「な」んのために
- 「か」いた人は誰?
- 「も」とネタは?
- 「ち」がう情報と比べた?
私の令和3年健康状態について総括
- うつ状態は治っておらず医療が必要。回復・軽快の方向。
- 波はあるが、小さくなっている。
今年あった社会的変化
- 事実婚の解消…不穏時に家で落ち着くことができるようになり、波が小さくなった。
- 就職の失敗…休業指示診断後ひと月で就労可能状態と診断された。回復のスピード上がる。
実施したアドバイス・ストレスコーピングの、この一年における効果
- 主治医 …〇 漢方中心の薬物療法。昨年より精神薬の出番、かなり減った。
- それ以外の医療 …〇 主治医に足らない機能を果たしていただいている。スワイショウ、ヨガ、瞑想、耳引っ張り、腹式呼吸、水被り、など、軽いストレス、そわそわ感には効果あり。
- 神田橋先生のアドバイス…〇 継続し、回復への寄与を実感している。
- メガビタミン …〇 継続し、体を支えられていると感じている。
- 糖質制限 …△ 継続できず、今後の課題。
- フラワーエッセンス …? あまり効果なし。セラピストが「一度でいい」という人であるうえに、反ワクチン派でワクチン接種者との接触を拒否するので接触せず。
- 朝散歩などの運動 …〇 健康保持、気分好転、意欲向上に貢献
来年の抱負
糖質をコントロール、低減させたい。メンタルと睡眠のために。
朝散歩。私は半年一日とも休まず継続しています。
「朝散歩」という言葉を「発明」?した樺沢紫苑氏に従っているのではありません。
「金かからずリスク少ない民間療法をいろいろ試し、開発しないさ」という神田橋條治先生から直接頂いたご指導に則り、神田橋先生ご指導一環の一つとして、朝に散歩を実践しています。
私は朝散歩を、
起床後おおむね1時間位以内。3時間ぐらいたっていても構わない。
朝食前が好ましいが、勤務先などの時間がなければ〈遠隔地など〉、朝食後でも構わない。
15分から30分程度、近所を歩く。気が進まなければ10分でもいい。時間がなければ通勤〈無職で就労支援機関利用中である私の場合、実習や通勤練習〉のついででもかまわない。
としています。
というのも、提唱している樺沢紫苑氏による定義も変遷しています。
今日見た動画では散歩は5分から15分でいいとされています。
なお、読んだ本などでは確か、15分以上30分以内。と定義されていたと記憶しています。
樺沢紫苑氏本人が動画で言うには、自分にとって良ければそれでいい。とのこと。
樺沢氏は言っていることがコロコロ変わる。
また、科学に基づくと仰せですが、樺沢氏は今のところ、朝散歩の科学的エビデンスを示していないですね。運動効果の科学的エビデンスは示していますが、「朝散歩」の厳密な手続きや厳格な科学的検証があれば、論文をお示しいただきたいと思います。
朝散歩は気持ちがいいからやっているだけ。
樺沢氏の指示で動いているわけではないです。そもそも私は一度も会っていない。
だから、気持ちがよければそれでいい。
朝散歩して、少しは気分を良くして一日をスタートできる。
きちんとしていないかもしれないが、食事は一応とり、外出も毎日し、一日7千歩以上は歩いている。筋トレやジョギングも週2~3回やってます。
樺沢私的には「治ってきている」というのでしょうが。
しかし現実に私はまだ、周りから健康状態に疑念がもたれるような気分の浮き沈みがあるから、治ったとは思ってもいない。
少しはましになっていると感じているから続いているのです。
朝散歩以上に長続きしている習慣に「焼酎風呂」があります。
これは神田橋先生がいろいろなところで推奨されていること。入浴時におちょこ半分程度の焼酎を入れる。というもの。
これをしたからといつて「うつ病が完治した」「発達障害が消失した」ということはないが、「気持ちがいい」という感覚があり、気持ちがいいから続いているのでしょうね。
これからも無害で簡単にできる「気持ちのいい」ことを、していきたいと思っています。
朝起きた時にやる「朝風呂」をやってみた。
これは精神科医ユーチューバーの樺沢紫苑さんが動画で推奨されていること。
最近就活で、泊りがけで行くことがあり、温泉ホテルの朝風呂の後の午前中の面接で気分よく受けられたので〈結果は不採用だったが〉、そこからも着想を得ている。
確かに、気分の良くないときにこれができると、気持ちがリラックスできると思った。
ただ、朝風呂の後、朝散歩するのは、秋から冬にかけては、厳しくなるかもしれませんね。ちなみに書いている今日は、やってません。
昨日見た樺沢先生の動画では、先生ご自身は「朝シャワー」をやっているみたい。時々「朝散歩」とか言ってましたね。
提唱されているご自身も、反応に戸惑っておられる?
人によっては「朝散歩」とか言われると「早起きしなきりゃ行けない」「どんな時でも厳密にやらなければいけない」という、その人独自の連想が生じる。
樺沢先生の動画や著書によると、そういう厳密な手続きはなく、やってみてうまくいけばいい。気持ちがよければいい。というレベルのことだと思う。
絶対の真理を言いたいのではなく、せいぜい、こうしたらいいよ。的なアドバイスに留まる。と理解している。
そういうアバウトなものだとご本人が言っているので、そうなのだろう。
話を戻すと、「朝風呂」もわるくない。今後適当に取り入れていくと思う。
朝散歩、を意識してやるようになっています。
もともと、朝、5時から7時くらいに起きて、ご飯食べて、朝、運動も兼ねてどこかに歩いて出かける。ジョギングする。などの運動は、解放病棟入院中という10年ほど前のうつ状態最悪時でも、やってきたことです。
最近動画や著書をを拝見する、樺沢 紫苑 先生によると、朝起きて朝食前に15分から30分の散歩に、気分障害改善の効果があり、樺沢医師は強く勧めています。
起床後最低でも3時間以内に散歩することが最低条件。
雨天などの理由で散歩できない場合は、ラジオ体操などの「リズム運動」に同様の効果が期待できる。
とかなんとか。
引用元リンクうつが「すぐ治る人」「重症化する人」の決定的差 | 健康 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
自分はすでに社会復帰していますが、意識して起床後朝食前に散歩するようにしています。
とはいえ社会復帰していて、朝食後〈今日も〉1時間くらいで出かけ、一日一万歩前後歩行するので、すでに何年もやり続けている習慣かもしれませんね。
効果はあると思いますよ。実際、やらないと気持ち悪いですから。
樺沢先生は「運動」「睡眠」「朝散歩」を回復の条件にしています。
確かに、効果あるし、そういうことは気を付けてきたし、実践してもきました。樺沢先生推奨の、純粋の方法でないかもしれませんがね。
でもね、完治はしませんね。それは神田橋先生のやり方とおなじですか。
完治はしないけれど、こんなものか。これで折り合おう。という意味での「回復」はすると思います。
気になった方は、検索してみてくださいね。
コロナ禍が続いています。多くの入所施設で面会謝絶となり、外部とのやり取りができない状況になっていると、いろいろ報道されていますね。
最近、精神当事者ご家族から、グループホームがコロナ対策で外出できない。訪問もできない。緊急事態明けでようやく近所を移動支援することを許可されるとか。何とか聞いた。
その親御さんのご子息は、別に重度知的障害者とかではない。ほんの2年前までは普通に社会人していた人である。はあ?そんな人に移動支援つけるの???
そもそも、グループホームって、入所施設じゃあないはず。地域生活の住処のはず。自分はグループホーム制度の創世記に世話人として仕事してきたから、さんざん研修でグループホームは入所施設ではない。と教えられてきた。
でも現実現在のグループホームは、事実上の小さな入所施設。福祉団体が利用者を管理する道具になっていることが多い。もちろん、法的に物理的な安全管理が必要な人もいるが、それが拡大解釈され、うっとおしくストレスフルなシステムになっているようだ。
精神科病院でも外泊訓練禁止となり、外部との接触も感染対策とかで禁止になり、流れが止まっていると聞く。
入院患者のなかには危険な人もいるが、大部分はおとなしい人たち。強制入院の人もいるが大部分は任意入院の人たち。そんな人たちが、刑務所のような処遇を受けていて、それが公然とまかり通っている現実を聞いて、あぜんとした。
精神障碍者がストレスフルな環境にされされれば病状悪化となることは簡単に思い起こせる。そしてそれへの対応は過剰投薬の一択。なのだろう。何も変われないのかな。日本の精神保健医療福祉。さらにますますひどくなった感じだ。
そうこうするうちに過去書いた、こんな記事も思い出された。こんな被害にあわないようにするにはどうしたらいいのだろうか?
取手市と八王子市の強制入院事件から学ぶ。日本の福祉職はPoor Slave Workerなのだ。 - 「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活 (goo.ne.jp)
最近、天然だしのふりかけを色々調べています。ミネラルを摂取するためです。
コンビニや仕出し弁当は、どうやら冷凍野菜を使ってコストダウンしているようです。冷凍野菜はいったん似た野菜を、煮汁を捨てて急速冷凍して製造されるので、煮汁とともに栄養素がごっそり抜けてしまう。という話を医師などから耳にして、「天然だしのふりかけをかけるだけでも、補えるよ」と教えられました。
先生の勧める天然出汁は大坂の業者さんが細々と作っているもので、かなり割高です。
名古屋の零細業者もやっていますが、出荷が不定期で割高です。
Amazonでいろいろさがして、試している段階です。
天然由来のふりかけを昼食で出される仕出し弁当とインスタントみそ汁かけると、体調がなんだかいい感じです。
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NHKで「引きこもり」についての特集が相次いでいる。
たしか、「引きこもりクライシス、100万人の衝撃」とか、「引きこもりと発達障害」とか。
徹頭徹尾絶望的でひたすら悲劇で、全くの絶望でしかないという内容で、今調子を崩し気味の私は、思わず不調になってしまった。
NHKの報道を見ていると、もう何の解決もない。あるとしたらナチスの方法しかない。と思えてしまうが、本当にそうなのだろうか? 本当に絶望以外はないのか?
NHKはあれを報道して、何を目的としているのだろうか。おそらくは発達障害ギョーカイ界隈の宣伝をそのまま流しているのだろうが、ギョーカイはあれを見せて、何を得ようとするのだろうか。
ギョーカイは児童精神科受診をやたらと勧めるが、売りつけるのは強烈な薬と社会への愚痴と絶望だけ。向精神薬以外の対抗策を勧められる医師は少ない印象を持つ。やたらとデータ鳥に熱心で、研究から希望につながることをするかと言えばそうでない人が多く、絶望と社会の理解を求め続けるくせに、自ら医療や福祉の支援事業を興して救済しようという動きを、ギョーカイ筋から私は見たことがない。
結論から言えば、すくなくとも医療福祉につながれば、「親亡き後に衰弱死・孤独死」ということにはならない。支援を受けつつ少しずつ自主性が出てきて社会参加や社会進出に向かうこともあるかもしれない。
困難であることは分かる。医療福祉の負の部分も見てきた。支援者との相性もある。しかし繋がっていれば、最悪にならない確率が高まる〈医療福祉に殺される可能性を否定できないが〉と、支援や制度をうまく利用すれば、それなりに生きていける可能性が高まる。と私は思う。診断はその手がかりだと思う。その手がかりから、自分なりの解決策を模索していけばいい。
NHK的に言えば、困難なことだけは確実に言えるから、あのような絶望しかない構成になるのかもしれない。回復の過程は一人一人違うからといって、回復する道や回復する方策を報道しないのは、大変な片手落ちだと私は思う。
NHKの報道を見て、猛烈な希死念慮とうつ状態が発生した。しょうもないことだと思う。この国では自殺は許されず、生きていくしかないのだから。苦しんだつて世の中は動いている。動きに合わせられるように、自分の心を楽にするしかないのだ。
私はただひたすら、自分の回復の道を探るだけだ。NHKのあの種の特集は、もう見ないことにする。
もう、建前とか理性とか、考えないで、自分の思っていることを書きます。
私は今まで生きてきたのは、死ねないからです。
17歳の時に一回だけオーバードースして日赤に担ぎ込まれて、簡単には死ねないと知りました。
だから、とても生きずらい、苦しい中を生きてきました。
若い時は何とかなった。
でも中年のおっさんで、何度も病気になっている今の私に、そんな力はありません。
オランダやベルギーでは、精神疾患による安楽死・自殺ほう助が認められていると知りました。
https://www.carenet.com/news/general/carenet/39597
正直にいって、ぜひ日本もそうなってほしい。
私はそれに力を貸したい。
安楽死法を制定していただきたい。そして私を最初に安楽死させていただきたい。
日本の資源は限られています。日本の財政のかなりの部分は、医療費・社会保障費によって占められています。
そんなの、今後も続けられるのでしょうか?
これからの私は、世の中のお荷物でしかなくなろうとしています。
今の日本では安楽死できない。自決したくても止められる。世間に迷惑がかかります。だから仕方がなく、生きていくしかないです。
だからたとえ、ナチスと言われようが優生思想と言われようが、死ぬ権利を認める社会を実現させたいと、私は強く思います。
私は尊厳をもって死ぬために、安楽死・尊厳死のできる社会実現に尽力したいと思うようになりました。
もう、れいわの支持はやめにします。尊厳死議論を促進させてくれるなら、その政党を応援します。
ACT(Assertive Community Treatment 包括的地域生活支援プログラム)とオープンダイアローグで知られる高木俊介先生から面白い文章が回ってきた。
ACT(Assertive Community Treatment 包括的地域生活支援プログラム)
https://www.comhbo.net/?page_id=1379
オープンダイアローグ
https://ja.wikipedia.org/wiki/オープン・ダイアローグ
高木先生がリンクを張った、北里大学精神科の宮岡等先生がNPO法人ノーチラス会で行った講演スライドによると、選ばないほうがいい医師として
”他はない特定の治療を推進する医師 ×よい治療ならすぐ広まる”
と書かれている。
それについて高木先生が答えておられる画像を添付した。
宮岡先生が公開している公演会スライド
https://blog-imgs-129-origin.fc2.com/m/i/y/miyaokakitasato/20200112213117bac.jpg
https://blog-imgs-129-origin.fc2.com/m/i/y/miyaokakitasato/202001122131193c0.jpg
https://blog-imgs-129-origin.fc2.com/m/i/y/miyaokakitasato/202001122131206c2.jpg
宮岡先生のお考えすべてを否定しない。参考になるご意見もある。
しかし高木先生が疑問に思った点について、私も疑問に思った。
宮岡先生の定義した「他にはない特定の治療を推進する医師」に、私はよく治してもらっている。
宮岡先生にとって多分、高木先生は敵なのだろう。彼の敵はほかに大勢いる。もちろん、多量多剤を平気でやる医師や患者の主訴を聞かない医師は共通の敵である。そんな医師に私の心身を見せることはない。
宮岡先生にとっては、このブログで取り上げたほとんどすべての先生はやぶ医者である。
しかし私の体は、神田橋先生や藤川先生のおかげでずいぶんとよくなった。しかしそれら先生方は宮岡定義では推奨しない人たちである。
藤川先生のもとの流れの一つである溝口先生などの分子栄養学に基づき糖質制限をする精神科医たちも、そして内科専門医であり日本心身医学会に属する私の主治医も、宮岡先生によればアウトである。
もちろん、べてるの家をサポートしている川村敏明先生もまた、宮岡定義では完全アウトである。
では、なぜ上記の先生方の方法が広まらないか。私が思うに
・職人芸玄人芸で、他人がまねしようにもまねできない…神田橋先生、川村先生など
・方法論で、保険診療では収益を上げにくいというイメージ…神田橋先生、高木先生、河村先生など
・発想が突飛で、模倣に抵抗がある…神田橋先生、川村先生、藤川先生、溝口先生など
病院は、検査してなんぼ、入信させてなんぼ、薬出してなんぼ、である。治したらもうその患者からの上りは当面望めないシステムである。
施設は、利用してもらつてなんぼ。問題解決して施設外で暮らされては、その利用者からの上りは望めないのがこの国のシステムである。
宮岡基準は、すべての医師が患者を治そう、楽にしようという意思を持っていることを前提にしている。それは虫が良すぎると感じる。
私は神田橋先生(2016)のおっしゃる通り、特に精神科医は、治すことよりも「昆虫採集」に夢中になる医師が大変多いと感じている。そんな治療に関心のない医師に「治してもらいに行く」という行為をしても、治療側に関心のない行為は望めないと私は思う。
医者は大勢いる。精神病患者で精神科医療にも携われる小石川真美医師は主治医を十数人替えたと述べておられる(小石川2018)。患者側ニーズも、医師側の事情〈治療理論、経済的事情など〉も、時に応じて変遷する。だからその時にニーズに応じて受ける医療サービスを変えればいい。と私は思う。
参考文献
神田橋條治 2016 治療のための精神分析ノート 創元社
小石川真美 2018 大いなる誤解・親子が殺しあわないために 金剛出版
つい昨日、杉山登志郎先生の著書にいろいろ書いてある、「発達障害は・・・治る」という記述についいて、杉山先生が設立から深くかかわるアスペ・エルデの会からの情報として、その会の中では杉山先生は「治る」とは一度も言っていない。とのこと。そして増版時にそうした「誤解を招く」記述はすべて削除する。という情報がツイッターで流れてきました。
また、青木省三先生の著書「こころの病を診るということ」という本を飛ばし読みしまし、思うところが生じました。
青木先生に限らず、発達障害の人に多く接する様々な専門家から聞こえてくる言葉が、その本では書かれていました。
以下、青木先生の本〈青木、2017〉から引用します。
“〈初対面の時〉独特の透明感、純粋さを感じさせる人たちがいる。不純な部分がない。濁りがないというのだろうか。”
“ウラがなくオモテだけで生きている人が持つ透明感である。”
“また、不安そうな困惑した表情や雰囲気の人たちもいる。この人たちは、周囲からの情報をうまくキャッチできず、困っている。場面や状況を読み取ろうとするのだが、読めずに困惑している。不安であるし、実に孤独である。”
このようなことは、青木先生だけではなく、私が知る大人の高機能の発達障害に携わる何人かの医師や年金申請に携わる社会保険労務士の先生方から、よく聞こえてくる声です。また、セカンドオピニオン医である神田橋先生の本複数にも、似たような印象を持たせる記述があります。〈いちいち引用しませんが〉
いわゆるもろもろの身体的なアプローチによって、「改善」はできると今までの取り組みで実感していますし、今でも継続しています。
また、糖質制限などの取り組みによっても、「改善」できると、実感しています。そして今、「高タンパク質・メガビタミン」という方法を少しづつ取り入れ、体調面での改善効果を実感しています。そのうち、栄養療法について書く日が来ると思います。
体質面からの「改善」は可能で、「治っていく」ものだと、実感できます。
ただ、最初に述べさせていただいた、「透明感・純粋さ」「ウラ・オモテの気づきにくさ」を、今は「障害」として認定される時代です。そしてその特性は、「折り合っていく」または「適材適所を探す」ものであり、「治る」ものではないのかもしれない。と思っています。
もちろん、やっている試みの影響や社会的学習によって、独特の透明感がなくなれば、悪い人たちに騙されたり悪意を持つ人たちに利用されたりする不利益がなくなるわけですから、いいなあと思っています。
発達障害は脳中枢神経の発達の問題であり、環境汚染によるニューロンの変異、という説によるのであれば、発達障害者と健常者には連続性があり、連続性の延長線上に「治る」があることを、理論的に否定できないと、私は考えます。この視点から、発達障害は治らない、と断定することは社会的であって科学的でない。と私は思っています。
現に、某県の発達障害者支援センター長は、発達障害を治すことは、〈医師または科学者としての〉良識に反する。とツイートしておられました。
「治る」は「良識に反する」そうです。まさにその先生の「良識」です。「良識」は「その人の思想・哲学」であり「自然科学」ではないと、私は思います。
しかしながら、「透明さ・純粋さ」を「治す」直接的な方法については、私の知る限りどこの誰も、納得のいく方法を出せずにいると、私は思います。
もし「透明さ・純粋さ」を根本的に治す〈認知行動療法などの心理療法を除く。あれは「癖」を学習し対策する方法です。根治ではありません。〉方法をご存じなら、このブログにコメントいただけれと、強く思います。
それでも、身体的なしんどさなどについては「治す」方向性がいくつもあります。
また、適材適所に置かれれば、十分に社会の中で生きていけます。
自分のできることをやりつつ、希望をもって生きていきます。
※引用文献
青木省三 2017 こころの病を診るということ 私の伝えたい成果診療の基本 医学書院 p19
※参考文献
神田橋條治 2018 発想の航跡別巻 発達障害をめぐって 岩崎学術出版社
神田橋條治 白柳直子 2018 神田橋條治の精神科診察室 IAP出版
黒田洋一郎 木村・黒田純子 2014 発達障害の原因と発症メカニズム 河出書房新社
人間の自由への意思とか精神の抵抗力とか、そういうのはたとえ数量的に表現できないからと言って、ないものではありません。
しかしながら、フランクルの言う「還元主義」というのが医療福祉教育界、私の知る限りでは世間に満ちているわけです。
自分なりに自分の人生を振り返るということをしばしばやっていますが、厚生労働省などの行政は非常にいい定義を出しているのに、よの中の専門家も当事者も家族も、非常に絶望的なところでとどまることが基本になっているように観察され、それではこの世を生き抜くことがより困難なものになるように思われます。少なくとも、目の前の当事者の人間としての尊厳を棄損し、生きる意欲を著しく去勢しているようにしか、私には感じることができません。
介護施設にいる障害者たちのように、それを煩雑な手続きをしてサービス契約までして求めている人たちならともかく、すべからくそのようにするのは、医療福祉の経済上の勝利なのかもしれませんが、意味への意思を持つ私のような人間にとっては、人生の福祉に反するものです。
再度、フランクルの文章を引用します。
"医師や精神科医が、実存的欲求不満を強めることに加担しているような症例のことである。人間以下のモデルを患者に示すことにより、精神療法が、いやおうなしに洗脳に、それも還元主義の洗脳になってしまう症例もあるのである。"
“十八人の非行少年を対象とする調査について報告しています。心理学者たちは、十八人の少年全員について予言していました。子供辞退の体験から推測するに、かれらは、いずれにせよ鉄格子のなかで一生を送るだろうというのです。知能テストでも、どの少年も教育や訓練に適していないという結果が出ました。しかし、この十八人の少年のうち、刑務所に入れられたのは一人だけでした。残りの十七人は、ある課題と責任に直面しました。つまり、かれらは、非行仲間をかの宿命論から救い出すという課題に直面したのです。その結果はどうだったでしょうか。調査に加わった十八人のうち、十七人は、立派に成長しました。一人は、はじめは文盲といっていいほどでしたが、のちに博士号を獲得し、現在ではマサチューセッツ州の某大学の教授になっています。また別の一人は、現在ではワシントンにある教育省の課長級の職に就いています。このように、精神の抵抗力によって、自分自身を変えることができるのです。”
“ミュンヘンの心理相談所の所長であるエリザベート・ルーカス博士のところに、二人の娘がいる母親が来院しています。娘の一人は、望まれずに生まれた子供で、生まれるとすぐにおばあさんのところに引き取られました。その後、彼女は実の父親に強姦され、とうとう家を出てしまいました。けれども、その後、この娘は、まったく健全な人間に成長し、正常な性生活を送り、仕事もうまくやっていました。もう一人の娘は、望まれて生まれ、強姦もされませんでしたが、それでもきわめて重い神経症だったのです。その娘のために、その母親は、ルーカス博士のところに相談に来ていたのです。ルーカス博士はこういって話を締めくくっています。「これは、心理学の教科書には載っていない現実である。あとまで残る心的外傷という考えは、根拠薄弱である。現実には、きびしいショックを受けた人でも正常に生きていくことができるし、また、恵まれた環境の中で育った人でも誤った方向に進むことがある。」”
どのような状況であれ、人間には、その人の生きざまを決める自由があるのです。
引用文献
V.E.フランクル/F.クロイツナー 1997 宿命を超えて、自己を超えて 春秋社 183,9,13-14