「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

外道なんだゲスなんだ。本当のニッポン社会は。

2021-08-15 12:23:36 | 日記

特攻隊に、ヒロポン〈覚せい剤〉が使われていた。特攻兵の戦闘糧食チョコレートに覚せい剤を混ぜていた。という記事を今日、敗戦の日、読んだ。ググると、数年前からそういう資料が世に出ていた。

外道だよ。特攻なんて。「永遠の0」に疑念を持つ元飛行兵のインタビュー記事を何度か読んだことがある。彼らの違和感は、神風特攻の美化だ。あんなに美しく死ねるか?というものだ。

そう、だから、特攻兵に薬を盛って、ラリらせて、飛ばしていたんだ。

もともとヒロポンは、戦前は市販されていたと聞く。疲労がポンと取れる。前線で、工場で、バンザイ突撃や過重労働を強いてさせるために、普通に使われていたのだ。

外道が普通だったんだ。

すごいね、ニッポン。

 

今日この日、巷で普通に言われてきた。数年前は国会議員主導で行われてきた生活保護・ホームレス叩きを、下劣な言葉を高速で並べ立てて楽しみつつ一儲けしようと画策した外道卑劣メンタリストDaiGoが集中砲火を浴びた。

大変いいことだと個人的には思っている。あんな外道のアカウントは停止されればいいと思っている。

 

しかしあの外道が面白おかしく述べたことは、巷で普通に語られていることだから、未だにあのたわけを擁護する発信をする別のたわけがいる。

YouTubeで著名鉄道系ユーチューバーが、

「何であれで炎上?〈ごにょごにょょ〉」
「みんなやさしいのね〈ごにょごにょ〉」
 と、ごにょごにょ言いながら、動画の表題に

「働かざる者、食うべからず」

と表示した動画を配信した。

 

さすがにごにょごにょ言っているだけだから通報はしていないが、この鉄道系ユーチューバーは、あの戯けが世間から批判されていることが不思議なようだ。「働かざる者、食うべからず」と表示しただけだが、優勢思想と私は受け取り、こいつの動画は二度と見ないことにした。

 

「働かざる者、食うべからず」という言葉は本来、新約聖書の言葉。使徒パウロが、〈キリスト〉再臨の日はまだか、いつかと動揺する教会の人たちを落ち着かせ、日常の仕事に戻るよう説得するために言った言葉。

この言葉の本来の意味は、教会で説教されないとわからない。だから本来の意味は忘れ去られ、この国では聖書のみ言葉が生活保護やホームレスの人たちの尊厳を毀損するために用いられる。ひどいものだ。怒りを表明する。

神様は「裁くは我なり」と仰せられる。だから私は神様が裁くに任せようと思う。

 

この国であらわになった外道は、日々の報道で知っての通りである。

この国もこの世も、ゲスと外道で満ちている。この世はゲス行為と外道が普通、なんだ。

 

生きるとは、そういうゲス・外道と向き合っていくこと。そういう輩とは関わり合いたくない。付き合わざるを得ないときは粛々と対応するだけだ。

だからこそ、思いやりの行為には、当たり前と思わずに「ありがとう」と言わなきゃ。

※追記 外道には、こういう毅然たる態度を示すリーダーが、誠にありがたい。こういう態度、リーダーの行動を待ち望む。そして私もそうする。

「他人を尊重できないなら出ていけ」 米空軍士官学校の校長 - YouTube

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私は自分によくやったと言ってやる

2021-08-14 21:07:07 | 日記

私は自分を誉めてやろうと思う。

何かを達成したからか? そうではない。

何かすごいこと、普遍的なことをやったか? そうではない。

今は無職だ。病気も癒えてはいない。いろいろ試しているが、どれも完治には至らない。

それでも、私は自分を誉めてやろう。「よくやった」「それでよし」と。

 

いままでの人生を振り返る。その一部はこのブログでも述べている。話が長くなるから半世紀もの私の人生を書き綴ることは、ここではしないが、感銘深い。

 

去年の今頃は、希死念慮が強かった。自殺企図もあった。うつ状態厳しく、蓄積された家庭内矛盾爆発し、その後半年で一家離散ということにもなった。

 

今日は、くだらないメンタリストとやらの発言に翻弄された。ナチス的発言。90年代に読んだ雑誌に東大哲学教養講座の最初は「ナチスは最高のヒューマニズムである」ということを思い出す。

下劣なメンタリストが発しているあの種のたわごとは、巷に満ちている。私も何度も、その権力を持つ個人や組織的背景から、生きていいだの、死ねだの。役に立つだの、立たないだの。消えろだの、いないと困るだの。社会の中でいろいろ言われてきたことが思い出される。

中学の時は、あの頭の良さげなたわけと同じように、疲れ果てた人たちを見下して戯言を思っていたと記憶している。

それから遠く離れていないころに自分が同じ状態になり、自殺未遂したし、専門家から生涯引きこもりだと宣言されたりもした。

引きこもりから脱出し、大学を出て、社会人として紆余曲折を経ながら生きてきて・・・
40代にして精神的忍耐が限界に達し、精神的病を得て、その流れで発達障害の確定診断となった。その後中高の後輩にあたる愛知県の発達障害臨床のトップとして君臨する児童精神科医から「発達障害、特に自閉症スペクトラムの治療目標は、家事をする引きこもり」とはっきり銘記されながらも、これまで努力して社会経験を重ねてきた。

それは決して社会的に成功したとは言えないものだが、仮に今達成しているような資産形成ができていなかったしても、私は自分に「よくやった」と言ってやろうと決めた。

あの下劣なメンタリストは、まさに中二の頭だな。ナチズム優生思想の確信犯だからどうにもならん。ナチス発言のアカウントは停止すべきだ。

努力がどうとか、認めるとか認めないとか、関係ない。人が神の領域に触れてはいけない。下劣な精神で神のごとく振舞う輩の発言は、大変危険だ。

 

人はパンのみに生きるにあらず。神のみ言葉を食べて生きる。

裁くは我なり。の「われ」は神様である。人間ではない。だれかではない。

働かざるもの食うべからず。とは、元々新約聖書の言葉である。落ち着いて日々の仕事に精進せよ。という言葉である。ゲスどもが言うような、生活保護受給者や障害者やホームレスの人たちに、飢えて死ねという言葉ではない。下劣なゲス思想に神の言葉を用いる輩には、神様が幾重にも罰してくださる。

安心して生きていこう。

よくやつている、私。

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職員間での会話から振り返る、放課後等デイサービス勤務

2021-08-07 12:16:31 | 日記

今日は、放課後等デイサービスの職員間で何が語られていたかを振り返りたい。

 

 

まず、社長の言葉。当然ながら、経営に関することが多かったが、障害理解は乏しかった。

その社長は、異業種からの参入者。よくオンラインセミナーに参加していたが、もっぱら他業種展開やサービス費に関する研修ばかりだった。

「障害のことは良く分からない。」「書類見ても、よく分からない」「老人もやりたい。もっと事業拡大したい」的な言葉が多かった。

「私、素人だから」、という社長の発言を当初、私は好意的に見てきた。

しかし、その組織は社長以上のことはできない。よほどわきまえていない限り、劉備玄徳のような人でない限り、ダメなのだ。

「子供に特化した研修がない。集団を統率する研修がない」。これを聞いたとき、この人はダメだと思った。障害理解を深めたり、介護技法を考えたりする職員向けの無料研修は、社協が大々的にやっている。そして幾つかの機関は、子供に特化したセミナーを有料でやっている。そして「集団の統率」というはいわば、その組織の価値観やあり方に関するもの。「暗黙知」に関することだから、研修で得られるものではない。

もちろん「いかにリーダーシップを発揮すべきか」的なことは、いろいろなセミナーが有料で実施されている。

要するに、金を払ってノウハウを取得する気持がない。そして、その組織のカルチャーに関することの研修がないことに嘆いている。

さすがは騒いでいる子供たちに対して面と向かって「動物だな」という言葉を発することのできる社長だと。いまさらながら思った。

 

この組織では、特定の社員を攻撃する風潮があった。入社当初は私の教育係への誹謗中傷が毎日のようにあった。

そしてその教育係はまもなく退職した。彼の行動にも問題があり、小さな組織だったから、その時はやむを得ないと思った。

しかし先輩たちの言動に不審なものがあり、運行記録などをよくよく調べてみると、なんと固定メンバーを除き3か月に一度は職員が交代していたことが判明した。

要するに、社長を含めて固定メンバーが誰かを集中的にいじめることで、組織としてのまとまりを取り事ができていたとも考えられた。

障害者雇用で入社した私が、どうやら暗黙のサインを理解できず、いちいち具体的に説明しないといけない〈選考時、すでに「具体的指示が必要」ということを応募書類で明記していたが〉ことに嫌気がさしたようで、次の社員確保のめどが立ったところで切ってきた。

私は障害ゆえにパワハラ発言に耐えられず再発した。多少薬が効きすぎたとは思っただろうが、放出が既定路線だったから、彼らにとってはそういうものなのだろう。そしてもちろん、今は私を罵りあざけることが、彼らの「話の肴」「組織のカスガイ」になっているのだと思う。

 

社員に対してそうだから、利用者に対してもそうだった。金になるかならないか。思い通りになるかならないか。しかも説得無しに。ということがすべてだった。先輩たちの話からは、そう読み取れた。だから、ややこしい子供は切られていた。子供を切る方策がよく話し合われていた。会社上層部間での会話では。

とはいえ、放課後等デイサービスなんてたくさんあるから、嫌われたところを続ける必要はなく、適切なところを選べばいいのだと思う。

あくまでも無料または低額で軽度の障害を持つ子供を預ける場であり、それ以上の機能はないのではないかと思う。教育能力は非常に乏しく、それを向上させようとする気持ちも乏しいことだったのだと思う。

離婚する前は、妻の子を利用させる立場だった。放課後等デイサービスは、人がころころ変わる。いい人が辞めていく。辞めさせられる。理不尽な理由で利用停止になる。夢があるはずなのに、いろいろ体験をさせてもらえるはずなのに。という思いがあった。

自分が勤務してみていろいろ分かった。放課後等デイサービスに意味がないわけではないが、「自分で安全を計れない人を預かってもらう場」以上の機能が果たせない。ところが多いのではないかと思う。いろいろあるから試してみてもいいと思うが、この実態では行政が削減しようと画策している傾向も、納得できてしまう。

 

 

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ストレスコーピングの効果

2021-08-05 16:24:34 | 日記

 

先月中ごろに、会社人事幹部より「臨機応変に対応できないなら、別の人を雇う」と言われた。障害者雇用で採用されたはず、なのに。

さらに些細なことに、実害なくミスにならないようなことまで「注意」され「臨機応変に対応できない」とされてしまったことで、体調が急変。ドクターストップに至った。

 

先月の再発前も、盛んにストレスコーピング技法をたくさん使い、体調を維持してきた。

 

先月時点で行ってきた〈今も継続している〉ストレスコーピング技法は、以下の通りである。

・朝散歩

・筋トレ

・睡眠

・漢方薬

・神田橋先生のサプリメント

・焼酎風呂

・五本指いい子〈気功〉

・プチ糖質制限

・メガビタミン

・フラワーエッセンス

・タッピング

・スワイショウ

・ヨガ

・腹式呼吸

・マインドフルネス瞑想

 

今日あたり、だいぶ仕事を休んだ時にまで回復している感じはある。

何かと意欲減退気味で悩まされているものの、今日ここまで回復してきているのは、こうしたことをやってきたことの成果。だと思う。

 

特に運動は、様々な本で紹介されている通り、抗うつ剤を飲むのと同じ効果がある。有酸素運動も、筋トれも有効らしい。

質の良い7時間前後の睡眠〈最近オリンピックの影響か、質が良くないが〉については、意識してきたし、これからも追及すると思う。

神田橋先生の助言は、おおむね有効。

分子栄養学系の導入は、私は適当にやっている。最近読んでいる樺沢先生的によると、徹底しないほうがいいらしい。いろいろな意味で徹底できないので、それでいいのだと思う。

フラワーエッセンス以下の技法は、再発予防ショートデイケア〈月二回〉で教わったもの。それなりに効果があるものの、今回の体調急変を防ぐには至らなかった。ただし、ひと月余りで回復してきていることへの寄与度もあると考えている。

これからも、なかなかだが、生きていくしかない。

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