「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

いつも誰かに振り回される が一瞬で変わる方法〈大嶋信頼著〉 感想

2022-02-22 11:57:08 | 書評


この著者は、私にはどうも読みづらい。
とはいえ、気合を入れて読み込む〈飛ばし読み〉と、いろいろ面白いパワーワードが見えてくる。

自分の心に「自己防壁」と唱えて構築し、嫌味な刺激は無視すればいい。
その感覚は他人の感覚であり、私の感覚ではない。
罪悪感を擦り付ける人には「近づかない」の暗示で縁が切れる。
自分の恐れや怒りが相手に伝わり、「思った通り」のことになる。
他人への不満が蓄積したら「相手の気持ちはわからない。自分の気持ちすらわからない。」というフレーズを暗唱すると、すっきりする。
「くだらない」と思えるように、「本音モード」と心で叫ぶことで、意識的な暗示が解けて、自分が本当に求めていることができるようになり、安心できるようになる。
モラハラに、思ったことの「逆」を伝えてみる。相手が恐れていることの逆のメッセージを入れて、意識を打ち消し無意識状態にするテクニック。〈甘える人には「頼もしいねえ」など〉
心のままに生きていけると、変な人が離れていく。
無意識な、力関係のないし世界。

断片的だが、個人的に心に残ったことをまとめた。
面白そうだからやってみようと思う。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お値段相応。福祉の質が低いわけ。

2022-02-21 21:19:52 | 日記

先日、医療福祉法幾職などエッセンシャルワーカーは「全人格者」であることが要件であると書いた。
その点は変わらないが、現実として、「全人格者」の医療福祉人と、公私にわたり私は出会ったことがない。
あの神田橋先生でさえ、「全人格者」ではない。
神田橋先生は、ただの健康オタク爺さんだ。

現実として私は、時に応じて医療福祉保育などのサービスを受けないわけにはいかない。
「全人格者」による完璧な仕事を受けることが当然だと、例の社会福祉法人と同じ見解を私は持つが、残念ながらそのようにならない以上、次善の策を講じるほかない。
現実をみて、選択するしかない。

考えにくいことだが・・・
 福祉や保育にもし、医療並みの利益がもたらされたら、「全人格者」には未だ出会えないかもしれないが、より優秀な人材に出会うことになると思う。
残念ながら、その様にはならない。
せめてヨーロッパ諸国並みに賃金になれば、もう少しまともになるかもしれないが、その様には決してならないだろう。
日本人は低福祉低負担を望んでいるから、決して高福祉高負担の国のように医療福祉が充実することはない。

最近、東南アジア諸国出身の介護者が多く福祉分野に進出している。
優秀で意欲のある若者の進出を、私は歓迎する。
ただ残念なのは、カナダやシンガポールのほうがより高給なので、最優秀の人たちはそちらにながれ、日本に来るのは二線級だと聞き及んでいる。

例の神奈川の法人や私がかつて所属した東京の法人のみならず、主に老舗法人は今でも「全人格者」を求め、さらにはそうさせるべく猛烈な精神教育がなされ、結果として定年まで勤められる人はまれな状態である。
本当に「全人格者」で福祉固めたければ、カナダ以上に賃金払わないと、世界から優秀人材を集められないと感じる。

というより、若かりしころの私は「全人格者」なんてものを求めること自体がナンセンスだと感じてきた。
「全人格者なんてナンセンス」
「福祉の常識は社会の非常識」
かもしれないが、年を重ねると、現実の体制で本当にいいものを求めようといると、「全人格者」でないと無理だな。と思うことが多い。
だから福祉などエッセンシャルワーカーは「全人格者」がデフォルトだと、私は今でも思っている。
とはいえそんな「全人格者」なんて、何千万何万と出会っても存在は確認できず、かえって「われは神なり」なんていう人は、かなりヤバい人かどこかに行っている人だと思うので、やはりナンセンスのだろう。

医療福祉が「全人格者」をもとめるのなら、それ相応の投資が必要なはずだが、そういうことにはなっていない。
介護などの仕事は決してひときわ安いとは思わないが、それでも危険や夜勤がある割には低いのかもしれない。
法令無視、サービス残業、賃金不払いなんてあたりまえのブラックな環境かでフォルトな業界だ。
最近は、パートの人も多く、最低賃金のそれら人たちに、どこまで期待できるのだろうか?
正規雇用は管理職になり、とても忙しくなり、ますます福祉の質が低下していると感じている。
きっと労働組合は「党中央」の指示通りに「賃金上げろ」のポジショントークをしているだけ。なのだろう。「全人格者」同様、正しいことだが、真に受けることはないな。

福祉利用は有効なら活用するが、その安さと不安定さ〈職員に何年勤務しているか聞けばわかる〉ゆえ、多くを期待してはいけないと、やはり思う。
「全人格者」に出会いたいものだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医療介護福祉保育職は「全人格者」でなければならい。

2022-02-20 19:58:04 | 当事者研究
20代の時、当時住んでいた関東地方の福祉施設就職セミナーで訪れた社会福祉法人のブースで、私は質問しました。
「どのような人を求めらせますか」
その法人の方は答えられました。
「全人格者を求めています。」

私は全人格者ではないので、その法人を受験することはありませんでした。

今は、「全人格者」が福祉・介護・保育・看護・医療職の資質だと、私も思います。
私は全人格者ではありません。ふさわしくないものがそういう仕事をしてきたものだから、心を病んだのだと思います。
私の職業選択は、明らかに間違っていました。

医療系の労働組合が、看護師はいつの時代も不足しているから、賃上げを。といつていましたが、それは違うと思います。
その労働組合の方がもし現場の方であれば、労組の主張と現場の事実は違うことをよくご存じだと思います。
給料が安い。と言う理由で出て行っている人を、私はほとんど知りません。
福祉の仕事は、実はそれなりに稼げる仕事でもあります。
自分がふさわしくないと思うから出ていくか、あるいは排除されるのです。

医療系労働組合が看護師不足の原因が賃金の安さだと主張する。
確かにその一因のひとつとして、それがあるかもしれません。
私はそれ以外に
・労基法が守られないこと。
・「全人格者」でない。エッセンシャルワーカーとしての人間的資質に欠ける人が余りに多いこと。

労働組合の働きで賃金が上昇し、法律が守られる環境になれば、確かに質のいい「全人格者」というレベルの人が入ってくるかもしれないのですが、それだけでは到底足らないと思います。
途上国から「全人格者」を集める。それしかないと思います。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私は自分の主治医になる、自分のソーシャルワーカーになる

2022-02-18 08:15:19 | 当事者研究
当事者研究とは何か
「自分自身を研究すること」
とかなんとか、向谷地先生は「技法以前」という本に書いていたと記憶している。
 
日本の医療は、人の患者が、専門科をチョイスして受診する必要がある。だから、大きな病院にいきなり行く人がいる。
「家庭医」というのがないわけではないが、なかなか得難い存在だと思う。
これは、日本がヨーロッパ諸国のように担当家庭医を行政から振り分けられるのではなく、自分で選ぶ制度だから、でもあると思う。

日本の福祉は、じつは専門がたくさんあって、そして横のつながりは、ないことが多い。
福祉教育で教えられる福祉は、横のつながりや情報は持つていなければいけないのだが、そういうのは現実には乏しい。
立場が弱ければ弱いほど、福祉は囲い込んでくる傾向にある。いろいろ世話の必要な人から得られる経済的利益と社会的ニーズが非常にマッチするからだ。
だから、賢く福祉を利用するには、自分でチョイスする必要がある。

選択にはセカンドオピニオンが必要だと思う。これは医療も福祉も同じ。
私の場合、
医療のセカンドオピニオン医は、神田橋先生などだと思う。
福祉のそれは、長年契約している某中核都市のナカポツ相談員か、あるいは市民活動をやっている福祉職の人たち。
になると思う。
医療も福祉も本質は金儲け。行けば自分にベストなことをしてくれるとは限らない。
だからしっかり確認して、検証する必要がある。
検証には、第三者の目が必要だと思う。
だから、セカンドオピニオンは非常に大事だ

自分で情報を集めながら、自分で選択して、自分で責任を取って、やることだと思っている。
私は私の主治医になる。
綿は私のソーシャルワーカーになる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソーシャルワーカー、欲しいけど、居ないな

2022-02-17 22:09:30 | 当事者研究
ソーシャルワーカーを名乗る人は、この国に多い。
私もかつて、そう名乗っていた。
しかし、「ソーシャルワーカー倫理綱領」通りの、福祉教育どおりの実践をしている人と、私は仕事をしたことがないし、障害当時者としてそのような方から支援を受けたことは、一度たりともない。
それを標榜する人とは、何人か出会ってきた。
基本的に、私が評価している支援者は、本人主体を「標榜する人」である。
しかしその通りの実践の人なんて、この世に居るのだろうか?

何度か書いているが、我が国の福祉は市場経済。
我が国の民主主義は、「形式的民主主義」。
イギリスのように国有化されているわけではない。日本では民主主義が浸透しているわけではない。
アメリカのように州政府などから手厚い支援があるわけでもない。アメリカのような成熟した市民社会があるわけでもない。

我が国の医療福祉は、金もうけしなければならない。
そしてわが国の障害者は、被差別民だ。憐れみと施しの対象だ。

これまで、組織に忠実な「ソーシャルワーカー」とは何人も出会ってきた。
彼らは組織利益に忠実な組織人であり、組織第一、空気第一の人たちである。
当事者本人の意思?そういうのは「あたかもそうしたかのごとく」形式的には本人意思を聞くが、あくまでも組織の敷いたレールに乗せるだけ。
組織〈たいていの場合は組織トップの意思〉に忠実ならしめるために、当事者を言いくるめ、脅し、だまし、取り引きし、恐怖と賞賛でコントロールし、組織方針に従わせることが
「わが国におけるソーシャルワーカーの真の倫理」である。
これはもう、わが国の国情を考え見れば、当然の帰結である。

私も、障害当事者として、総合的なことで相談できるソーシャルワーカーが欲しいと思うことがある。
しかし、そういうのは、福祉の教科書にあるだけで、現実には存在しない。

福祉支援者たちは、まず第一に、組織のために働いている。
私への支援が組織のため、組織の求める行為でなければならいのである。
私への支援が組織の利益にならなければ、それは行われない。
これは、福祉の支援を受けるとき、相手に有効に動いてもらうために、常に考えていることだ。
「自分の利益と、支援組織の利益や理念の方向性は、調整可能か」
ということだ。

教科書通りの支援は、この世にないと思う。
必要な支援を、かいつまんで得ていくしかない。
自分の支援の司令塔は、私がやるしかないのだ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンパス特例子会社ストの記事を読んで、労働福祉の貧相な姿を見た

2022-02-16 22:58:25 | 障害者の就労支援機関、施設、制度

古い話だが2月初旬にFBから、2021年のオリンパス特例子会社におけるストライキに関する情報が出てきた。
流れてきた記事は、全労連のものだ。

いろいろ書かれていているが、結局のところ会社からの譲歩はなかったけど、組合員が団結できた。ということだった。

まず前提条件として、私は労組肯定派である。
共産党系とされる全労連も、反共の闘志が頭となった連合も、労働団体としてがんばってもらいたいと思っている。
また私自身も、労働者として運動に参画したいと思っているし、これまでも連合系労組による強制的な参加義務をふくめ、労働運動に参画してきた。

そんな私でも、読んでいて奇異に思われることがいくつかあった。

まず、これはベタな情報なのだが、ストを起こした外部団体は東京都労働委員会から労働団体法上の労働組合とは認定されなかった。という情報がもたらされた。
組合費を聴収せず、組合員で運営されているか不明。とかなんとか。何だ、この組合は。と思った。

共産党の議員が何人も絡んでいるとかなんとか。運営に参加せんでいい?
なんじゃそりゃ。と思った。
共産党がいけないとは思っていないが、会社外の人間が当事者を差し置いて騒いでもしょうがないと、私は思う。

それから、記事で組合員の大変な貧困ぶりがかかれているが、私は生活保護を受けている人を含め、あのように書かれるほど困窮した障害者に、今まで出会ったことがない。
障害者はだいたい貧しいことは認める。
しかし生活保護などを受けやすい立場にあり、その多くが何らかの支援者と繋がっている。
貧しいかもしれないが、困窮する前に誰かが手当てをするか、声を挙げれば比較的救済されやすいのが障害者である。
また、障害者雇用。特に大企業の、しかも特例子会社。ということであれば、「親との同居ありき」「障害年金受給が前提」の賃金設定だ。
それに留まれ。とは言わないし、ちゃんと暮らせて結婚もできて子供も設けられる経済力がベストだ。
障害者雇用もいろいろで、中にはかなり稼いでいる人もいるが、その多くが最賃法レベルの仕事。それをあらかじめ知ったうえで障害者雇用されるのだ。
仕事内容も生産性の乏しいものが多い。配慮を得るためになかなか高給の見込める業務に携われないのだ。
分かったうえで、理解した上で就職しているはずだ。

記事の給料は、生活保護よりは上の給料。
贅沢ができるとは言わないが、いろいろ工夫すれば書かれているような困窮には陥らないはずだ。
これは全労連のプロパガンダなのではないか?

多少の誇張はあるとはいえ、おおむね全労連の主張は的を得ている。
確かにあの給料では家族を経営できない。
飲みに行けない。遊びに行けない。
家のローンなんて払えない。それどころか奨学金の返済にも苦労する。
そこは事実だから、最賃法の引き上げなどの政策を期待したい。

本人努力があっても、転職したら。という声もあると思うが、それに関しては他に譲る。

私は、支援側の構造的問題と、総合的ソーシャルワークのなさを強く感じた。
つまり、
  • 労働組合は、労組の拡大にしか関心がない。ということ。
  • 当事者たちが受けたであろう就労支援は、就職と職場定着にしか関心がない。就職さえさせればいいという団体さえある。その後の生活に就労支援福祉は関心がない。
  • 公営住宅をあてがうことができれば、経済状況はかなり改善すると思うが、住宅福祉はもっぱらホームレス方面福祉の人たちの専売特許となっている。というと。

障害者のひとり立ちには、公営住宅あっせんをふくめ、福祉資源を最大限活用することが大事だと、私は思う。

こういう時に「ソーシャルワーカー」という存在が本当に存在するので張れば、大変役に立つと思うが、このストライキでは社会福祉系の人たちの影が全く見えない。
日本のソーシャルワーカーは実質、「営業部隊」。
ソーシャルワーカーと呼ばれる人たちの9割が公務員であるイギリスなどとは異なり、日本は一般企業〈社会福祉法人や医療法人を含む〉がほとんど。市場経済化された日本の福祉では、自分の団体の経済的社会的利益にならない行動を、「ソーシャルワーカー」がとることはない。

そこを踏まえて、行動するしかないと思う。
綜合的な支援をしてくれる組織があればいいのだが、現代日本ではそれは望めない。
例えば、より身近な医療では、素人である私たちが専門の先生を選択しなければならない。
欧米では「家庭医」がまず診てくれて、いろいろな専門医に振ってくれるそうだが、私たちは専門知識ないまま自己責任でやるしかない。それは医療だけでなく福祉もそうなのだ。

オリンパス特例子会社のストは、この国の支援体制が縦割りで幅の広い支援がなく、自分が自分の司令塔になるしかない。ということを示したと私は感じた。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うつ病、腰痛になるほど、一生懸命頑張ってきたと思う。人生に納得する。

2022-02-15 15:12:05 | 当事者研究
自分。よく頑張ってきたと誉めてやろうと思う。
病気になるほど、頑張った。
営業成績のような明白な指標はないけど、強度行動障害を持つ人たちの人生を支えてきたのだ。
自動車産業などに従事し、世の場車として多くの仕事をしてきたのだ。
いろいろ身に着けてきたのだ。

若いころは、通院の必要なく、服薬なく、おかげで4か月おきぐらいに成分献血して銀杯までもらえるほど、健康だった。
十年前は自分の経験と、いわゆる福祉利用者たちを同一視し〈今も一部そうか〉、「あんたの経験を誰かのために使ってやれよ」という外野の声も、よく心の中を通っていた。

福祉職を経験して、さらに福祉利用者を経験してはっきりわかったが、私のように努力して社会適応しようという意欲的な人は、自分でいろいろ情報を集めてやってしまうということ。なにせ今はネット社会。知りたい情報の大半はネット上にあるからだ。

社会適応のための磁力が、重い障害などの影響で努力する意欲や能力がなく、だれかをぶん殴ってスカッとしたいとか、あるいは支援者がやってくれるから何もしなくていいとか、そういう人たちが一定数いる。
 福祉支援者はむしろ、そういう人たちに関わることが仕事だから、自傷他害への対応が必須だし、そういう人たちから得られる障害福祉サービスによる経済的利益は大きいから、障害福祉サービスの範疇で自分の経験を活かせることは、ないように感じている。

最近、公共施設のトイレ内で、かつて深くかかわった強度行動障害の人、らしき方がヘルパーを伴って移動している光景に出くわした。
その方は、今まで大勢の強度行動障害の人たちと出会ってきた中でもひときわ狂暴なお方。
本来なら警察沙汰になり措置入院となっても何ら不思議でない暴行傷害、窃盗などの犯罪行為を繰り返す方だったが、親御さんがお金持ちで、すべて金で解決してきた。
おそらくその方が出歩く範囲の小売店はつぶれないと思う。帳尻の合わないものはすべてその方が勝手に抜き取ったものとして請求すればいいから。そうやって、本来なら万引きとして扱われるべきことを「重い障害者だから」で済まされてきたお方。

その日は諸条件重なって、おとなしい様子。
その方の楽しみを考慮する傾向にあった元古巣に行くときは、朝からスーパーハイテンションで、さらに障害者ではなく高齢者中心のヘルパーがつこうものなら、遊びが犯罪レベルにヒートアップし、度重なる公共施設の器物損壊〈リフォームが必要なレベルもあったと聞く〉や、ヘルパーに対する暴行傷害の報告を受けていた。
その方の先天性器質的障害による独特の動きを把握してきたから、その方だと確認できた。

私は声を掛けなかった。これからも一貫して遠巻きにする。古巣の中では私はもっぱら警備役を買っていた。その方にとってはテンションの上がる楽しみな人間だと思う。
今やその地域の福祉とは何ら関係なく、仕事前の貴重な時間を振り回されてはかなわないからだ。

その方がおとなしいのは、古巣ではない別の、その方とその家族が渋々利用している施設利用日で、障害福祉に長けている事情所のヘルパー〈独特の雰囲気でそこの所属だとわかる〉だったからだと思う。

その方が喜んでいくところでは〈甘い対応の事業所をなめていると思うが〉うれしさと興奮を、窃盗や暴行傷害で表現。〈後で親御さんが言い値を払ってすべて解決〉
その方が渋々行くところでは観念しておとなしい。
なんだかな、と思った。

その方の凶暴さはおそらくその方の立ち回り先ではよく知られていること。大事な商売道具を破壊されては、たとえ弁償されても、警察からなだめられても〈地域警察もよく知っている人物だと思う。そして逮捕したとても検挙できないことも理解しておられると思う〉、忘れることはできないだろう。そういえば、今の勤務先は、その方の歩行圏内。

コロナ禍でマスク姿なことと、その方が重度の知的障害を伴うこと。
その方はこれまで非常に大勢の支援者がかかわっていること。
支援者がコロコロ変わることも幸いだと思う。
私としてはその方に、かつて何年もかかわった人だと認識していただきたくないから。

その方の問題は、育ちの問題と言うことではないかもしれない。
その方と同じ診断名を持つ人の半分以上は在宅だという統計を見たことがある。
その障害に由来する狂暴さゆえ、施設が受けてくれないのだ。
そんなことも勉強したな。と思い出した。

日本の厚生労働省による分類では、その方の障害は発達障害に属さないが、発達障害に含める分類法もある。
私には、その方の困難が自分の経験からわかることではない。また、家族状況もかなり異なり、全部金で解決できるだけの力もない。
過去の取り組みについても調べたが、良好なものは皆無だった。
その障害であっても良好な人は障害ゆえの人懐っこさでなんとかなっているが、良い条件が重ならないと社会適応困難。
その方の家庭も金持とはいえ、かなりの金銭と労力をはたいてその方の家庭生活を維持していることを思い出した。

福祉の仕事をしてきてうつ病になってしまい、いろいろな物事に心が動かなくなってしまった。それから、今までの仕事を通して肩や腰も壊してきた。
もう、こういうすごい事例と対峙できるだけの精神力も身体能力もないことを、いまさらながら気づいた。
今の私はかつての私とは条件が異なる。
今の私は今の私ができることをする。

福祉組織的には当事者の経験や家族としての経験など害悪でしかないと、福祉現場では聞いている。
「ピアワーカー」なる存在とは、研修会でしか出会わない。
障害をオーブンにして福祉職をしている人たちとは大勢であってきたが、私もそうだったが、ただのワーカーである。
ピア的なことを意識してきたが、無駄なこと。有害なことだったと思っている。
福祉組織的には、当事者経験?家族としての経験?知ったこっちゃない。

おとなしくいてくれて、次のステップに進むなどもせず、そのまま組織のサービスの囲いにいてくれて、永遠に金を生むめんどりでいてくれることが最もいいのだ。

「その方」は、古巣では実は大変嫌がられたが、福祉当局との付き合い上、断れない感じだった。
古巣は準大手の社会福祉法人。リスクを取らくなても今までのお客さんだけで経営は十分に回るが、福祉当局からお願いされると、社会福祉法人ゆえに当局の指示には逆らえないようだ。
その方が好きでない渋々利用している施設は、金もうけを前面に出している株式会社だから、毎日利用してくれと言わんばかりだった。
おとなしくしてくれれば職員を一人貼り付けてもペイする。その方には、マンツーマン対応しても利益率3割程度の利潤が出るレベルの福祉サービス費を請求できるかただ。
ただ、親御さん的には労働を強いる傾向にある、その株式会社はあまり好きではないようで、こんなに重い障害者に仕事させるのかと、愚痴っておられたことを記憶している。
まあでも、古巣はフェイドアウトしていく〈すでにフェイドアウトした?〉し、本人が暴行傷害できなくなるほどテンション上がらない、その株式会社に行くことで、はた目から見れば「社会適応が増した」ということになる。

古巣は内心嫌がっていてもトップまで出てきてその方を楽しませてハイテンションになるようなことをしていた。それではだめだろうと思っていたが、トップからしてこんな姿勢ではだめだとあきらめていたことを思い出した。

それで、久しぶりに会ったその方は、薬と行動療法で感情を抑えられていた感じだった。
そうじゃないと、困るしな。おとなしいほうがいいや。

私は、社会の中で生きていきたいのなら、社会ルールを守ることに必要な支援は必要だと思う。
その方への支援として、株式会社さんたちのやっていることは社会的にも事業者利益的にもよく、結果的に居場所が得られるから本人たちの利益にもなると思う。
たとえ本人心情に沿わないとしても、犯罪行為は容認してはならないと、私は心から思う。
※その方について大変ぼかした書き方にしてあります。個人を特定させないための措置です。ご了承いただきたくお願いします。

長くなったけど、その方を久しぶりに見て、私の足跡を振り返りました。

若いころ、一生引きこもりといわれてきても、
県の発達障害者支援センターの偉い児童精神科医に「家事をする引きこもり」が治療目標とされても、

そんな連中の言うこと聞かないで、
大学出て、社会人として働いて、稼いで財産形成してきて、いろいろ勉強して経験してきたから、
今の自分があるのだと実感します。

度重なる適応障害でうつ病と診断され、障害年金ありきの人生になりましたが、無理を避ける人生に転換できたのも、知識経験と財産の蓄積があるからです。
しっかり生きてきたから、自分の人生に納得できます。

しっかり働き、学んできたから、主治医や支援者たちの勧告を受け入れて、大企業の障害者雇用という、セミリタイア的な生活ができるのです。
自分の経験は、福祉職として役に立たなかったかもしれないけれど、こうして皆さんに読んでいただいて、参考事例として何かの参考にしていただければ、まことに幸いなことです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精神・発達障害者たちの話も、非正規の人たちの話も、ごく普通だな

2022-02-13 10:40:56 | 当事者研究
「ベーリーオーディナリピープル」という題目のDVDが何枚か、浦川べてるの家関連で出ています。
べてるの家の日常をプロのカメラマンがそのまま撮影しナレーションを付けた作品。
作者たちが言いたいのは、ごく普通の人たち。ですよ。ということ。
英語表記すると”The Very Ordinally People”。「大変普通な人々」。
日常生活が延々と流され、映像に付されたナレーションの中で、精神科病棟入院歴や精神科にかかる前元気だった時の仕事のこと、今の仕事や活動のこと、なども触れられている作品です。

普段、SNSなどで精神発達障害者たちと意見交換していると、思わぬ展開になることが多いように見えます。良い展開もあれば、醜い展開になることもあります。
こういう醜いことが起きると「ベーリーストレンジピープル」だと思ってしまいますが、冷静に考えてみれば、「健常者」の人々でも、何か普通の言葉回しで突飛な反応が返ってくることもあります。

精神・発達障害を自覚する人たちの言動が、時におかしな・ストレンジな(Strange:奇異な)感じになったところで、冷静に考えれば、それは「健常者」にもありうること。
病的な行動もあるので、おかしく見えるかもしれないけれど、人間、人生重ねると、経年劣化していろいろ不具合が出てくるから、いろいろあるのが「普通」かな。とも。

障害者雇用されている現場で、なぜか非正規かつ新人の立場の若者から指導受けるよう指示され、彼らが「ここにはまともな人がいないからな」と言っていたことに触発され、この文章を書きました。
会社現場トップの話によると、私のことは皆さん障害者雇用であると知っているのです。

指導する方は派遣の人と、本業が別にある人。
本来、指導的立場にない人が障害者雇用というデリケートな立場である私への指導を命じられ、投げやりになって指導されたことに端を発します。

べつに「まともでない」と思う必要はないと思うけどな。
非正規と言う立場や障害者と言う立場が。

自分も、彼らを「指導」する立場にないから、仕事と関係ない話は耳を貸さない。
今の自分は特殊なことをさせられている立場。仕事のことだけ淡々とやればいいと思う。

教え方もずいぶん適当だった。
適当でいいんだよな。指導的立場の人が出てこない「指導」だから。要するに。

本来指導的立場の人が現場指揮しないと、下々は適当な仕事をするようになる。
本来は指導的立場の人がついて行うべきことを非正規にやらせるから、適当なことが起きる。オーデナルな事象だな。
とはいえそれも、そもそも非正規ばかり積極採用する会社の姿勢にあるのだから、割り切ろうと思う。
会社としても販売済み高額商品の発送いう作業は、正社員に指導させる必要もないと考える適当な作業なんだな。と。
電気屋の裏側の姿を見た一日だった。
正規雇用から外れた人たちによるストレンジに聞こえた話も、考えてみれば、オーディナルな話だな。
事故にならなくてよかった。いろいろな意味で。誰に対しても。
これからも事故だけはしっかり注意しようと思う。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝散歩、毎日することはない。「いい加減」が大事だな。

2022-02-10 06:41:47 | 当事者研究
朝散歩、をやりはじめてから久しい。
樺沢しおん氏の動画を見て、やるようになった。
とはいえ仕事していれば、朝早く起きて職場に行っているはずだから、仕事していれば自然にしていること。
病気療養中の、良い習慣。ということ。かも。

ところで、朝起きて毎日快晴。ということはない。
雨の日や雪の日もある。嵐の日もある。

そういう荒天時は、朝散歩なんて、やる必要はない。
朝散歩は、自分の気持ちを楽にするために、やること。だと私は思うよ。

私もそうだった。いいと聞いて、嵐の日も早朝の暗い日も散歩していた時期もあったが、そういう散歩は余り効果がなかった。

提唱者の樺沢氏が、いい加減でいいと、動画で何度も話していた。
いちいち検索してurlは貼らないけど、気になつた人は樺沢氏の朝散歩に関する動画を全部、気持がなっとくするまで見てみたらいいと思う。

というか、樺沢動画は「いい加減」だと思う。
私は世の中「いい加減」だと思う。
「いい加減」ができることが、最良の精神治療。かもしれないな。と思う。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田橋治療、などの効果

2022-02-08 10:37:53 | 神田橋治療の活用

神田橋先生のやりかたを実践して5年ほど経つ。
先生に診ていただくために鹿児島に行ったときは、福祉の仕事に入ってはパワハラなどでつぶされる。適応障害と診断されドクターストップされ退職になる。を繰り返していた。

神田橋先生のアドバイスは、大変有効だと思う。
だから、継続しています。

 基本となるのは「コツ本」と、「発達障害をめぐって、発想の航跡」に書かれていることだと思う。

 そして私は、「神田橋條治の精神科診察室」で書かれていたような、発達障害〈これからは「神経発達症」〉的な状況で「まあ、いいか」ということになってきている。
自分なりに一生懸命向き合って、一生懸命取り組んできて、精神科にかかり神田橋先生が勧めてくれた漢方薬飲みながらなんとか平穏に生きているから、そう思えるのだと思う。

 
なかなか神田橋先生のような先生には出会えない。
そろそろ引退されると思うけど、ホントに出会えてよかった。新設していただけて良かった先生です。
たった2回で、結構な効果ですよ。

私が現在行っている神田橋治療の実践は
・漢方薬
・焼酎風呂
・指気功「五本指いいこ」
・各種、金のかからない、すぐに辞められる代替療法
〈直接神田橋先生から勧められたのではなく、いろいろやってみなさい。開発しなさい。と言われた。ヨガ、深呼吸、瞑想、俯瞰するための認知行動療法〉
・ネイチャーメイドのサプリ〈ビタミン&ミネラルとB6)
・春ウコン
 

かつては行っていたが、今は神田橋先生からいらない、などと言われたためにしていなこととして
・麻の実ナッツ
・進化の体操
・8の字気功

がある。

その他、いまはやっていない代替療法の記録が、このブログにはたくさん書かれている。
よく頑張ったものだと思う。
 
おかげさまで、だいぶ元気になってきたと思います。
環境も大きいです。まずは仕事〈福祉以外の〉につけて、経済的により良くして、こうしてブログを書くなどして、自分の脳を活性化しています。

「脳を活性化する」ことを神田橋先生は強調しておられました。
そこを大事にして、これからも生きていきます。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

役所がややこしいことへの対策

2022-02-04 08:49:32 | バカの壁

役所の窓口に行き、何かを申請しようとしたり、相談しようとしても、らちが明かないことが多い。
その中でも有名なのが、「水際作戦」。
「水際作戦」は、生活保護だけでない。
福祉サービス受給でも、障害年金申請でも、「水際作戦」はある。
これが、あることをすると、1分でサービスにたどり着くテクニックがある。
これを徹底すると、生活がスムーズにいく。

役所「水際作戦」対策テクニック
  • 法律・条例を読み込み、印刷して窓口に持ち込み、申請する。
法律・条例「●●法第何条第何項に基づき申請します」と言うと、役所は法律に基づかないわけにいはかない。
言っても動かなければ、ファックス送信して申請する、というテクニックもある。
  • 支援者同伴で窓口に行く。または支援者に事前電話するよう依頼する。
不思議な現象だが、当事者が直接窓口に行くと、堂々巡りをされたり、たらい回しをされたりすることが多い。不法にも申請を受け付けてくれないこともある。
それを一気に解消する方法がある。支援者を頼ることだ。
支援者とは、NPOなど福祉事業所職員、市議会議員、政党関係者、弁護士などだ。
一人では窓口で半日を要した作業が、支援者からの1分だけの電話で、窓口での作業が10秒で済んだことが、何度もある。
はっきり言う。役所窓口は障害者を信用しない。
彼がどのような経験を積んでいようが、資格を持とうが、関係ない。
一人では何もできないとみなされる。発言は妄言と解一的にみなされる。
役人への説得は無駄だと思う。さっさと支援者に電話一本かけてもらう。
そうすると、的口でのやり取りが10秒で済み、すんなり通る。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「浦川べてる」の佐々木実さんから学ぶ

2022-02-01 21:39:59 | 当事者研究
個人的に20年来着目し、10年ほど前には一週間訪問した、浦川べてるの家。
かの法人で「社長」とよばれ尊敬を受けてきた、べてるの家創設メンバーの一人、佐々木実さんが天に召されたのは昨年秋のこと。
きのう、浦川から情報誌「べてるもんど」が届き、佐々木実さんの特集が組まれていて、読みふけった。

「和解の使者」というタイトル記事を、向谷地生良・北海道医療大教授・言浦川べてるの家理事長が寄港されていた。
「べてるもんど」誌のさまざまな記事から、佐々木実さんの誠実な人柄がにじみ出ている。
いろいろな記事からは、浦川べてるが、やはりキリスト教精神の共同体であったことが、よく分かるようになっている。特に佐々木実さんは熱心な信者でもあったようで、上手くいかないことも多い中、信じ切っていたことが、佐々木さんの文章の引用から、書かれていました。
べてるの家創業時の苦労や、べてるの家の代名詞である向谷地氏・川村医師が左遷されていた80年台の苦労話と、干されていた専門家たちを支えていたのが佐々木さん、
などの、様々な困難がうかがえる記事を、読むことができました。

佐々木実さんのことをネットで調べると、いくつか面白い記事に出会ったので、ここで紹介したい。




すぐれた実践だと思い、一時は大いに期待したが、いや、浦川の地でも専門家たちが「患者との接見禁止」「左遷人事」などの命令が下り、普通であればそれで辞めて終わり。ということだったようです
それでも続いたのは、浦川の精神保健専門家たちが精神障害当事者の自主活動や自立活動を維持するために団結しただけではなく、
佐々木さんや早坂さんのような、浦川べてるの家を構成した精神障害当事者たちの力強い支持と地域に貢献したいという強い郷土愛、
諸般の事情から浦川べてるの家に場所と人材を提供し続ける事になった日本基督教団浦川教会による、陰に陽の加勢があり、
いまの状況があるのでしょう。

べてるの家の活動の中で、内には様々ないさかいがあったり、メンバー通院し職員が勤務していた浦川赤十字美容院から冷や飯を食わされていたりで苛立っているとき、皆の話を聞き、自ら動き、状況を救ったのは佐々木実さんだった。とのことで「和解の使者」という表題が自然につけらたのでしょう。

佐々木さんのリーダーシップについては、須磨こころの医院さんが「サーバントリーダーシップ」いう言葉で表現しておられて、とても印象深い。私も浦川べてるの家を見学した際、挨拶以上のやり取りを佐々木社長とはしなかったものの、見聞して感じた印象は同じでした。
〈以下、引用〉
“表舞台によく出てくるメンバーが多い中、佐々木さんはあまり表に出ず、慎ましい印象にありました。一方で佐々木さんは長年「社長」として「べてる」のリーダーを務めてきました。佐々木さんのリーダー像について、向谷地宣明さん3)は「サーバントリーダーシップ」という言葉を用いています。「サーバント」とは「奉仕する人」の意。管理(コントロール)型のリーダーシップとは異なり、「サーバントリーダーシップ」では、リーダーでありながら率先して人に奉仕して、互いに奉仕しあうことを奨励する構えをとります。佐々木さんはいつも穏やかなまなざしで静かな声で語り、人をコントロールすることは全くなく、一貫して見えないところで静的な支援に徹していたそうです。”1)

なかなか世の中ではみられないリーダーシップ。
 それでも真実であり、大事なことだとも思い、記事にしました。

最後に、「べてるもんど」誌より、佐々木実さんの声をそのまま引用します。
“失敗した人に、よくやったねとか、いい苦労しているねとか言う方が、新しい方向に向かうという手応えはあつた。だから笑うことを大事にしてきたと思ってる。もう笑うしかない人たちばっかりだったもんね。当時ね。”2)

失敗した人を見ると、当の本人たちの苦労を顧みず非難ばかりしがち、支配的に関わってしまいがちな世の中。
それが普通なのだが、その中にあって、この価値観は大切なことだと思います

※引用文献
1)那須こころの医院 2021 192.「べてる」の佐々木さんのこと
2)浦川べてるの家 2021 佐々木さんを囲む座談会inうらかわ べてるもんどvol.20 MCメディアン p25

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする