「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

死にたい。とおもっているあなたへ

2020-05-31 15:30:28 | 当事者研究

自らの死を決行されようというあなたへ

 

木村花さんが「指殺人」て亡くなられたことに世界中が衝撃を受けています。

そしてあなたも、もしかしたら生きることをやめたいと思っておられるのかもしれません。あるいは、準備されているのかもしれません。

ちなみに私は、十代後半に登校拒否となりそのまま高校中退。自殺企図はしたし、実際それで救急搬送された記憶があります。引きこもりが収まって大学進学を果たしても、希死念慮は生まれてから約半世紀たった今日の今までずつと、断続的に続いています。

生きることはつらいことだと、お釈迦様もイエス様も言っておられます。そういうものでしょうね。

 

もし、死にたいあなたが木村花さんのように本懐を遂げられたとして。もしかしたら彼女ほどではないかもしれないけれど、周りの人たちに与える影響は絶大。かもしれないし、大河内清輝さんの時のように、いじめた側は少年院に入れられても全く無反省。かもしれません。

 

あるいは、私は単に本懐を達成するだけの胆力がなかった。だけなのかもしれません。なにせこの国は、栄養が老衰で自力で撮れなくなろうが身体硬直で体ががちがちになろうが、無理やりにでも生かす国。死のうと思ってもそう簡単に死なせてくれる国ではありません。

中央線の飛び込みなどは、飛び込んだ人には哀悼されず、ただ単に電車を止められた恨みしか周りの人からは言われませんし、残された遺族に莫大な損害賠償請求が来ます。

 

哀悼されようがされまいが、あなたをゴミのように扱う人の声に、どうして従う必要があるのでしょうか。お考えいただきたいのです。

自殺の9割にうつ病などの精神疾患が絡んでいると、私は学んでいます。ちなみに私の希死念慮はうつ病の症状だと主治医は言いますし私も同意しています。

死にたくなった時。その瞬間はもう理性的になれないですから、とりあえず寝ることに私はしています。必要であれば頓服〈向精神薬と漢方薬を私は使っています〉を飲むこともあります。起きたときにはあれほど死にたいと思っていた思いは薄らいでいます。

これは私の選択ですが、死にたい人はいちど精神科に診てもらうのも、ひとつの選択肢かもしれなと思います。

ただ残念ですが、精神科に行くという選択肢はギャンブルです。非常に残念なのですが、街の精神科・心療内科の先生方のやり方には、多くの批判があり、悲惨な事実に基づく多くの著作物が出ています。先生方のやり方もかなりの開きがあります。精神科の薬害や三次障害で苦しんでおられる方にも私は何人かであっています。

けれども、世の中にはいろいろな人や組織があります。その方に合ったことをしてくださる専門家や組織と繋がることができれば、非常に生きやすくなるなあと、私は感じています。

 

生きていることもとってもつらいかもしれない。厳しい理不尽な現実がこの世にはある。げれども木村花さんの死が今、全体主義の達成を目指す人たちから政治的に利用されいます。中国共産党の盟友である自由民主党にとって、中国のような監視社会を実現したいという願望をかなえるには、木村花さんの事件は絶好のチャンスとなりました。

あなたの死は、思わぬところで不本意に利用されるかもしれないですね。

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あるいは、あなたの精神病は「仮病」扱いされているのかもしれない。数か月前の私は、現に仕事のことで苦しんでドクターストップが書面で出ているのに、自分を守ることだけではなく仕事で重大なミスをすることを防ぐためにもドクターストップに従って休んでいるのに、「あんたはさっきまで笑ってたから病気じゃない。」「医者が休めといったからといつて休むのは悪だ」と当時の上司に断言されました〈なお、それについて労働局から会社に行政指導があったことは、このブログで少し明らかにしたとおりです。民事的にもすでに解決したことです〉。あるいは昨日も、某福祉企業公式サイトで、医者からうつ病診断書を持ってきて、民法手続きに従って退職しますと言ってきた従業員をこき下ろす、福祉企業経営者の攻撃的書き込みを読んだばかりです。

だからといつて、自らの死をもって己が深く傷ついていたことを証明したところで、それら残虐な人たちが、何か思うのでしょうか。あるいは何か思ってくれたところで、少しばかり同情して、世間体のために少し泣いてみせてくれたところで、それでいったい何なのでしょうか。
少なくとも残虐な人たちに、あなたの命をくれてやる必要は、ないですね。

 

その「死にたい」は浦川弁でいう「誤作動」かもしれない。病気が、そのように思わせているのかもしれない。

生きるか死ぬかなどという重大な決断は、病気で弱っている時に、するものではない。

 

 

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