「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

お手玉 私のためしたコーピングたち〈その3〉

2020-09-28 08:53:38 | コーピング

お手玉、意外と効果あるかもな。〈費用: お手玉代千円弱? 効果〈私の実感で〉:〇〉

 

いろいろストレスのコーピング手段とか、なんたらセラピーとか、本屋で出ていますね。

だいたいはアメリカ由来。まったく違う社会で生まれ成長したやり方を翻訳して、日本で大々的にビジネスやっている光景、しばしば目にします。

そんな中で、本邦由来で、うつ病や認知症などに効果があると医学会でも論文が出ているものの一つに「お手玉」があります。

「お手玉」「うつ病」「熊本」とかでググるといろいろ出てきますから、興味のある人はやってみてください。

そう、熊本の精神科医が考案実践し、本もいろいろ出ています。私は図書館で読みました。なので「熊本」というのがお手玉療法情報を検索する大事なキーワードとなります。

費用はお手玉代だけ。安いものです。アメリカ由来の方法とは比べ物にならないお安さ、お手軽さです。

効果は、私の実感では、何となくある。嫌なことがあって、お手玉があったら適当に歌を歌いながら回すと、落ち着く。おそらくお手玉を回すことで「いま、ここ」の感覚になるのだと思います。

導入費用は安いし、つまらなければやめればいい。お手玉は有効なストレスコーピング手段だと思います。

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精神障害とキリスト教会についての一考察

2020-09-27 18:01:32 | 当事者研究

精神障害と教会について、調べつつ考えた。

 

私は自称、クリスチャンである。1996年の12月に現在某大学学長である当時牧師による全浸礼のパプテスマを受けている。それを有効な洗礼と認める人にとっては、私はキリスト教徒だ。

当時の職場でパワハラに合いついに入院に至る前まで、非常に熱心な教会員だった。直前は教会役員だった。日曜日は早朝から夕方まで教会にいて、献金も20年通算で果たして何百万円出したのだろうか。

今は行っていない。退院後、礼拝に出たが、悪魔祓いする信者やら何やらがいた。

もともと教会とは自ら信者と主張して意地でも一員として認めさせなければならないようなところで、当時も今も最早、そこまでして留まることができないのだ。

今でもよく、日曜日は教会に行きたいと思うが、教会は障害者のためにあるものではない。ごく一部の教会を除き、基本的にキリスト教会は障害者の居場所ではない。寄せ付けない場所。と言ってもいい。そのごく一部の教会もまた、その教会構成員の属性にそぐわなければ排除されることは、他の教会と全く同じなのだ。

障害をオーブンにしてもクローズであっても、もはや私に教会員の椅子はない。

障害をオーブンにすれば、病は悪魔の祟りだと言い張る人間との戦いが起きる。面倒この上ないこととの戦いで、教会は最早心の休まる場所ではないのだ。

クローズにすれば、年相応の献金と奉仕という名のボランティア活動を求められる。今の私に月うん万円もの献金を教会に捧げる経済力はなく、ボランティア活動をする身体的余力もない。そして、使えない奴は排除されるのは、企業も教会も同じ。

 

熱心な活動の結果、精神を病んだ牧師に出会っている。単立で好きにやっている先生はともかく、教団や教会にやとわれる立場だとその立場を維持できず、続けられないのだ。

教会は実は、弱者に厳しい。という現実があるうえ、教会もまた「この世」なのだ。不正経理があれば不倫の現場でもある。搾取の現場、であるかもしれない。アメリカなどでは教会が深く政治的利権に結び付き、かつてのルワンダでは虐殺の扇動が教会で行われた。それがキリスト教会だ。そういうのと、関わり続けるエネルギーが今はないのだ。

 

私はこの一文をもって、教会に行くのをきっぱりあきらめ、もっぱら個人的に信仰を守ろうと、心に決めた。

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ホ・オポノポノ 私のためしたコーピングたち〈その二〉

2020-09-14 19:59:39 | コーピング

ホ・オポノポノ 私のためしたコーピングたち〈その二〉

費用 二千円~〈本代〉 セミナーに行くとうん万円。ハワイに行くと百万円?

効果 んんん・・・・

 

フラワーレメディーを紹介した某アスペルガー社長の本で紹介されていたホ・オポノポノ。

教科書的な本にはいろいろ書かれていて、グッズが紹介されていた。試しにミネラルウォーターの青い空きボトルがあったので、本に書かれていた通りに水を入れ「アイスブルー」と言って飲んでみたことを覚えている。

それなりに納得したのか、セミナーのDVDを買った。

人間は経験により色眼鏡で認知していて、物を素直に認知していないことの説明と、ベースボールキャップを被ったおじさんが「ホ・オポノポノ!!」と叫んでいることが思い出される。

これを見て、セミナーに行くのはやめた。

しかし、ホ・オポノポノの呪文〈ウィキペディアではマントラと表現されている〉は、使えるツールだと思う。

・ありがとう。

・ごめんなさい。

・許してください。

・愛してます。

 

 

 

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治療教育学かあ・・・ アスペルガー医師の本を読んで

2020-09-13 08:07:41 | 当事者研究

治療教育学、かあ・・・

 

治療教育。この言葉初めて聞いたのはおそらく四半世紀前の大学時代か、その直後の知的障碍者施設通信教育だと思う。

記憶ではアメリカで興り、医学、教育学、心理学などが統合された立派な理論と実践が日本にも輸入され、独自に発展し、・・・のはず、だったと思ったが…

今読んでいる「アスペルガー医師とナチス」という本によると、治療教育学という名前はドイツ語由来。優生思想が盛んだった1920年代のウイーンではすでに使われていた言葉。そして、いろいろな「治療」や「教育」の名で暴力がまかり通っていた。「治療」も「教育」も表向きのきれいごとで、特に1940年台前半の「治療教育施設」は限りなく「障害児絶滅収容所」だった。とのこと。

医療だとか福祉だの教育だのとか、表向き並べ立てられるきれいごとは、現実には凄惨な暴力だった。というのは今まさに裁判中の神戸・神出病院事件や、津久井やまゆり園を調べていくうちに浮かび上がった、組織内ではびこっていた日常的暴力そのもの。やまゆり園元職員の植松死刑囚は、ひとりでナチスを実行したのだ。

治療教育とは、暴力や搾取の隠語、としても使われているし、使われてきたのだ。

1940年代前半、アスペルガーをはじめ、治療教育にたずさわる医師たちの日常業務は、「ひとりひとりの障害児が国にとって将来使えるかどうか」の「総合的判断」。医師の判断によって子供一人一人の生死が決まるというものだった。

医師の「総合的」「主観的」判断により「精神病質」などと判断された「障害児」たちは判断され、ひとり親の子供で、親がアルコール依存症の子供で、肢体不自由の重い障害児で、といった雑多な理由で「安楽死」が機械的かつ大規模に粛々と実施されていた時代があったので。

精神科関係の医師判断が「主観的」であるのは今にも通じる。そして処遇は表向ききれいでも実際は科学的理論ではなく暴力がまかり通っていることも、今に通じる。

アスペルガーはナチスから子供を守るためにアスペルガー症候群の概念を考案した。とかいうきれいごとは適切な表現ではなく、彼により実際書かれた子供たちのカルテを紐解くと、ほとんどの自閉性精神病質と診断した子供に軽蔑の言葉を書き込んでいたことも、今の時代の精神科医師たちの行動に通じる。アスペルガーはナチスに暗に抵抗していたのではなく、むしろ積極的にナチスに同化していたようだ。ということが。その本には書かれていた。アスペルガーはシンドラーではなかったのだ。正義の人ではなく、激動の時代をうまく立ち回ることに成功した人だったのだ。

「アスペルガー症候群とされた人の中には、健常者ではとても発揮できない特異な才能を持ち、科学者、専門家、高級官僚として成功する人たちもいる」などということが言われているが、それは1940年代前半の「表向きの説明」と全く同じだ。アスペルガーがそのように説明したのは当事者のためではなく、優生思想哲学の故、なのだ。その真実になった背景もまた、今に通じるものがあると私は思う。

アスペルガー症候群のひとでそういう特異な才能を持つ当事者は、今も昔もごくごく少数にとどまることも、発表されたアスペルガーのカルテで明らかとなった。多くは私のように平凡な才能しかなく、発達のバランが悪く、社会適応に相当な苦労がある。その結果引きこもっている人も少なからずいるのだ。

もしかしたら、自閉症とかアスペルガー症候群とか、気分障害とか、なんであれ、診断基準は何でもいいが「医学的レッテル」を張られることで則、「ただのスティグマ」なのかもしれない。

私は診断を受け入れ、適切だと考える保護を受けてここ7年あまりやってきた。現実に生きているだけでも大変なので、発達障害者支援法以来の諸政策があることをありがたく感じることもある。いろいろコーピングしてきても、本質的なところが変わることはない。

 

この本の著者が最後の「謝辞」で述べていることが示唆に富んでいるから引用したい。〈シエーファー、2019〉

“自閉症という病気は実在しない。ぼくらは誰でも問題を抱えている。ただ、それが目立つか目立たないかの違いでしかない。自閉症は障害でも病気でもなく、特定の人間を示す固定観念だ。自閉症と診断された人も、ほかの人と同じように扱ったほうがいい。てないと、その人たちはますます社会から切り離されていく。”

私は同じように扱われたら病気になってしまったが、40年余り同じように扱われてきたからこそ、大学に行ったり、正社員になったり、結婚したりできたのだ。まともに働いていたから、障害年金も厚生年金が出るんだ。確定診断以降、結果的に社会から切り離されて専門家との話が増えたなあ。という現実を思うと、なかなか複雑である。

 

※引用文献

エディス・シェファー 〈訳者 山田美明〉 2019 アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源 光文社 p351

 

※参考文献

エディス・シェファー 〈訳者 山田美明〉 2019 アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源 光文社

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最善のコーピング〈コーピング振り返りシリーズ番外編〉

2020-09-10 20:59:17 | コーピング

最大効果のコーピング、とは、やはり「価値観の変換」なのかな。とふと思った。

当たり前のことかもしれないが、精神疾患は個人の心の中の葛藤により脳内物質のバランスや体のコントロールが乱れ、脳神経機能に変調をきたすことだと考えると、精神科で治療の中心に据えられている薬物療法は対処療法に過ぎず、各種心理療法もかなりのげんかいがある。

やはり外的な環境の変化と、価値観の変容。この最もシンプルな解に行きつく。

最近、当事者たちに話を聞く機会が増えた。価値観はそれぞれだと思うが、よくよく聞いていると、自分にはない素質を持つ他者の生き方や考え方の中に、自分への解があるかも。と考えた。

自分はかなり長期のことまで予想したがるが、そもそも未来の予想など、まともな人にはできることではない。まともにはしばしば予想は外れる。〈ノストラダムスの大予言は大外れだった。〉

周りの人たちの意見を聞いていると、結構な人たちが、目の前のことしか考えていないのだ。

それでいいとは言わないが、要するに気持ちが穏やかであることが必要であることを考えると、いろいろ考えすぎるのは損だ。〈わかっちゃいるがやめられない部分もあるが〉

未来の予想は大事かもれないが、自分の気分を良くしてやることはもっと大事だと思った。


※私のアイ・ハープ紹介コードは BZW9977 です。公式ホームページでこのコードを入力して購入すると、割引があります。ご活用ください。

その場の自分の気分をあげることを、これからいろいろ取り組みたいと思う。

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パッチフラワーレメディー 私のためしたコーピングたち〈その一〉

2020-09-10 07:02:40 | コーピング

私のためしたコーピング〈その一〉「パッチフラワーレメディー」

費用 一回千円~

効果 なんとなく効いていた。アロマの一種+ という印象

 

私がやってみたコーピング技術について、これから連載していくつもりだ。

基本的に試してみた時系列で掲載したい。

最初は「パッチフラワーレメディー」。イギリスでは保健医療の対象だ。

しかし日本では全額自費で、業者が輸入したものを使用。

だから費用はそれなりにかかる。

効き目は、なんとなく、みたいな。アロマの一種かな。みたいな。

「レスキューレメディー」という緊急対応のものもあるが、保険がきく精神薬と比べて、利きが甘い。ただしレメディーは自然由来なので、私には副作用がなかった。でも全額自費だから、高価だよな。

費用対効果悪く、私はもう使ってないコーピング技術。しかしイギリスでは保険適用されるコーピング方法であるから、費用面が何とかなればもっと広がるかもしれない。

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