いなほブログ避難所

避難所です...

トラフグ中毒死 フグを呉れてやった知人の怨恨かも

2005年05月05日 21時04分53秒 | 日記
尖閣・魚釣島に貨物船が座礁、6日朝に自力離礁トライ

何故その船が魚釣島に近づいたのか、肝心な部分がなぜかいつも抜け落ちる日本のマスコミ。
ひょっとして、あの灯台が航行に利用されているということなのか?


新幹線、50メートル手前に停車=編成数を勘違い-新下関駅
JR奈良線でオーバーラン 10メートル行き過ぎ

こういった事故が続いているように見えるが、実は尼崎事故を受けて報道が敏感になっているだけで、毎日起きているに違いない。





ネットに落ちてた資料集(1)

2005年05月05日 10時14分47秒 | 日記
金日成は四人いた

「金日成は四人いた」は、1960年代から1970年代前にかけて入念な調査の上に書かれた実証的著作である。この著作によれば、1945年10月ソ連軍によって「金日成」としてかつぎ出され、その後、北朝鮮の独裁者となった「金日成」は、ニセモノである。・・・と言う。日本統治下の朝鮮人の間で、尊敬された伝統的な抗日独立闘争の英雄で、「金日成(キム・イルソン)将軍」は、実は四人いた。

その四人について、李命英著は、詳しく調査し実証して行く。

金日成(1)
金昌希が本名。1888,9年頃の生まれ。1920年代後半に戦没。

金日成(2)
金光瑞が本名。日本の陸軍士官学校卒業(1911年)。1931年以前に死去と推定される。

金日成(3)
金成柱が本名。1910年生まれ。モスコー共産大学出身。1937年11月死亡説。

金日成(4)
金一星が本名。1930年以降、ソ連に逃げ込み、ソ連士官学校へ。1940年以降、再びソ連へ逃げ込む。1944年まで、生存が確認されて居るが、その後の消息は不明。この「金一星=金日成」については、当時の写真が、李命英著、196頁にあり。

ニセ金日成
本名金聖柱。1912年生まれ。従って、1945年には33歳。


管理人注:資料の真偽は定かではありません