日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

吉本襄『校訂 海舟先生 氷川清談 全』 先生、少時 蘭學を修めんの志を生ぜり

2021-03-02 12:13:34 | 勝海舟

  
  
吉本襄『校訂 海舟先生 氷川清談 全』

 

〔先生、七歳の時〕 
 先生、少時家甚だ貧し。
七歳の時、縁類呉服之間勤おちやに従ひ、本丸の御庭を拝観す。
先生、擧止活溌、衆人と共に巡りて御椽近くに出づるや、
臆する色なくづかづかと進みて之に立寄る。

 将軍、侍者を顧みてその誰が子なるを問ふ。
侍者答ふるにおもちゃの族なるを以てす。
将軍、おもちゃに、初之丞(将軍の孫、家慶の第五子)の相手として、
この児を汝が部屋に上げ置くべきかと問ふ。
おもちゃ、御思召は謹みて之を謝す。
而もこの児甚だ貧しくて、今日着する所の衣服も實は他の縁類より借りたるなり。
されば殿中に居ることの如きは、到底その及ばざる所、と答ふ。

 将軍曰はく敢て不可なしと、
是において、先生おもちゃの部屋に上り、日々初之丞の側に候す。
衣服等の物を賜はること多し、
然れども瀾漫たる先生の天眞は、殿中に於いても決してその光を失わず。
擧止頗る亂暴なりしかば、女中の為に灸を點ぜられたることすらあり。
ただおみつの方(本壽院)のみは先生を愛撫して、
菓子の類を賜ぎしことも屡々なりきとぞ。

 かくて先生が十二歳の頃、一旦その家に歸りしが、
天保八年(五月四日)初之丞入りて一橋家の嗣となるに及び、
復た先生を召してその側に侍せしめんとす。

 先生暫く猶豫を請ひ、家督を相續せんと欲して、
嚴君酔夢氏隠居の願を出す。
九年五月(十四日)事いまだ了らざるに初之丞病みて卒す。

 

〔卜筮者關川讃岐は奇人なり〕 
 卜筮者關川讃岐は、奇人なり。
日々賣卜して、斗酒の銭を得、獨酌徹昑、童戯を見て楽みと為す。
先生時に年十三四、亦この童中に遊戯せり。

讃岐、観相して熟思し、傍人に向ひて曰はく、
此童容貌端美、婦女子の如しと雖、左眼重瞳、烱々として微射し、超凡の概あり。

他日もしその志を得は、必ず天下を亂さんか、
或は攪亂の世に逢はば、百折不撓、國家の大事に任ぜん。
嗚呼、碌々たる瓦石に非ざるなり、と。

傍人之を聞いて信ぜず、以て盲と為す。
後ち、先生に向ひ、此の言を以て、笑顔戯弄の具と為したりといふ。

 

〔蘭學を修めんの志を生ぜり〕 
 先生、少時城中において、阿蘭陀より献納せし大砲を見る。
以為らく、這般の器に非ずば、以て國防の用に供するに足らず、と。

 また砲身の文字を見ては、切に之を理解せんことを思ふ。
よつて直ちに時の蘭學者蓑作玄甫を訪ひ、決然と蘭學を修めんの志を生ぜり。

 先生初めて蓑作玄甫を訪ふや、
玄甫その亂髪弊袍、長刀を帯して、僅かに金百疋疋を包みたるを束修とし、
唐突、入門を許さんことを請う。

 玄甫その風采に驚き、
座に延きて先づその嘗て蘭學を學びたることありや否やを問ふ。
先生なしと答ふ。
玄甫また生國を問ふ。
先生答ふるに、その幕臣なるを以てす。
玄甫頭を掠つて曰く、請ふ之を措け、
蘭学は、性急なる江戸人の決して學び得る所にあらず。

 且つ余や事多し。以て足下を教ふる時なきを奈何せん。
余、誠心、足下の為に計るに、蘭学の事は再び之を志すべからず、と。
先生憤然として辞し歸り、復た之を訪はず。

 

〔永井青崖の門に遊ぶ〕
先生、蓑作玄甫に入門を拒まれて、更に永井青崖の門に遊ぶ。
青崖は筑前の幕臣、赤坂溜池の邸に居る。
藩候黒田夙に洋書を愛し、新刊の蘭書を蔵すること頗る多し。
而して青崖はその翻譯の事を司る。

故に先生もまた大に新書閲覧を便を得たり。
加之ならず、青崖の推擧に依りて、藩候より特別の待遇を受け、
玄関又は中の口によらず、直ちに家臣の出入り口より往来し、
屢々謁見を許されたりとぞ。




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