日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

勝海舟「黙々静観」

2022-10-21 10:49:47 | 勝海舟


     黙々静観

       勝 海舟

 一個人の百年は、ちやうど国家の一年位に当るものだ。
それ故に、個人の短い了見を以て、余り国家の事を急ぎ立てるのはよくないよ。
徳川幕府でも、もうとても駄目だと諦めてから、まだ十年も続いたではないか。


 時に古今の差なく、国に東西の別はない、。
観じ来れば、人間は始終同じ事を繰り返して居るばかりだ。
生麦、東禅寺、御殿山。
 
 これ等の事件は、皆維新前の蛮風だと云ふけれども、
明治の代になっても、矢張り、湖南事件や、馬関騒動や、京城事変があったではないか。
今から古を見るのは、古から今を見るのと少しも変りはないサ。

 此頃元勲とか何とか、自分でもえらがる人達に、かういふ歌を詠んで遣ったよ。

     時ぞとて咲きいでそめしかへり咲 
        咲くと見しまにはやも散なん

 あれ等に分るか知らん、自分で豪傑がるのは、
実に見られないよ、おれ等はもう年が寄った。

   
     たをやめの玉手さしかへ一夜ねん
      夢の中なる夢を見んとて

 政治家も、理窟ばかり云ふやうになっては、いけない、
徳川家康公は、理窟はいはなかったが、
それでも三百年続いたよ。
それに、今の内閣は、僅か卅年の間に幾度代ったやら。


 全体、今の大臣等は、維新の風雨に養成せられたなどと大きな事をいふけれども、
実際剣光砲火の下を潜って、死生の間に出入して、心胆を練り上げた人は少ない、
だから一国の危機に処して惑はず、
外交の難局に当って恐れないといふほどの大人物がないのだ。

 先輩の尻馬に乗って、そして先輩も及ばないほどの富貴栄華を極めて、
独りで天狗になるとは恐れ入った次第だ。
先輩が命がけで成就した仕事を譲り受けて、やれ伯爵だとか、侯爵だとかいふ様な事では仕方がない。

 世間の人には、もすこし大胆であって貰ひたいものだ。
政治家とか、何んとかいっても、実際骨のあるものは幾らもありはしない。
大きく見積っても六百位のものサ。
 
 然るに、今の大臣などは、この六百人ばかりを相手にわいわい騒いで居るではないか。
この弱虫のおれでさえ、昔は三百諸侯を相手に、角力を取ったこともある位だのにナ。

 政治をするには、学問や智識は、二番めで、至誠奉公の精神が、一番肝腎だ。
と云ふことは、屡、話す通りであるが、
旧幕時代でも、田沼といふ人は、世間では彼是いふけれども、矢張り人物サ。
兎に角政治の方針が一定して居ったよ。
  
 この時分について、面白い話があるが、
この頃、聖堂がひどく壊れて居たから、林大学頭から修理の事を申し出たが、
その書面の中に、「文宣公の廟云々」といふことがあった。


 すると右筆等は集まって、
文宣公とは、どんな神様であらうかと色々評議をしたけれども、
時の智者を集めた右筆仲間で、文宣公を知って居るものがなかつた。

そこで、文宣公とは何処の神だ、と附箋をして書面を返却した。
大学頭は直ぐに文宣公とは、唐土の仲尼の事だといってやったけれども、
それでもまだ分らない。

 そこで大学頭もたまらず、仲尼とは、子曰はくの孔夫子の事だといった。
それで右筆もやうやく合点が行たといふことだ。

   
 この話は旧平戸藩で明君と聞えた静山公が、儒者を集めて、種々の話をさせて、
それを筆記した『甲子夜話』といふ随筆で見たが、なかなか面白い。

 全体その時分の真面目な正史よりも、却ってこんな飾り気のない随筆などで分るものだ。

 この話は、実に面白いではないか、右筆といえば、今の秘書官だが、
宰相の片腕ともなるべきこの右筆が、孔子の名さえ知らないといえば、その人の学問も大抵は知れる。
之に較べると、今の秘書官などは、外国の語も二つや三つは読めるし、
やれ法律とか、やれ経済とか、何一つとして知らないものはない。

 然るに、不思議のことは、孔子の名さえ知らない右筆を使った時の政治より、
万能膏の秘書官を使ふ時の政治が、格別優っても居ないといふ事だ。

畢竟これも政治の根本たる、至誠奉公といふ精神の関係だらうよ。
   
       

  



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